カテゴリー「書籍・雑誌」の10件の記事

うそのような本当の話

拙ブログをお読み頂いている皆様、コメントの返信が滞っておりまして本当に申し訳ございません。

仕事もさることながら、昨日は睡眠時無呼吸症候群かもしれないということで一日検査入院をしておりまして・・・。
その話は後日またしようかとも思いますが、その時に本を2冊持ち込んでいましたが、両方ともとても面白かったのです!

まずはそのうちの一冊をご紹介しようかと。


佐々さんの本は実践的で、いつも興味深く読ませて頂くのですが、今回はそれもさることながら、本当にこんなことがあったんだ!というお話です。

1986年、三原山が大噴火を起こしたのをおぼえていらっしゃるでしょうか?

三原山とは伊豆七島の大島にある火山で、209年ぶりの大噴火を起こしていました。溶岩流が迫ってきていましたし、なにより水蒸気爆発でも起こったら島民も観光客も何千人と吹っ飛ぶかも知れないという緊急事態。一刻も早く避難させるため、船舶を急派しなくてはいけない状況です。

そんな折り当然活躍しなくてはいけないのは、担当官庁であった国土庁(今の国土交通省)。しかし何の報告も上げてこない。

ここからは原文にてご紹介します。

藤森官房副長官が後藤田長官に報告する。

「長官、国土庁は夕刻より一九関係省庁の担当課長を防災局に集めまして、長い長い会議に入っております。佐々君や私が名を名乗って電話を入れても、『会議中です』の一点張りで、らちがあきません。国土庁には任せておけない。これは”伴走”いたしましょう」

これを聞いて後藤田長官、ついに怒った。

「何の会議をやっておるのか?議題は何か?すぐ聞け!」

制度上は、情報は国土庁長官が総理へ報告することになっており、官房長官や副長官には報告されない。そこで、何の会議をやっているのか裏から探ってみた。

すると、驚いたことに、第一の議題は「災害対策本部の名称」。大島災害対策本部とするか、三原山噴火対策本部にするか・・・、だそうだ。

そして第二の議題。何と「元号を使うか、西暦を使うか」、つまり昭和61年とするか、西暦1986年とするか、だという。さすがにあきれて、「何でそんなバカなことを!」と聞くと、「昭和天皇はご高齢だから、万が一、元号が変わるようなことにならないとも限らない。しかし、西暦は前例がない」と議論しているのだとの答え。あまりのバカバカしさに目がくらんだが、念のために第三の議題も記しておくと、「臨時閣議を招集するか、持ち回り閣議にするか」だった。

踊る捜査線 the movieでの有名なシーンを思い出しました。あれはさすがにデフォルメしているんだろうと思っていましたが、全くその通りのことが行われていたとは!

でもこの当事者達はきっと真剣にこの話しをしているんですよね。

結局今の状況下で一番行わなければ行けないことは何か?そしてそれはどのポジションが責任を負うべきか、その判断が的確でないと、まさにコメディのような出来事が大まじめに行われるのでしょう。

今この話を読んだら、自分も含め「なんてわけのわからんことを・・・」と言うに違いありません。でも、実際に自分がその状況下にあった場合、どこまで的確なことを判断出来るかと思うと、心許ない気もします。

どんなことであっても、自分ならどう行動するか、どう判断するかを考えて、いざというときのために備えておきたいと思った一節でもありました。

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「吉田茂と昭和史」を読んで

皆様、だいぶご心配をお掛けしてしまい、申し訳ございませんでした。

結局、黄色と黒は勇気のしるし♪さんのご助言もありおとなしくずっと寝ている・・・はずでしたが、やはり電話が何回か鳴りその都度仕事の対応をしていました。

そして今日は熱もすっかり下がり、単純にウィルスをなくすための日だなあと思っていたら会社から「共有ディスクが動かなくなりました」とのショッキングなお話。さすがにあれが壊れると会社の一大事なので、マスクをしながら1時間だけ出社、なんてこともしていました。

まあ、それはさておき、そんなことも出来るくらいに回復したと言うことですから、まずは一安心。

で、養生中に何をしていたかと言えば、読書ですね。

そんな中で印象に残った本をご紹介させていただきます。

この本の帯には「<自立>か<協調>か、<自由>か<統制>か- 歴代首相の立ち位置は吉田との政治的距離で決まっている。今の日本政治は昭和の歴史から何を学ぶべきか」とあり、Amazonでの書評では「本書は、日本外交史を専門とし学習院大学教授である著者が、吉田茂を通して「昭和」を概観する著作です。1920年代を理想とする吉田が激しく移り変わる政治的状況の中でどのようにその信念を貫き、どのような妥協をしたのか吉田とその周囲の政治家らの言葉に基づき検証。 」とあります。

