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カテゴリー「東日本大震災」の16件の記事

事故調査はドラマの脚本か?

昨日公表された民間事故調の福島原発事故の報告書、いろいろとニュースで取り上げられていましたね。総じて言えば下記の記事のような内容でした。

民間事故調、「しがらみなし」 官邸や東電の責任ばっさり (From Sankeibiz)


 東京電力福島第1原発の事故原因を、民間の立場で独自に検証してきた「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」が27日、報告書をまとめた。政官業とは一線を画した立場からの報告は、菅直人前首相の行動を「混乱や摩擦のもとになった」と批判する一方、東電の事前対策の不備を「人災」と断罪。他の事故調が出した報告書とは異なり、当事者責任に深く踏み込み、「第三の事故調」の存在感をアピールする内容だ。(原子力取材班)

続きはこちら

自分はここまでの一連の流れを見ていて、どうしてもわからないことがあります。

それは「今からあの時がやり直せたとして、何が一番の最善手だったか?」という答えを誰も出していないように見えることです。

報告書の原本を読んだわけでは無いのでうかつなことは言えませんが、報道で見る限り「どういった方法を採るべき」という話しでは無く、「誰のこういった行動は問題だった」ということばかり。人の批判ばかりしている最近の日本の世相そのものといった感じ。

別にその人がいい人であろうと、わがままであろうと別にどっちでもいいんです。より効果的な動きを取ることが出来れば。

事故が起こったらまずは、結果論ではあるけど、こうするべきだったという方策を打ち出すのは、絶対に必要な事だと思います。例えばうちの業界でも、労災事故が起これば当然にそういった原因、改善策を打ち出す訳です。それが今回の事故では一向に見えてこない。

何だか今回の報道も、「あの時のドラマの脚本はこうだった」といった類のものに見えて仕方が無いのです。それでは「事故を教訓」に出来ないのでは?

・震災発生直後、原発の状況を示す計器が壊れたのであれば、どうすれば良かったのか?
・いつベントを決断すべきだったか?
・ベントが困難な状況とわかるにはどんな要件が必要だったか?
・海水注入はどのような段階で決断すれば良かったか?
・こうするためにはどのような組織体制・命令系統を作るべきか

などの提言こそが大事なのでは?と思うのです。

より実質的な調査と提言を、期待したいものです。

今日、福島県相馬市に行ってきました

前に書いたことがあるかもしれませんが、うちの社員さんのお母様が今回の東日本大震災に伴う津波に呑み込まれ、なかなか落ち着かなかったようですが、今日告別式を行うとのことでしたので、福島県相馬市に行ってきました。

そして告別式の後、実際の現場に行って撮ってきた写真が以下のものです。

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○流された車がひとまとめにされています。

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○松林だったところから山側を眺めている写真です。以前は松が並んでいて、向こう側は見えなかったそうです。

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○こちらにもまた車の残骸が。奥の方に坂道が写っていますが、こちらを駆け上って逃げた人も多かったそうです。塀を補修するため型枠が組まれている部分も確認出来ます。

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○見ての通り何も無くなってしまっていますが、奥の方で作業している人たちも見えます。

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○手前に跡形も無くなった家の基礎が移っていますが、奥の方の家は無事なことがわかるかと思います。まさに運命の境目だった場所です。

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○建物上部の看板がもぎ取られたガソリンスタンド。看板の上の烏が印象的です。

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○倉庫も海の正面側が破壊されているのがわかります。どの方向から衝撃がかかったかがわかります。

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○周辺の方々の生活の基盤だったスーパーもこのように破壊されました。

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○コンクリートの電柱も、このようにあっさり折れています。

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○港の方に行くと転覆している船がまだまだありました。

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○こちらはようやく船を持ち上げて復旧しようとしていると思われる風景です。人も集まって、ビデオを撮ったり、見守っていたりしていました。きっとこの船の関係者なんでしょうね。こうやって復旧が一歩一歩進んでいるのでしょう。

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○ここは海岸から結構奥まったところなのですが、これだけの大型船が流されていました。足場を組んで、これから復旧作業をするところなのでしょう。

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○上の写真の反対側ですが、ボートが畦道に落ち込んでいます。

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○辺り一面焼け野原ならぬ津波野原。この光景もそうですが、動いているショベルカーの少なさが印象的です。


がれきが片付けられてきているとは言え、その災害の大きな爪痕はありありと残っている状況です。

そんな中確かにショベルカーが動いてはいましたが、4~5台程度。原発だ原発だと騒ぐ前に、やるべきことは他にあるのではと強く思いました。

そんなことを思っていたら、今日のNHKのBizスポでは、重機の免許を取ることを支援する活動の紹介が。マスコミも変な政局報道ばかりするのではなく、実際に今被災地に何が足りなくて、どういったことを国は、県は、市は、民間はやるべきなのかをもっと報道すべきだと思います。被災地のことなんか全然考えていなくて、政局ばかりに興味があるのは政治家というよりは、マスコミそのものなのでは?

