戦前・戦中・戦後の厳しい時代に慶應義塾の塾長を務め、戦後は今上陛下の教育掛にも就任された小泉信三元塾長は、戦争末期の昭和20年5月、空襲によって被災し、大火傷をおって、長期入院を余儀なくされました。彼の7ヶ月の入院生活の間に、日本は戦争に敗れ、世の中は一変し、世相も混沌としていきました。いよいよ退院と言う時に、塾生(慶應義塾の現役大学生、そしてそれ以下の学生)に対しての挨拶文を発表しました。その全文を今回はご紹介させて頂きます。ちょっと長いですし、一部難しい言葉もあるかもしれませんが、是非ご一読していただければと思います。

(被災前の写真)

(戦後の写真、火傷の跡が見えます)
退院に際しての小泉塾長の挨拶文(昭和二十年十二月一日)
塾生諸君に告ぐ
去る五月二十五日の空襲に負傷して以来、私は半年の久しきにわたり病院生活を続けていましたが、病ようやくにして癒え、今日退院帰宅いたしました。しかし、なお静養を要するので、今暫くは諸君と講堂において相見ることは出来ません。よって取り敢えず紙上に於いて諸君にご挨拶申します。
私の塾長たる任期は十一月末日をもって満了しましたが、慶應義塾評議員会によって重ねて新たに選挙せられましたので、引き続きこの任に当たることになりました。病余の身としては軽からぬ負担と思いますが、しかし我が塾生諸君の長として、九十年の歴史を担う慶應義塾に於いて諸君と学窓生活を共にしうることは、私に取りこの上なき喜びであり、誇りであります。
顧みれば私の入院の時と退院の今と、六ヶ月を隔てて世は一変しました。当時われわれ国民は、日々死を目前にして苦しき戦いを続けていましたが、戦い敗れて今は平和国家建設の難路をあえぎつつ、歩んでいます。しかしこの間に於いて日本の学生諸君が、寸毫の遺憾なく国民の義務を尽くされたことについては、誰一人これを争うものはありません。学生の大なる部分は国家の危急に応じて農工業の勤労に出勤し、他の大なる部分は直ちに武器を執って戦場に立ちました。そうしてその中の少なからぬ人々はついに還らず、終戦後の今日もまた相見ることの出来ない人々となりました。戦いは敗れましたが、そうして今我々は戦うべからずに戦ったという悔恨に心を噛まれておりますが、しかし国家のために身を捧げた人々の ー殊に若い人々のー 忠誠はこれを忘れてはなりません。あの八月十五日の直後、新聞に発表された詩歌の中に
盂蘭盆会(うらんぼんえ、所謂お盆のこと) そのいさほしを忘れじな 虚子
と言う一句がありました。敗戦の悲しみの中にひそかに私はこの句をくり返して読み心にとどめました。まことに諸君、死したる諸君の友や先輩のいさほしを忘れてはなりません。戦時に於いて国民の本分に忠なる人は、即ち平和国家建設に於いてもまたその責務に忠なる人でならなければならぬ。これは諸君の体験によって充分首肯せらるるところであろうと信じます。
民主主義の大道をひらくは、こと、もとより容易ではありません。しかし幸いなるかな、我々慶應義塾同人のためには八十年前福澤先生の高くかかげられたる炬火(きょか、たいまつ・かがり火のこと)の火が、今なお炳として行く手を照らしています。彼の、天は人の上に人を造らず又人の下に人を造らずといえり、との一句を以て筆を起こした先生の有名な「学問のすすめ」は、遠く明治五年の著述でありますが、その意味は常に新しく、言々宛も今の世を警められたるかの如き感があります。先生はまた、本来人に貴賤無し、貴賤はただ人の学ぶと学ばざるとによって岐れるとも訓えられました。我々は学ばざるがために敗れ、学ばざるがために戦うベからざるに戦いました。国民は肝に銘じてこのことを記憶しなければなりません。
学ぶと言えば第一に智を研ぐことが考えられます。しかし、私はしばらく学ぶという意味をもっと広く解して、真と善と美のためにする一切の活動、すなわち学問、道徳、芸術上の一切の努力をそれに含ませたいと思います。そうしてこの一切の努力によって新しい日本は建設されるということを諸君に切言したいのです。なかんづく大切なのは道徳的精神、道徳的意志の振作(奮い起こす)であって、これなくしては我々は現在の悲境を脱出することは出来ません。一例を言えば俗に衣食足って礼節を知ると申します。これは無論一面の真理でありますが、我々日本国民としてはこれに満足すべきではありません。礼節は衣食に俟つというか。しからば衣食足らざれば礼節は棄てても差し支えないか。諸君は無論肯んぜぬでありましょう。よしや衣食は衣食は足らずとも礼節を忘れず、窮しても乱れざる国民であってこそ、初めて我々は再興の資格を勝ち得るのです。戦い敗れたりといえども気品は失わず、常に信ずるところを言い、言うところを必ず行う信義の国民であることを、事実によって世界に示してこそ、初めて我々は新しい出発をなし得るのだと私は信じます。民主主義の根幹は各人の自尊自重の念にあることを、諸君は寸時も忘れてはなりません。