そんな本を読んでいく中で感じたことを、思うがままに2つ書いてみます。

まず一つ目です。

民政党内閣であった浜口内閣下でロンドン海軍軍縮条約を批准しようとした際、政友会、特に鳩山一郎氏が「政府がロンドン海軍軍縮条約に調印したのは統帥権干犯である」と言って攻撃したことは知っていました(これが自分が鳩山一郎氏をどうやっても好きになれない理由なのですが)。
が、その1年ほど前の政友会の田中義一内閣の時、不戦条約を締結しようとした際、民政党がその機関誌において不戦条約第一条のin the names of their respective peoplesを「人民ノ名ニ於テ」と訳し、これを天皇大権(条約締結権)に触れる憲法違反と難じていたことは知りませんでした。

つまり政友会が与党の時は、民政党は党利党略から不戦条約問題を政治的に利用し、これを含みあらゆる機会を利用して政友会打倒を目指した。つまり手段を選ぶ余裕がないほど野党の民政党は追い詰められていたし、その後の民政党が与党となった後は、少数党に転落した政友会が攻勢を転じるには天皇の権威を利用して政府批判を展開するしかなかった。すなわち、不戦条約問題と攻守所を代えての政友会の論難だったわけです。

この時外務次官だった吉田茂は「政争がかくの如く苛烈になるに従って、常に外交問題を政争の具に供されるために、日本の外交の立場が非常に悪くなる虞(おそれ)がある、現に外交上頗(すこぶ)る面白くない現象がたびたび起こる、どうかしてこういうことのないようにしたい」と言っています。

・・・ん?どこかで見た風景が・・・?

では、それまでの明治・大正期には見られなかった現象が起こったのか?

それは二大政党制になったからとも言えるでしょうが、忘れてはいけないのは第一回普通選挙、すなわち納税額の制限がなくなった初めての選挙(男子のみですが)が行われた直後ということです。これにより政治参加の底辺が飛躍的に拡大し、有権者が一挙に1000万人も増えたのです。各政党はこの票を取り込もうとあの手この手で相手を攻撃したり、社会政策の整備に力を入れます。
ちょうどこの頃は第一次世界大戦の特需が終わり、昭和恐慌を迎えてもいます。そのため中央の都市の上流階級と地方の農村・漁村における下流階級との格差がより広がりを見せていた時代でもありました。

つまり一挙に増えた1000万人の有権者達は、ちょうど昭和恐慌に入っていく中で、社会的不安にさいなまれていたのです。

これらの要因が、よく言えばわかりやすい言葉、悪く言えば本質とは関係のないところでの耳に入りやすい言葉で時の政府を攻撃することが民衆の支持を呼び、政権を奪取するには手っ取り早いという発想につながったのではないでしょうか?

実はこの時も政友会と民政党に大きな政策の違いはなかったのです。であればこそ、イメージ重視ってやつですね。

その結果「統帥権干犯」というパンドラの箱を開いてしまうことにもつながったわけです。

そう考えると保守の二大政党というのは、余程両党が良識を持って取り組まない限り、国益上大変やっかいな問題を生むのかも知れませんね。政党政治の時代において国益を優先した外交優位の体制を確立することは難しいのでしょう。

もう一つはこの本の終章で書かれていた文が全てです。

「戦前・戦後の昭和史をとおして、対米関係をめぐり、日本は<協調>と<自主>の間を揺れ動いた。対米<自主>志向は、戦前の昭和期において、戦争の破局に至る。戦後の早急な対米<自立>志向は、鳩山や岸のように挫折する。 他方で吉田は、戦前・戦後、一貫して対米協調に努めた。戦前は軍部と対立してでも、アメリカとの<協調>と帝国日本の発展のバランスをとろうとした。戦後の吉田は、平和憲法と日米安保条約の矛盾を自覚しながらも、敗戦国日本の国家的独立のために、この矛盾を受け入れ、対米協調を基軸とする経済的な発展を優先させた。

(中略)

この戦後日本の矛盾は、戦勝国アメリカと敗戦国日本とが協調関係を築いたことに起因している。矛盾を解消する方法が一つだけある。日本がふたたびアメリカと戦争を戦い、勝利すればよい。しかし第二次日米戦争の決意がなく、あるいは決意はあっても勝利の見込みがないのであれば(おそらく今の日本には決意も勝利の見込みもどちらもないだろう)、この矛盾に耐えるしかない。」

今ギクシャクとしてし始めているように見える日米関係に対しても、何かと示唆するところが大きいと思いませんか?