私が思うに、何はともあれ、まずは「生活が第一(どこかの与党が確かこう言っていましたね)」なのだから、方針を決め、復旧作業にとりかかるべきです。例えばショベルカーが足りないなら、民間から借り上げれば良く、人員が不足しているなら、重機免許の取得の補助をしてあげれば良く、都市計画が必要なら、それを作成すれば良くといった具合に。マスコミも政局報道ばかりでなく、復旧に向けて何をすべきかに資する報道をいの一番にしてほしいです、例え視聴率が期待できなくても。センセーショナルに取り上げるだけでなく、つまらないかもしれませんが、地道なことを報道して貰いたいです。

7/6なんですが、会社の人を乗せて2時頃移動していました。ちょうどワイドショーの時間で、松本元復興相の失言問題と任命責任問題ばかり放送していました。しかし同時刻では国会中継もやっていたので、どうせだったら元ソースの方がいいやと思って聞いていたら「校庭の汚染土を作業するには夏休み期間が最適で、そこまでに終わらせないと」みたいなことのやり取りをしていました。そうすると会社の人が「へえ~、国会ってこんなことも話しているんですね」と感心した様子。そう思っている人は多いと思います。

国会での政局絡みばかりでなく、というかそんなのは小さな一コマにして、復旧・復興に向けて国会内で繰り広げられている真剣な討議こそを報道して貰いたいと切に思います。あの被災地の状況を見て、でも政局報道ばかり繰り返し、被災地の人には「政治は結局自分たちのことは何も考えてくれていないんだ。どうにかしてほしいよ。」みたいなコメントを取る時だけ話しを聞きに行くって、自分から見れば被災者を冒涜しているように思うのです。

我々はもっと被災地の今の状況を知るべきだと、改めて思いました。

シリーズ 原発危機 第1回 「事故はなぜ深刻化したのか」を見て

この番組の放送は6月5日だったのですが、なかなか見ることが出来ず、ようやく録画したものを見ることが出来ました。

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まだ問題が現在進行形で進んでいる中ではありますが、丹念に事実を積み重ねているように見え、とても興味深い内容でした。

自分は今まで電源が津波によって喪失され、しかも電源車を用意していなかったことから、そしてベントを開くことをもたもたしていたからこの原発事故が発生していたといった認識でした。

ところがこの番組で追っかけてみると

1)地震の際に5分以上の強い揺れを観測し、原子炉が緊急停止。発電所も停電となる。

2)続いて津波が押し寄せ、予備電源を含め電源喪失となり、燃料棒を冷却する手段がなくなり、炉内の温度が急上昇する。

3)この事態を受け、福島第1原発が東電本店に緊急通報、東電本店も15分以内に原子力保安院に通報。

4)保安院で事実確認に手間取り、時間をロス。更に官邸に通報され菅総理と所管の海江田経産相で話し合うが、野党を含めた党首会談のため一時菅総理が中座。結局原子力緊急事態を宣言するのは発生から2時間以上経過してから。

5)その時は菅総理を始め官邸は電源回復さえすれば冷却出来ると考え、兎に角電源車を集めることに奔走する。

6)その結果午後8時くらいからは近県から続々と電源車が集まってくる。

7)ところが、コネクターの形状の地がい、ケーブルの違いなどで、作業が手間取り、電源回復に時間がかかる。

8)そして午後10時頃、ようやく通電開始!となったが、冷却装置は作動せず。既に所内の電気系統が破損していることが明らかになる。

9)ここで、冷却システムによる燃料棒を冷やすことを断念せざるを得なくなる。そこで考えられたのが冷却水の沸騰による炉内の圧力の急上昇を緩和するためベントを開き圧を抜き、消化系統による直接放水によって炉内の冷却を図るしか無いと考え、東京電力はベント開放を官邸に相談。もっともベントを開くと言うことは放射性物質を周囲に拡散させることにもなり、周辺の住民に健康被害を与える恐れもあるため、苦渋の決断ではあったが、それよりメルトダウンを防ぐためにということで早々の決断となった。

10)官邸もその決断を諒とし、早々にベントを指示。菅総理もきっと断腸の思い。

11)ところが一向にベント開放はなされない。というのも a)周辺住民を避難させないと被曝させてしまうので、半径3km圏内の住民の避難にこだわった b)もともとベントは電動式で電源喪失時のベント開放の方法が確立されてなかった。それに加え放射線量が高くなっており、作業員はその場所で短時間しか作業が出来なかった。

12)なかなかベントが始まらないことに業を煮やしたか、翌早朝菅総理が直接福島原発に赴く。(ただ、この準備により時間がロスした可能性も否定できない)

13)そしてようやくベントを開けることが出来た・・・と思ったら、1号機が水素爆発。

14)菅総理は本来のラインである、保安院、原子力安全委員会を信頼できず識者を集め意見を聞く。今後どうなるかの見通しをみんな言わないからとのこと。そして識者達にこう言われる。3号機、4号機も水素爆発するでしょうと。どうにかして避けられないか?水素を逃がせないかと問いかけるが、建屋を切断する際の火花が水素に引火して大爆発の恐れもありとのことでどうしようも出来ず。