現在我々は非常な苦境にあります。しかし諸君、艱難にくじけてはなりません、詩人はかつて我が慶應義塾学生のために歌ってその一節に言いました。
まなこを挙げて 仰ぐ青空
希望は高く 目路ははるけし
慶應義塾の 若き学生
まことに然り。諸君は常に目を挙げて大空を望み、常に希望を高く保たねばなりません。よしや新日本建設の道は遠くとも、諸君の健脚は必ずこれを踏破するを信じます。今日書籍も無く、筆紙墨も足らず、諸君の修学は様々の故障に妨げられています。しかし先師福澤先生はもっと遥かに苦しい勉強をせられたのです。それを思えば諸君は自ら発奮せずにはいられないでしょう。かくして相共に励まし合って我々の進むべき道を進もうではありませんか。
退院に際し取り敢えずこれだけの言葉を諸君に贈ります。
先ほどご紹介したそれぞれ2つの展示物はいずれも当時学生かその付近の年代の方、即ち青年の感じ方、考え方をご紹介するものでしたが、今回は壮年期の、一番国を動かし得る年代の方の感じ方の一つをご紹介するものになります。
小泉信三元塾長は大変合理的な方であり、また剛毅な方でもいらっしゃいました。野球を規制しようとした政府・軍部に対して、一人で論陣を張って六大学野球の継続を認めさせたり、戦後の共産主義礼賛の空気の中、共産主義の問題点を突いた本を出版したりと、自らの信念に忠実な方でした。
今回の文章、大きく分けて6つの趣旨があると思います。
1)戦時に於いて国民の本分を尽くした学生たち(勤労奉仕した人も出征した人も)のことを忘れてはならない
2)我々は学ばざるがために敗れ、学ばざるがために戦うベからざるに戦った。国民は肝に銘じてこのことを記憶しなければならない。
3)ここでいう「学ぶ」とは学問上の知識のみならず、道徳、芸術まで幅広いもの。これらに対する努力を重ねることによって新しい日本が建設される。
4)その中でも特に道徳は大事で有り、衣食足らざるとも礼節を忘れず、窮しても乱れずの精神であってこそ再興の資格を得る。
5)民主主義の根幹は各人の自尊自重の念。
6)現在非常な苦境となっているが、艱難に挫けず、常に目を挙げて大空を望み、常に希望を高く保たねばならない。
といったところです。この中で2番目に紹介された詩は、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、慶應義塾普通部(現在日吉にある中学校のこと。)の歌の一番そのものの歌詞です。
また、上記に流れている精神は、自分も愛して止まない「慶應讃歌」の精神にも通じるところがあります。
そう考えると、今の慶應義塾の流れは、戦後の日本の再出発と共にあったと言えると思うのです。
この拙ブログを読んで頂くとわかるかと思いますが、自分は母校が好きです。在学中から普通に好きでしたが、社会人になって色々と義塾の先輩たちが歩んで来た苦難、葛藤、行動を知る度に、自分の母校に対する誇りや愛情が深まっていきました。
今までご紹介した3人はいずれも神がかっているわけではなく、自らを誇るわけでも卑下するわけでも無く、合理的な思考を保ちつつ、懸命に自分たちがおかれている状況下で自分たちの本分を尽くそうとしました。どの時代においても、それは必要な事だと思います。それをどんな時代においても忘れないで生きたいと思うのです。
ちなみに小泉信三元塾長の著書について書いた拙ブログの記事は以下の通りです。こちらも宜しかったらご覧下さい。
「練習は不可能を可能にす」を読んで
「ペンは剣よりも強し」を読んで
海軍主計大尉小泉信吉を読んで
「共産主義批判の常識」を読んで
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