やはり歴史は単純にお話としても面白いですし、今の状況に合わせて考えてみるのもまたいいですね。

これからの日本が弥栄えの国となることを祈って止みません。

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PL学園OBはなぜプロ野球で成功するのか? を読んで

この前コンビニに立ち寄った時、「夢は逃げない 自分が夢から逃げるだけ-PL学園31期生清原和博」と書いてある帯がつい気になって手にとってみたら面白かったのでおもわず買ってしまった本です。

アマゾンでの商品紹介にはこう書かれていますが、

なぜプロ野球選手になれるのか? なぜすごい選手が生まれるのか? PL野球部には“虎の巻”があった!!

巨人で活躍した橋本清氏をナビゲーターに、桑田真澄投手、清原和博選手など、プロ野球で活躍したPL学園OBたちを直撃し、『PL野球』の強さに迫ります。
PL学園独自の野球哲学、選手育成のメソッド、OBに共通するメンタリティなどをひもとくことで、日本野球界の“虎の穴”のすごさ、神髄がわかるはずです!
PL学園出身のスター選手たちが隠された秘密を今、語ります!

と言うよりは、PL出身者の思い出を中心に、自分たちのその後の人生の核となっている部分をもう一度考えてみるといった趣のものです。

出てくる選手は
桑田真澄、宮本慎也、立浪和義、清原和博、木戸克彦、金石昭人、吉村禎章、片岡篤史、野村弘樹、中村順司、前田健太といった錚々たる顔ぶれ。

その各々に人に最後に「プロ野球界でPL学園のOBが活躍できるのはなぜか?」と聞いています。その答えはどれも興味深いのですが、それを書くと商売妨害のような気もするので、各選手の見出しだけご紹介します。

・桑田真澄 失敗はない。経験は必ず後から生きてくる
・宮本慎也 自分の”姿勢”を見せないと人には何も言えない
・立浪和義 大切なのは運を引き寄せるために何をするか
・清原和博 夢は逃げない。自分が夢から逃げるだけ
・木戸克彦 必死に取り組めば何かが見えてくる
・金石昭人 神経を張りめぐらせれば相手の気持ちがわかる
・吉村禎章 野球を通じて人間性が鍛えられた
・片岡篤史 心の部分がしっかりしていれば技術は伸びる
・野村弘樹 勝利と敗北の差を知ってチームが強くなった
・中村順司 大事なのはハート。意欲と目標を持っているか
・前田健太 『桑田二世』にふさわしい実力をつけたい

文章中ではしきりと「自分で創意工夫する大切さ」が出てきます。
あとは「逆転のPL」について。なぜ逆境の時、より集中力が高まり、結果を出すことが出来るのか。が多く語られています。自分を見つめ直す意味でも、なかなか読み応えのある本でしたhappy01

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「全1192試合 V9巨人のデータ分析」 を読んで

休みの日の午前を使って、ちょっとこんな本を読んでいました。

この本はアマゾンの内容紹介によると、

「巨人がV9を達成できたのは、王貞治・長嶋茂雄のON砲が打ったからだ、との意見は根強い。しかし、二〇〇八年の横浜ベイスターズは、本塁打王と首位打者を輩出してもリーグ最下位を余儀なくされた。ふたりの最強打者が同一チームにそろうだけでは勝てないのだ。であるなら、相手よりひとつでも多く白星を重ねて、リーグ最高勝率を収めるためには、ONが長打を放つにも打ち方があったはずであり、ONの活躍以外にも何か必勝法があったはずである。それはどんなものだったのか?V9固有のものなのか、それとも野球普遍の法則なのか?「奇跡」とまだ呼ばれたV9巨人の全スコアを現代の視点から詳細分析。川上監督が目指した“野球”の実像に迫る。」
とのこと。

これは、大変興味深い内容が多かったですね。この著者の方のブログのコメントに、この本の読者(?)が

「特筆すべきはONというスーパースターが二人いたということだが、このONを中心に各選手がチームプレーに徹したことである。一番は足の速い柴田、2番はバントの名手土井、3,4番は長打力がありチャンスにも滅法強いON、5番はONの陰に隠れて見劣りがするが勝負強い末次、6番は打率が低いが守備の要(司令塔)の森、7番は堅実な守備のショート黒江で、オーダーは固定されていた~」