14)そして3号機、4号機も爆発する中、2号機について最悪事態も想定させるような状況が報告される。ベント開放が全く出来ないと。これにより最悪の事態、すなわち原子炉の爆発も想定される事態に。

15)2号機はなんとか建屋の爆発で済むが、これにより1-4号機が全て水素爆発を起こすという緊急事態に陥る。

16)この辺りの経緯を官邸は情報の混乱を恐れるが余り、情報管理をきつくして、全てが官邸が了承しないと各部署は情報を発信できなくなり、周辺住民への情報発信が遅れる。これにより被曝したと思われる住民も多数出す。


といった流れのようなのです。菅総理を含め誰もが、自分のやるべきをことを迅速にやろう、としていましたがそこに手続きの煩雑さ、多くの誤算と想定外のことが重なり、時間が空しく過ぎていった結果、ああいった事故になったのだと。

まず、一つの疑問があります。冷却系統が破損したのは、地震の揺れによるものなのか?それとも津波による影響なのかと。今回の事故が冷却不足から起こったものであるならば、それは電気系のトラブルか、それとも注水配管の破損なのか。電気系のトラブルなら浸水によるものなのか、その前の揺れですでに破損されていたのか?これが明らかにされないと、今回の教訓を踏まえて他の原発が安全かどうかということを言えないのではないでしょうか。少なくともディーゼル発電機が水に浸かって動かなくなったから、事故が起こったという話しではなさそうです。

よく「予期し得た」と「想定内」を同意義で話す方もいらっしゃいますが、違うと思います。「想定内、想定外」はその言葉通りに読んだ方がわかりやすい。すなわち、我々日本人は今回の事態を想定出来ていなかったということなのです。コロンブスの卵みたいなもので、今言えば、なぜ電源を防水していなかったとか色々言えますが、殆どの人たちが想定していなかった。だから「想定外」だったのだと。

昭和16年夏の敗戦ではないですが、大災害でのシュミレーションというのをもっと真剣に受け止め、各専門家の率直な想定を算入すべきだった。せっかく浜岡原発事故の訓練を昨年10月に行ったにも関わらず、今回のような事態の想定がされなかったことを反省すべきでしょう。

でも考えてしまうのです。では平成23年3月11日の午後2時45分に立ち戻って、そこから打てる最善手はなんだったのかと。電源が喪失したから電源車手配→手配ついたが失敗。ベントを開けて減圧を図ることを決断→ベントを手動で開ける方法が確立されていなかった。周辺住民の避難のスキームも出来ていなかった。では・・・。

「兵は拙速を尊ぶ」

災害対応もまさにこれでしょう。でも誰もが拙速で行きたいと思っていても出来ないこともある。それを突き破るものは何か?203高地の攻略では、児玉源太郎の28サンチ砲の直接砲撃の決断で流れが変わったと言われています。あの時点で何をすればこうはならなかったのか・・・。こちらのシュミレーションもまたすべきだと思います。

要するに

1)最悪の事態を想定する想像力を持ち、その上でその対処を一つ一つ考えていく必要性

2)想定していなかった事態が発生した時に、どのように対応するかを訓練する必要性

この2つが問われているし、この2つが日本には欠けていたと思わされる番組でした。

この2つ、つまりそのまま軍事学なんですよね・・・。やっぱり軍事を忌み事として国民が避けている限りこのままでは・・・。良くも悪くも戦時中に軍に携わった世代が引退してから後は、やはりこういったことへの対応が頼りなく見えますから。少なくとも政治家を目指す人には軍事学の素養は持って貰いたいとも思うのでした。


自分だったら絶対に悔しい

ちょっとつぶやいた記事の中にこんなことが書かれていました。

 じつは昨年10月20~21日に、福島第一原発事故と似たケースを想定した「原子力総合防災訓練」が実施されていた。静岡県御前崎市にある浜岡原発3号機において、相次ぐ故障により原子炉のすべての冷却機能が喪失し、放射性物質の放出のおそれがある事態を想定したものだった。菅首相も訓練に参加している。

 訓練で使われた避難地図では、同心円状ではなく、原発から風下方向に扇形に避難区域・屋内退避区域が指定されている。菅首相がこの訓練を生かしていれば、原発事故への対応はかなり違っていたはずだ(浜岡原発3号機の「防護対策区域」参照)。

Photo2

原子力総合訓練を記憶していない菅首相

 驚くべきことに、菅首相は自分が参加していたこの訓練のことを覚えていない。4月18日の参議院予算委員会で自民党の脇雅史議員に質された菅首相は「記憶にない」と答えている。

脇議員 去年の10月20~21日に、非常に大事な催しがあったわけですが、このことはご記憶ですか、総理。
菅首相 突然のご質問ですので、何を指されているかわかりません。
脇議員 じつは、この日は原子力総合防災訓練というのをやっていらっしゃるんですね。菅内閣総理大臣を本部長として総合防災訓練をされていた。そのときに、どういうテーマで訓練されたか覚えていらっしゃいますか。
菅首相 詳しい内容については記憶しておりませんが、やはりこうしたいろいろな地震等を想定したことではなかったかと思っております。

私は別に東京電力さんとは何の関係もありませんが、今回の事故に対して殊更に東京電力の責任のみを声高に言う風潮には強い疑問を抱いています。

例えば私は建設業に従事していますが、有名なところでは石巻にあった合板工場が津波被害に遭い、その後の復旧需要とも相まって、建設現場に思うように合板が入らず、工期の遅延が生じたり、余分な手間をかけなくてはいけなくなっています。
これだって、「マグニチュード9の地震は想定できた」という今の論理でいけば、何をやっているんだ!合板会社は責任を全部負うべきだ!と言ってもいいわけです。

昨日、NHKスペシャルの再放送で巨大津波についてのものが流れていましたが、あの中で「津波警報が解除されていないにも関わらず、避難場所から戻り危うく難を逃れた」人たちの話が紹介されていました。彼らだって「警報が解除されていないのに何をやっているんだ!」と言えなくもないわけです。

後から考えてみればあり得ない話しでは無いにしても、残念ながらその時想定していなかったことに遭遇した時、人間なかなか合理的に動けるものではありません。勿論反省すべき所もあっただろうし、勿論結果責任というものもありますが、あそこまで徹底的に叩かれるようなほどひどい動きを東京電力はしていたのだろうか・・・?といつも疑問に思ってしまうのです。「土下座しろ!」とどうして言えるのでしょうか?しかも被災者で無い人まで。


それと比べて上記の記事は趣を異にします。

想定場所は違うにせよ、同じような事故の想定の訓練を5ヶ月前にやっていたことがさっぱり活かされていない、それこそ訓練のための訓練となってしまっていたからです。浜岡原発の防護対策区域の地図をよくご覧になってください。今回の原発事故と同じような形をしているではないですか!

この訓練が最後どのような形を目指したものなのか。例えば避難が無事完了したところで終わりなのか、それとも原発をなんとか冷温停止にする作業をするところまでで終わりなのかわかりません。でもその訓練ですくなくとも避難区域の指針が出ていた。

しかもこれまた有名な話になりましたが、発生当初から気象庁で放射性物質の拡散のシュミレーションが為されていたにも関わらず公表せず。そして単純な同心円状での避難区域設定。実際に後で測定したら、シュミレーションとほぼ同じだったという結果。

これはどうにもならなかった訳では無いと思います。事前に有用なシュミレーション、そして現実にデータが手元にあったにも関わらず、なんら有用な対策を打てずに今に至っている現実に対して、当人達からも、そして周りからも恥じらいを感じられないのが不思議で仕方ないのです。まだ東京電力の首脳陣の方が憔悴しきった様相です。

もし自分がその立場で、その訓練をしていたにも関わらず、今回のような対応をしてしまっていたら、絶対に悔しいし後悔しても仕切れないほどだと思うのです。

確かに物事に結果は付きもので、その結果は運不運に左右されることも多々あります。ただだからと言って過程を無視するわけにはいきません。いかに、より効果的な判断を下す過程をたどっていけたかどうかは、どんな立場、どんな場面であっても振り返って、反省すべき事だと思います。この前の走塁の記事でも判断基準にこだわった書き方をしたのは、その判断をどうやって下そうとしていたかによって、同じ決断だったとしてもその意味合いは大きく違うんだ!ということを言いたかったからです。

訓練の際にはどんな心構えで臨むべきか?実際に緊急事態が起こった時、何を判断基準とすべきか?と言った部分にに話しが行かず、お涙頂戴か東京電力がいかに悪いかといった話ししか出てこないのか?我々の国が危機に直面した時、どのような判断基準で動けば良いのかをもっと考えなくてはいけないし、政治家はもちろんそうなるようマスコミなどももっとしっかりとした考えを持たなくてはいけないと思うのです。


新聞の責任 被災地再建を報道で支えたい(5月11日付・読売社説)

う~ん、このままじゃ戦争報道で一躍新聞各紙が部数を伸ばした戦前と変わり映えがしませんね

原発事故を通じて思うこと

東日本大震災による津波被害から大災害となった福島第1原子力発電所。

これを機会に原子力発電の是非について色々論じられています。

そして政府と言えば、東京電力への無限責任をずっと言い続けるのみ。

そして、多くの声も、「マグニチュード9も津波も想定できたのであって、東電はけしからん。税金を使うなど以ての外で、東電が最後まで責任を負うべきだ。」といったものが多いようです。