と書かれています。実際そのような認識を自分も持っていましたが、この本をよく読むと、それは必ずしもあっていないことがわかります。

なので、ちょっと内容のご紹介を。

勝利の普遍法則は初回リード

V9時の巨人は初回にリードすると勝率が.777。
ここ10年の優勝チームも初回リードの勝率が.774。
逆に初回にリードされると、勝率は3割に届きません。

つまり、初回にリードする野球を目指すのが、常勝チームの構築の第一歩。

そうなると思い出されるのが1番柴田、2番土井です。ところがイメージではコツコツ当てて、四球を選んで出塁していくといったところですが、巨人の初回1-2番打者の特徴は、出塁率にあるのではなく、実は打率と長打力にあるのです。長打率の比較で巨人.420に対して相手は.377。この裏返しとして、初回1-2番の三振とポップフライをあわせた率が、相手チームより高い。つまり積極的にバットをおもいっきり振っていっていたことがわかります。

これは早いうちに、無死、あるいは1死でランナー2塁という、相手にとって守りにくい得点機を演出するのみならず、序盤に良い当たりが多いと、その日相手バッテリーは、それ以降その打者とは勝負しづらくなり、警戒した配球になり、初回以降の四死球率が上がる結果になるのです。つまり「序盤の強打は終盤の果実」となっていたわけです。

そして1-2番が見事両方出塁すれば、初回の得点平均は1.9点となり勝率.743となり、逆に出塁出来ないと0.17点で勝率.540とかなり苦戦することになります。

もちろんON砲の威力も抜群なのですが、その前の1-2番の出塁こそが、V9巨人の勝利を支えていたのです。

下位打線は内野ゴロを狙った

V9巨人の下位打線には、対戦した相手チームの成績と比べて優れた点がふたつ隠されています。

一つ目は、三振をしない、ポップフライを上げないという点。三振とポップフライをあわせた率は特に6-7番だと相手より5分から6分も低いのです。

二つ目は、内野ゴロ率の高さです。こちらは相手チームと比較して3分ほど高くなっています。

このデータはげんきさんが日頃主張されていることにつながりますね。

こうやって相手チームにどうにも息の抜けない、いやらしい打線という印象を与えていたのでしょう。


この他にも見出しだけのご紹介ですが、

・ON砲よりNO砲のほうが勝率は高い
・「長嶋はチャンスに強かった」を検証する
・「5番打者」論
・川上巨人と原巨人を比較する
・初回、3回、6回に先頭出塁せよ
・川上盗塁王国と、王貞治の「王シフト破り」
・犠打、犠飛はどこでどう使われたか?
・試合をつくったV9巨人の先発投手陣
・まとめとして 野球は99%監督で決まる

など興味深い項目が目白押しでした。

単純に野球チーム論として、またはうちのチームもこうあればなんて思いながら読むことの出来る本です。

もし機会あれば、一度ご覧になってみて下さいhappy01

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学問のすすめ 現代語訳 を読んで

以前、文藝春秋の名著講義「学問のすすめ」を読んで、記事を投稿したことがあります。文藝春秋十二月号~名著講義「学問のすすめ」~を読んで

ただ、その時でもまだ「学問のすすめ」そのものをしっかりと読んだことはありませんでした。やはり福澤先生の文はくだけているとはいえ、文語体の文章を読むにはそれなりの気合いが必要で、ちょっと敬遠していたところがあるからです。

そうしていたら、昨日たまたま「高校野球小僧」を買いにいった時に、この本が目にとまり、現代語ということで読みやすく、そのまま一緒に買っていました。

そして、休日の今日一気に読んでしまいました。

その感想としては、何よりもまず驚きました。これを天保生まれの人が、明治5年くらいに書いているということに。揺らぐことのない思想と、現代に通じる、というか寧ろ現代社会の指針ともなるべきような事が書かれていたのです。

見出しだけでも伝わるものがあると思います

初編 学問には目的がある
第2編 人間の権理とは何か
第3編 愛国心のあり方
第4編 国民の気風が国を作る
第5編 国をリードする人材とは
第6編 文明社会と法の精神
第7編 国民の二つの役目
第8編 男女間の不合理、親子間の不条理
第9編 よりレベルの高い学問
第10編 学問にかかる期待
第11編 美しいタテマエに潜む害毒
第12編 品格を高める
第13編 怨望は最大の悪徳
第14編 人生設計の技術
第15編 判断力の鍛え方
第16編 正しい実行力をつける
第17編 人望と人付き合い