しかし、これまたよく言われることではありますが、原子力発電はそもそも国策ではなかったのか?という疑問がついてまわります。

自分も原子力発電は国策であったのではと思いますが、その国策とは「逼迫している電力事情の解消」のためだけとは思っていません。

そのきっかけの一つがこの報道でした。

中国軍のロボット提供断る=福島原発事故で日本政府-香港紙(From 時事通信

 【香港時事】香港紙サウス・チャイナ・モーニング・ポストは16日、中国軍が福島第1原発事故に関連して、原子力関係の事故に対応するロボットの提供を日本政府に申し出たが、断られたと伝えた。このロボットを開発したプロジェクトの責任者を務める東南大学(江蘇省南京市)の専門家が明らかにした。
 中国側は福島第1原発事故の発生後、ロボットを操作する南京軍区核緊急対応部隊のチームを待機させていた。ロボットは原子力施設で放射能漏れの場所を特定したり、修理したりする能力があるという。
 この専門家は「家電製品展示会などに登場する日本の人間型ロボットは福島第1原発のような状況では1分も活動できないだろう」と述べた。
 中国は先に海軍医療船や軍の医療チームを日本に派遣しようとしたが、いずれも実現していない。ポスト紙は「日本政府は中国軍から支援を受けたくないのだ」と指摘している。

なんで、中国の援助を受けたくないのか?アメリカ、フランスの援助は受けるのに。自分が考えるにそれはそこに軍事的な機密事項があるので仮想敵国である中国の援助を受けられないのではと思ったのです。そう考えると、日本政府が自ら表に立たず、とは言え電源三法を作って強力に支援していたのは、国防的軍事的な理由が隠されているのではと思えるのです。もっと言えば、核技術の蓄積のために民間を隠れ蓑にして進めようとしたのでは?ということ。

そもそも「日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。」(From wikipedia)とのこと。

この「1954年」という年は、冷戦まっただ中の時期であり、アメリカに続きソ連が1949年に、イギリスが1952年に核実験に成功している時期です。平和が日本国憲法で守られるのならいいのですが、実際的にはパワーオブバランスで決まるしかないと思います。

そういった環境下で、今の情勢では無理でも、いつか必要とされる時が来てから蓄積するのではなく、今のうちから準備をしておこう・・・、そう考えて原子力発電が始まったのでは?と思うのです。例えるのも何ですが、北朝鮮もずっと一連の核開発を「原子力発電」と言っていましたしね。彼らの言っていたことが正しければ、核爆弾を作る前に発電所を作っていないとおかしいのですが。

そして隣国の中国が1964年に核開発に成功すると、いよいよ核技術の蓄積は喫緊の課題となったはずです。

しかしその頃すでにある程度の蓄積もなされていた日本は、「その気になればいつでも核兵器は作ることが出来る」と周辺国に思わせることに成功していました。

それは日本にとっておそらく重大な岐路となっていたアメリカと中国の国交回復の際のキッシンジャーと周恩来との会談内容からも見て取れます。

会談内容はこちら

これは、高度な国防戦略だと思います。アメリカにも中国にもここまで脅威と思わせているのですから。日本の原子力発電にはこういった意味合いもあったと思うのです。

それに対して市民団体が主導する反原発運動というものがあります。この運動の不思議なところはロシア、中国の核開発に対して積極的に反対する姿を余り見ないということ。これも上記の文脈から考えるとさもありなんと。つまり、日本にそういった力を持って欲しくない近隣諸国としては、平和運動に名を借りて弱体化を図りたいからそうしているのでは?とも思うのです。

もちろん今となっては、償却も終わり、燃料代は殆どかからない30年以上経った原子力発電所は単純にお金を生み出すものになっていて、温暖化対策の切り札、国策としての輸出振興の切り札みたいに扱われ、そういった国防的な意義も忘れ去られているのかもしれません。しかし、ちょっと前には現政権も日本のパッケージ型インフラ輸出の切り札として積極的に取り組んでいたような気もします。

政策が固まった経緯 - 日本政府のパッケージ型インフラ輸出政策のまとめ(中)

数少ない成長戦略として持ち上げていたのに、今となってはこの扱い。何度かつぶやきで批判的に捉えていましたが、こういったことを考えると、政府がこれだけ責任を東京電力になすりつけ、自らの責任を認めない姿勢に終始しているのが理解できないのです。

あと、今回の事故は人災だと思いますが、それは震災後電源停止から水素爆発が起こるまでのオペレーションに問題があったと思うからです。この時に実際は何をすべきだったか?それを検証する報道が余り無いように思います。リスクは少なくすることは出来ますが、0にすることは出来ません。だからこそ、リスクが現実となった時、どのような行動を取るべきかをもっと国民全体で考える姿勢が必要だと思うのです。

かなり想像が入っているお話しではありますが、原発事故に関する報道に接するたびに、こんなことを思っていました。


We never walk alone vol.2

今回の大震災における報道はいろいろな問題点もあったと思いますが、同時に報道が事態の改善をもたらしてくれているもいろいろあったと思います。その中でも自分が良かったなあと思ったのが。原発作業員の劣悪な作業環境の報道。我々日本の運命の行く末を担ってくれている人たちがあんな環境下でいいのか?と考えさせてくれるきっかけとなりました。その結果海上自衛隊の練習艦が来て風呂に入ったり、食事環境が多少改善したりしているようです。人知れず努力し、奮闘して下さっている人たちに光を当て、みんなで支え合うようにしていきたいですね!