そして本の最後に解説がつけられていますが、これがまた秀逸で、この本を的確に表してくれています。私の感想もまさにこんな感じでした。抜粋ですがご紹介してみます。

学問をすることで自分の意識がはっきりし、経済がうまく回り、幸せな生き方が出来ると福澤は言っています。 当時の日本は、どのようにすれば国や個人が独立し、植民地化を防いで近代化できるのか、皆が考えなければならない状況にありました。そう考えますと、当時の学問がいかに切迫した重要事だったかわかります。 福澤は、すべての人が学ばなければならない、いわば「国民皆学」の思想を鼓舞したわけです。

今の時代にもっとも必要なのは、大きな目標を目指して動くことで、自分自身も充実するという連環ではないでしょうか。
世の中を良くしていくことと、自分自身の充実ということ。「国」や「公」と、「個」や「私」が、常に矛盾なくつながっている。そこが福澤スタイルなのです。

この本が書かれた明治初期は、男性が社会的に有利な社会で、女性は家庭生活においても今では考えられないほど低い位置にありました。
これに対して福澤は「親はともかく、結婚してからも夫の言うことを聞いて、最後は子にしたがえというのはあまりに不公平ではないか」と徹底的な批判をしています。おそらく女性はこれを読んだときに、非常に勇気づけられたでしょう。

そのような読み方をしてみると、今の時代にも通用する普遍的な論理が満載です。例えば、「国民は個人に契約もしくは委託されているようなものなのだから、きちんと一人ひとりの国民のために安全保障をして守るべきである」と正論を述べる一方で、「国民は気持ちよく税金を払え。少しのお金で安全を買えるなんてこれほど安い買い物はない」というようなざっくりとした言い方をしています。

今は自分たちが社会に参加しているという意識を持ちにくい時代です。その結果、自分の私的で快適な空間をどれだけ守れるかということに必死になり、国によって社会が安定している恩恵を大いに受けているにもかかわらず、国などいらない、税金など払う必要がないと考えてしまいがちです。自己意識はどんどん肥大しているのに、社会の中で自分の占める割合が極度に小さい。このギャップは、個人をむしばんでいます。
そのような社会では、「気概」を持つことは非常に難しい。福澤は、「衣食住を得るだけでは蟻と同じ」とバッサリ斬っています。また、「独立の気概のない者は、必ず人に頼るようになり、その人を恐れ、へつらうようになる」とも言っています。
ここで言う「気概」とは、単に根性を指すのではなく、きちんとやるべきことが見えていて、そこに全精力をかけていきたいという明確な思いのことです。

今はインターネット時代になって、交流の範囲がどんどん大きく広がっています。リアルの世界で気が合う人間がいなかったとしても、ネットの世界では自分と志を同じくする人をみつけられる可能性があります。
これを福澤流に言えば、「交際」ということで、「関心をさまざまに持ち、偏らずにいろいろな人たちからいい刺激を受けながら、多方面で人と接しよう」と説いています。交際は広げていくべきだという考えの究極の形がまさに現実となっているわけです。
しかし、逆の暗い面を見れば、ネットで知り合った顔見知りでない者同士が集団自殺したり、一緒に強盗殺人を犯してしまうことだって起こり得る。
しかも今の日本の場合は、日常生活において柱となる道徳がはっきりとありません。
生き方の型を失った現代では、心を安定させて生きていくことが一層大切になってきています。そのためには、社会と自分との関係をしっかりつかまえて、客観的に物事を判断できる能力は皆つけたほうがいい。そのざっくりとした態度というのも、やはり福澤の遺産と言うべきものです。

本書の最後は「人間のくせに人間を毛嫌いするのはよろしくない」という言葉でしめくくられています。そこでは、他人と積極的に交際し、知見を広めて、この社会全体を良くしていこうではないかという明るい展望が語られています。個人、人間関係、コミュニケーションの問題と、社会の作り方、国の支え方みたいなものがひとつながりになった一つのモデルをこの本は提示してくれます。
こうした民主主義の基本や、身分制に対する批判、人間は相互に皆同等の権理を持つという基本原理などは、戦後の憲法に慣れている私たちには馴染みやすいものではあります。しかし、現代の私たちはそのような原理が骨身に染みてきちんと身に付いているのかどうか、見直すきっかけにもなるでしょう。

この後、「福澤諭吉のことば」「福澤諭吉という人」「ビジネス書としても読める『学問のすすめ』」と続くのですが、訳して下さった斎藤孝さんも本当に素晴らしい方だと思います。