原発泊まり込み作業員「厳しいが士気は高い」(From YOMIURI ONLINE)


 東京電力福島第一原子力発電所に泊まり込み、本店との調整に当たっている同原発広報部の角田(かくた)桂一・報道グループマネジャー(42)が2日、読売新聞の電話取材に応じた。

 一時不足していた放射線量を測る線量計は920個を確保したといい、食事も1日2回から3回に増えている。角田さんは「環境は整えられつつあるが、依然厳しい」と語った。

 線量計が足りなかった問題は、発覚した直後の1日に、東電柏崎刈羽原子力発電所(新潟県)から500個を調達するなどし、解消したという。食事の回数も増えたが、非常食や缶詰というメニューは変わらず、「量的には問題なくなったが、メニュー不足は否めない」。

 泊まり込みで作業にあたっている約400人のうち100人程度は約10キロ離れた福島第二原発の施設に宿泊できるようになった。それでも第一原発で作業員らの就寝場所となっている免震重要棟の「緊急時対策室」に入りきらず、廊下で寝る人もいる。

 「睡眠は十分とは言い難いが、報道で激励の声が届くことが支えになっており、士気は高い」と話した。

(2011年4月3日03時04分 読売新聞)


がんばろう 日本!

We never walk alone ~vol.1

こんなことが出来るんですね!

タイの発電所、日本に丸ごと貸し出しへ (From TBS News i)
 原発事故で電力が不足している日本をサポートしようと、タイの電力公社が発電所を丸ごと無償で貸し出すことになりました。

 日本に貸し出されるのは、巨大な煙突、タービン、発電機といった発電設備一式、これを2セットです。発電所ほぼまるごと、日本に移設されます。

 東京電力に貸し出されるのは12万2000キロワットのガスタービン発電設備2機などで、およそ24万世帯分の電力を賄うことができます。この発電設備は日本製で、95年から稼働していますが、現在はピーク時を除いて使われていないため、電力不足に悩む日本に無償で貸し出すことになりました。

 「日本はこの困難に対し決して孤独ではありません。何でもサポートします」(タイ電力公社の社員)

 発電所は分解して船で運び、東京近郊に移設されるということで、東京電力では今年8月の運用開始を目指しています。発電機だけのレンタルはありますが、発電所が丸ごと貸し出されるケースは、世界でも極めて珍しいということです。(29日17:48)

こういった時期にこういったことを言ってくれるとは、タイの人には本当に感謝です。ますますタイカレーが好きになりそうです

週刊東洋経済3月26日号 「検証!大震災」を読んで

週刊東洋経済を読んでいたら、関東大震災直後に当時東洋経済新聞の主筆だった石橋湛山(戦後に首相となる)が書いた社説の一部が紹介されていました。

「わが国は今回の災害により、あらゆる方面に、人為のさらに改良すべきものあるを発見する」と論じ「この経験を科学化せよ」と訴えた。

至言であると感じます。

徒に悲観論や責任論、または根拠のない楽観論を述べるのではなく、「人為のさらに改良すべきもの」を見つけるために「経験を科学化する」ことが必要だと思うのです。

ここしばらくは原子力発電は目の敵にされるでしょう。高度に細分化された生産体制も見直されるのかも知れません。津波対策は合理的なコスト判断と心情的に求める完璧さとの狭間に揺れるかもしれません。

ただ、そこに「正義」とか「心情」を過度に振り回すことなく(もちろん適度な配慮は必要です)、どういったメカニズムで今回の問題が起こったかを科学的に分析し、そして爾後に活かす以外に道はないのです。退化を望むのでなければ。


また、今回の福島原子力発電所事故では、広範囲な影響も相まって、いろいろな意見が飛び交っています。ただその中で、おそらくみんな思っているであろうが口に出しては言えないことを、同じ誌面で佐藤優さんが話していました。

太平洋戦争後の日本の社会システムは、合理主義、生命至上主義、個人主義を基本として作られれている。したがって、職務遂行と生命がてんびんにかけられた場合、生命のほうを尊重するという原則になっている。ただし実際には、生命よりも職務遂行のほうに重みがある、無限責任を負う職業が存在する。自衛官、警察官、消防士、海上保安官、それに外交官は、その職務の性質上、目源責任を負う。東京電力の職員が無限責任を負うことは想定されていない。ただし、今回、多くの国民の生命、健康、財産を守るために、東京電力の原子力専門家は、無限責任を負って職務を遂行することが求められている。

有り体に言えば、お国の為に命を投げ出せと言わざるを得ない人たちが少なからずいるということです。誰が見たって、あの高濃度となってしまっている放射線が飛び交う中、作業を行うことが自分の生命、健康に全く影響が無いわけがないのです。きれいごとではなく、そこにある種の残酷さを伴うものが指示にあることもあり得るのです。裁判員制度でもそうですが、誰だって「君、死んでくれ」と言うのは大変な心理的重圧がかかります。ましてや、今の社会システムです。それを担わなければいけない任命権者は誰か?ということになります。