彼のプロフィールは「1960(昭和35)年生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て、明治大学文学部教授。専攻は教育学、身体論、コミュニケーション技法」とのこと。義塾出身者で無いにも関わらずここまでやってくださったことに、感謝の気持ちを捧げたくなります。おかげさまで、『学問のすすめ』の世界に、義塾を卒業してから14年経ってようやく触れることができました。

皆様も、是非一度ご覧になってみて下さい。福澤諭吉という人物が明治初期に思想家・教育者として日本に存在したことの奇跡を、感じることが出来ると思います。

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「甲子園への遺言」を読んで

この前たまたま本屋さんで手に取った本でしたが、その中身にグイグイ引き寄せられ購入してみました。

そうしたら、その中身がまたとても面白く、また共感できる内容だったのでご紹介させていただきます。

この本はアマチュア時代は強打者として鳴らし、プロ入り後は怪我に悩み、そして28歳で引退後は伝説の天才打撃コーチとして名を馳せ、そして60歳前後で高校の教壇に立ち甲子園を夢見て、でも病魔に倒れその志半ばとなった「高畠導宏」さんのドキュメンタリーです。

印象深かったところをちょっとだけ。

彼は、一人一人のバッターにとっての「軍師」となりました。 それぞれの打撃フォームや個性に応じて、彼の教え方は、縦横無尽に変化しました。 しかし、結果として、選手たちはスランプを脱し、見違えるような打法を披露するようになりました。 自分を誇らず、選手の陰に控え、そして自分の打撃理論をけっして選手たちに押しつけることがありませんでした。生前、高畠さんは 「コーチの仕事は、”教えないこと”だよ」と、笑いながら語っていました。

藤原は、若かりし頃のコーチ・高畠をこう評価する。
「やっぱり人柄ですよ。高さんは面倒見がいいし、努力する人が好きだった。いいのは放っといてもいいんや、とよくいっていました。あの若さでコーチになったんですから、それは苦労もしたと思う。でも、コーチとして成功したのはあの人柄が一番大きかったと思いますね。人柄が伴わないと、選手はいうことをきかんですから」

記事を執筆した会田がいう。
「(前略)高畠はそのピッチャーを徹底的に分析してくるんです。クセや配球、得意球、性格、ピンチに強いか否かなど、あらゆることを彼独自の眼で分析してくる。
 そして、そのピッチャーを丸裸にして帰ってくるんです。彼は単なる打撃コーチでもなければ、スコアラーでもない。お庭番のごとく動いて偵察し、そしてそのピッチャーを攻略するためのあらゆる材料を集め、その攻略法を作り上げる。それが高畠ですよ」

若くして現役を退き、野球界の裏方に徹しようと決意した頃のことを、高畠はこう語り始めた。
「プロの世界に入ってこられる人間は、必ずどこかにいいところがある。人より優れたところがなければプロには入ってこられません。だから私は、人より優れているその部分を徹底してほめようと思いました。以後三十年、私は一度も選手を怒らずに通してきました。その方が、選手ははるかに成長するからです。だから、私のコーチ時代というのは、本当に選手をほめまくった三十年だったと思います。」

ご覧になったことのある方もいらっしゃると思いますが、深く頷ける内容ばかりでした。人を育てるということは、そんなヒントを得られる本だと思います。もしご興味あれば、是非一度ご覧になってみて下さいね。

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ちょっとした本のご紹介~「新たなる聖地 -甲子園から神宮へ-」

ようやく、溜まりきっていたコメントに返信を打つことができました。やはり仕事は何でも、できるときにやらないといけませんねcoldsweats01

さて、そんな生活を送っている間に、塾野球部は東大相手に順調に勝ち点を挙げ、塾高野球部は昔年のライバル桐光学園に苦杯をなめ、某掲示板では対桐光戦への想いやらエンジョイベースボールについて話があったみたいですね。

さて、そんなことを読んでいたら、この本を思い出しました。確か、某掲示板で紹介されていたので買ったような記憶があります。

(紹介文)斎藤佑樹を初め、甲子園のヒーローのその後や、華の六大学野球、実力の東都リーグ、群雄割拠の地方リーグを描いた心揺さぶるノンフィクション。

とのことですが、本の内容は斎藤君は殆ど無く、大学野球に関する書き下ろしの本です。

しかもその内容でも特に、

第一章 「陸の王者」の矜持-慶應義塾大学 相場監督、加藤幹典、宮田泰成

第五章 伝説の剛球王-関西大学 山口高志

第七章 巨人を蹴った男-志村亮という生き方- 慶應義塾大学 志村亮

とまさに、阪急ファンでもあった自分としては、まさにど真ん中の本でした。詳しくは本を是非ご購入の上、ということですが、この第一章での文を簡単にご紹介します。

大森剛(塾野球部出身、元巨人):
「慶應の母校愛が大好きなんです。ひたすら甲子園を目指し、きつい練習をやっていた高校時代には大金をもらっても戻りたくありませんけど、大学時代には大金を払ってでも戻りたいですね」

宮田泰成(平成19年度塾野球部主将):
「高校時代から文武両道でやってきたので、慶應のほうが自分に合っているなとおもっていたんです」
「早慶戦の前になると、ミーティングで監督やキャプテンから『慶應に入った以上、早稲田には負けられない』と言われるんです。あの場にいると、自然と使命感に駆られます」

加藤幹典(塾野球部出身、平成での塾最多勝、東京ヤクルト):
「僕の性格だと思うんですけど、戦力の整った強いチームに入って勝っても、当たり前すぎて面白くない。だったら、慶應のほうが自分に合っていると思ったんです。もっとも、実際に入ったら、思ったよりレベルが高くて驚きましたけど。」

相場監督(塾野球部監督):
(説明文)正式に部訓として掲げているわけではないが、部が伝統的に標榜しているのが「エンジョイベースボール、シンキングベースボール」というキャッチフレーズだ。
「シンキングベースボールとは文字通り考える野球ですが、野球が考えるスポーツであるのは当たり前のこと。この言葉が言っているのは、ふだんの練習自体を考えて行えということです。そして、自分で考え、自分で工夫し、全力で試合に立ち向かい、勝ってこそ、真に野球をエンジョイできる。負けたらエンジョイも何もありません」


そして最後に彼らはこう言って締めます。

「”自分たちで集まったチーム”が”集められたチーム”に勝つ。これが慶應の良さです」(相場監督)

「進学校出身の選手がほとんどなのに優勝する。これは快感ですよ。慶應が優勝しても、世間は単なる優勝としか受け止めないでしょうけど、僕らは『見てよ、このメンバーで勝ったんだよ』と大きな声で言いたいんです」(大森)

「高校時代に実績のない選手が集まり、自分たちで厳しい環境を作り、チームを強くしていく。それが慶應の良さであり、面白さです」(宮田)

「強いチームを倒したいという気持ちが強いんですよ。逆に、弱いチームで勝つほうが目立つし、”美味しい”じゃないですか」(加藤)


こんなところが、神学論争に対する答えになるような気がします。

自分の出身校だからより思うんでしょうが、塾野球部はやはり素晴らしい伝統に支えられている、素晴らしい部だと思います。

ちなみにエンジョイベースボールを提唱したのは前田監督より更に古く、確か腰本寿監督(昭和初期)の時代じゃなかったかといううろ覚えの記憶があるのですが、どなたかご存じありませんか?

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大本営参謀の情報戦記 ~情報なき国家の悲劇 を読んで

この本はたまたまアマゾンであなたへのおすすめはこちらって送られてきた中にあげられていた本の一つです。それを読んでみたら、やはりとても興味深かった為、ちょっとご紹介してみます。

この本の作者である堀栄三さんは旧帝国陸軍・自衛隊でご活躍された方であり、情報のエキスパートとして名を馳せた方です。

この方は情報畑を歩んできた方らしく、自分を客観的に捉えようとされ、常に表記は「私はこう考えた。」ではなく、「堀はこう考えた。」といった記述の仕方です。

堀さんは陸軍大学校(軍人として士官を経験した後、更に専門的克つ指揮的な幕僚を育てる専門機関。詳しくはこちら)を昭和18年にご卒業された後、すぐに大本営陸軍部参謀として、第2部(情報部)のドイツ課-ソ連課-米英課に勤務されました。しかし彼は情報の教育を受けておらず、手探りの状態からスタートします。

しかし彼には御尊父を始め、土肥原将軍や寺本中将といった良きアドバイスをくれる人たちがいました。

御尊父(堀丈夫) 「情報は結局相手が何を考えているかを探る仕事だ。だが、そう簡単にお前たちに心の中を見せてはくれない。しかし心は見せないが、仕草は見せる。その仕草にも本物と偽物とがある。それらを十分に集めたり、点検したりして、これが相手の意中だと判断を下す。」

土肥原将軍 「戦術は難しいものではない。誰だってやっている。いまこの場面で相手に勝つには、何をするのが一番大事かを考えるのが戦術だ。そのためには枝葉末節にとらわれないで、本質を見ることだ。文字や形の奥の方には本当の哲理のようなものがある。表層の文字や形を覚えないで、その奥にある深層の本質を見ることだ。」