そういった事態を踏まえて、彼は最初にこう主張します。

このような危機に対処するために、まず重要なのは、菅直人首相に権力を集中することである。政治休戦や大連立では不十分だ。戦いを一時的にやめる政治休戦ではなく、積極的に、見返りを求めず、菅首相を野党が助けることが必要だ。(中略)ここで重要なのは菅直人という固有名詞ではない。日本国民の民主的手続きを経て選び出された最高権力者である、日本国内閣総理大臣(首相)という役職である。首相に完全なフリーハンドを与えることが重要だ。首相は、政争や個人的好悪の感情を超え、国家的見地から与野党、官民を問わず、適切な人材を登用し、危機に対処することが求められている。

状況によっては、日本国家と日本国民を危機から救い出すために、菅首相が超法規的措置をとらなくてはならない状況が生じる。日本政府が東京電力の原子力専門家に対して、国家の為に命を捨てる仕事を依頼しなくてはならない局面も出てきうる。日本国家と日本国民が生き残る為に菅首相が最適の決断をできるような環境を、政治家、マスメディア関係者、国民が三位一体になって整えることが重要だと思う。

全くその通りだと思います。ここで大事なことは、全ての人がそれなりに満足するという選択肢は今の段階であり得ないということ。その不満に足を取られてしまい、大事な決断を速やかに行えないことがこの状況では一番怖いので、菅首相に権力を集中した上で、適切な判断を下せるような環境作りをすることが今一番必要に感じます。

そして、日本人の特性についても触れています。この原発事故でたびたび聞かれる東京電力の情報開示の姿勢に対する批判、それに急かされて不正確な情報を出し更に混乱する姿がありますが、そのことに対して、

本件に関して、政府や東京電力の対応に問題があったことは間違いない。しかし、なぜこのようになったのかについて内在的論理を押さえなくては、的確な対処方針を立てることが出来ない。日本の官僚やエリート会社員の能力は高い。

東京電力の原子力専門家も世界の最高水準を誇っている。ただし、日本のエリートは完璧主義で訓練されているため、責任追及を過度に恐れる傾向がある。日本のエリートはひ弱だと批判することは簡単だ。筆者を含む大多数の日本人がこのようなひ弱さを持っているという現実から出発しなくてはならない。専門家が後で責任を追及されると考えると萎縮してしまい、判断を間違えたり、リスクのある措置をとらなくなることがある。

マスメディアに求められるのは、専門家が萎縮せず専門知識と職業的良心に基づいて、所与の条件下、リスクを伴っても最善の処理を行えるようにする可能性を閉ざさないことだ。危機管理の要諦は、最悪の事態を回避する為にリスクを恐れないことだ。今回の東日本大震災から新社会人が学び取る教訓はたくさんある。

と指摘しています。

こういった時期だけにいろいろな意見があると思います。一番大事なことはいかに事態を収拾するかということ。一種の組織論から論じている佐藤さんの意見は、大変興味深く読ませてもらえました。

興味深い記事のご紹介1

リスクが全く未知だったということは少ないものですね。実生活でもよくあります。ああ、こう思っていたのにな・・・と。リスクを想起したとき、その頻度とその大きさを考え、頻発するモノ、ないしは被害が甚大なものに対しては、スピード感を持って対処しないといけないものですね。

特報:福島第一原発、津波を「再評価中」だった(From ケンプラッツ


 津波による浸水で電源を断たれ原子炉を冷却できなくなった福島第一原子力発電所。2006年に改定された耐震設計審査指針(新耐震指針)に基づいて、津波に対する安全性を再評価している最中だったことが日経コンストラクションの調べで分かった。

 東京電力は1966年の福島第一原発の設置許可申請時、60年のチリ地震津波での水位変動を考慮して、津波の高さを想定した。福島県小名浜地方の年平均潮位より3.1m高い水位だ。なお、引き波時の下降水位はマイナス1.9mと想定した。

 その後、土木学会が2002年に「原子力発電所の津波評価技術」をまとめたのを受けて、東電は津波に対する安全性評価を見直した。マグニチュード8.0 の地震による津波を想定し、津波の最大高さは5.7m、引き波時の下降水位はマイナス3.0mとした。東電によればこの時、原子炉の冷却に必要な取水ポンプの設置方法を見直すなどの対策を講じている。

 06年9月、政府の原子力安全委員会は新耐震指針を制定し、経済産業省原子力安全・保安院が各原発事業者に耐震安全性の再評価を指示した。なお、81年の耐震指針制定後、初めての本格的な改定だ。

 新耐震指針のポイントは、重要な構造物や設備の耐震性を評価する際の入力地震動をより精緻に、より厳格に設定することだ。設定した入力地震動に対する構造物や設備の応答を計算して、耐震性を評価する。

 さらに、津波や周辺斜面の崩壊についても考慮するよう求めている。ただし、津波に関しては「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」という一文のみ。しかも定性的な表現にとどまっている。

耐震性の評価を終え津波はこれから

 新耐震指針に基づく再評価は、(1)基準地震動の設定と原子炉建屋など重要施設の評価(中間評価)、(2)周辺斜面や津波の評価と基礎地盤の評価、屋外重要土木構造物の評価(最終評価)という2段階で実施する。

■原子力発電所の耐震安全性評価の概要

Fig15

 東電は福島第一原発に関して、まず5号機の中間評価を08年3月に保安院に報告し、09年7月に保安院から「妥当である」という内容の審査結果を受けている。3号機と4号機についても同様に、中間評価までは審査を終えている。

 最終評価に向けて、津波に対する再評価を検討している最中に東日本大震災が発生した。震災が発生しなくても、東電は最新の海底や海岸の地形データや、潮位のデータを使って計算をやり直し、津波の高さなどの想定を見直す可能性があった。

 結果論から言えば、津波に対する再評価が間に合っていたとしても、高さ14mと推定される今回の大津波を防げなかったかもしれない。政府の地震調査委員会が「想定外」と言う四つ以上の震源域が連動して動く巨大地震を想定するはずがないからだ。

 土木学会の原子力土木委員会津波評価部会は07年に発表した「津波評価手法の高精度化研究」で、津波水位の確率論的な評価方法や高精度の数値モデルなどを示した。東電は既に最終評価を終えた柏崎刈羽原発で、「現時点でプラクティスとして確立しておりません」として採用しなかった。

 地震動以上に不確定要素が多くて想定が難しい津波だから、最新の研究成果を積極的に取り入れ、より安全側に想定することが求められる。

渋谷 和久[日経コンストラクション]


選択と集中

首都圏内の放射線量が一定量に落ち着いてきたとは言え、現場は緊迫の度合いを深めている言える、福島第一原子力発電所。

今日(正確には昨日ですが)、空中放水と地上からの放水という、危険を承知での過酷な作業が行われました。

両作業に従事した自衛官、警察官、東京電力職員の方々の自己の安全を犠牲にして献身的に取り組んでいただいたこの気持ち、そして限られた困難な状況の中散水したその技術には、手放しに賞賛と感謝の言葉を捧げたいと思います。

但し、失礼を承知で言えば、これは国民向けのパフォーマンスでしかないのでは?と思うのです。

と言うのも冷却の為にはこの1回では明らかに不十分であり、100回くらい投入しなければいけないという話しもあります。アルジャジーラもそのように評したようです。明らかな数値の変化も見えません。

なんだか放水前の準備の生中継をちらっと見たとき、浅間山荘事件を思い出しました。

今この緊迫した事態では、パフォーマンスをしている時間もないわけですし、そのために危険に身をさらす人たちのことを考えると・・・。

それよりも、報道で伝わっている中でこれだ!と思えるのは正直「送電線再引き込みによる緊急冷却装置の回復」しかないように思えます。この装置が壊れていない前提ではありますが、もし動き出せば、当初の設計通り緊急的な停止に対応できると思うからです。しかし、これもこの放水を避けながら、まずは2号機でやろうとしていると聞くと、「選択と集中」の方向性が違わないか?と思うのです。


冷却装置再開、早くても18日…東電が見通し(YOMIURI ONLINE)

 東京電力は17日夜、記者会見し、福島第一原子力発電所に外部から電力が供給され、冷却装置などを再開できるのは、早くても18日になるとの見通しを発表した。

 送電が復旧すれば、ポンプなどの冷却装置を再開でき、冷却水を炉心に送ることが可能になることから、炉心の水位が低下して燃料棒が露出している1、2号機への送電工事が始まっていた。

(2011年3月17日21時38分 読売新聞)


冷却装置回復へ、原発に送電線引き込み工事開始(YOMIURI ONLINE)


 東京電力は17日、福島第一原発に、外部から電力を供給するため、送電線を原発の構内に引き込む工事を開始した。

 同日中の電気の供給をめざす。

 経済産業省原子力安全・保安院によれば、電源系が水没していない部分の多い2号機を最優先し、1、3、4号機の順に送電工事を始める予定。復旧すれば、炉心に水を入れる緊急炉心冷却装置(ECCS)などを回復させることができる。

 復旧工事は、原発近くを通る東北電力の高圧線から原発敷地内へ送電線を設置。

 外部電源を確保した後、各原子炉建屋に送水するために必要な専用の分電盤やリレー回線を接続する。

 東電によると、福島第一原発では1〜5号機の電源はすべて喪失。6号機の非常用ディーゼル発電機だけが稼働しており、5、6号機の燃料プール冷却システムなどに供給している。

(2011年3月17日13時25分 読売新聞)


この作業が早く完了すること、この作業こそあらゆるバックアップを行うこと、そして緊急冷却装置が作動することを祈ってやみません。どうかうまくいきますように。