寺本中将 「陸大だけが人生の最終目標ではありませんぞ。陸大は一つの通過駅で、そこで何を汲み上げたかが大事なこと、そしてそれを元にしてこれから以後どう生きるかが、もっと大事なことですよ。陸大を人生の最終目標にして権力の座について、椅子の権力を自分の能力だと思い違いしている人間ほど危険なものはない」

また、フィリピンでは山下奉文将軍にも仕え、その人格に触れ、心を通じ合わせたりしてもいます。

内容については原書を読んでいただくことを強くお勧めしますが、堀さんはフィリピンにおける戦場の行動、本土上陸作戦の内容など米軍の作戦を次々と予測的中させ「マッカーサー参謀」と日米双方から言われるほどの方でした。しかしそれが有効活用されることもなく悲惨な敗戦を日本は迎えるわけです。

驚くべきことは戦場となったニューギニア、ソロモン諸島方面では正確な地図が無くてガリ版刷りの素図をもとに戦争を行った、対英米戦を始めたにも関わらず情報部の相手国の担当課、すなわち英米課が出来たのは太平洋戦争開戦約半年後という遅さだったこと、ここらから見てもいかに情報を重視していなかったかがわかります。

米軍も戦後の調査書で「日本陸軍の情報活動は対ソ戦に指向され~、真珠湾攻撃に至って、日本は初めて情報の総元締めである大本営第二部の陣容が貧弱なのに気付いた。また、第二部には特別に情報訓練を受けた者はゼロであった」と記載しています。

そして堀さんは太平洋戦争の緒戦の太平洋方面での日本の快進撃は、日本軍が強かったと言うよりは、米軍が各諸島に日本軍を分散させ、各個撃破するためだったのではと洞察しています。

他にも戦後の海軍合理的、陸軍神がかりの発想からか、悪く言われることの多い土肥原将軍にしても山下奉文将軍にしても、そして駐独武官から駐独大使となった大島浩氏(彼も本の最後の方に出てきます)も、ただ批判されるだけの人物では決して無く、むしろ人格面でも見識面でも立派な御仁もたくさんいたことが書かれており、そういった意味でも歴史というのは、複眼的な目で見る必要があるのだなあと思います。

堀さんは戦後しばらく隠遁し、百姓生活を送りますが、やがて自衛隊に入り再度情報活動に携わります。そこで戦争中とは違う、自分の責任回避に汲々とする上司がスエズ危機の際にいろいろと決心を固めない姿を見せていたことに対して、

「情報の判断には、百パーセントのデーターが集まることは不可能です。三十パーセントでも、四十パーセントでも白紙の部分は常にあります。この空白の霧の部分を、専門的な勘と、責任の感で乗り切る意外にありません!」

と言われたそうです。

巻末で堀さんはこんなことを書かれています。

「堀は「悲劇の山下兵団」と題して、某出版社向けに四百枚ほどを書き綴った。傍で見ていた父が「負けた戦を得意になって書いて銭を貰うな!」と叱った。堀が参加した比島(フィリピン)決戦だけでも、四十七万七千名が戦没している。その人たちは書くことも、喋ることも、訴えることも出来ないのだ。明治男の父の言葉にはいつも言外に大事な意味があった。」

「いまや、戦争を体験しない人たちの世代となって、当時のことを知る術が次第になくなっている。そう思うと勧めに従って書くことが必要だと感じだした。」

「情報に無知な組織(国家、軍)が、人びとにいかなる悲劇をもたらすかと情報思考の大切さを、本書中から汲み取って下されば幸いである。」

いろいろと考えさせられる言葉です。

このように軍事をからめた情報の話がこの本の主題なのですが、この情報に関する考え方は仕事面でも野球とかの戦術面でも大いに参考になるお話だなあと思ったわけです。以前の日大藤沢高野球部監督をされていた鈴木博識氏も中国の「孫子」が自分のバイブルと話されていたそうですが、いろいろな分野でのいろいろなお話が、それが一生懸命に極めようとしていればいるほど、似通ったり、通じる部分が多いものですね。これからもいろいろな分野での話に興味を持ち、より自分の幅を広げていきたいものです。

個々の事例についてはこの記事では殆ど端折ったので、この本に興味ある方は是非ご一読ください。

では、今後ともよろしくお願い致します。


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文藝春秋十二月号~名著講義「学問のすすめ」~を読んで

唐突ですが、私は月に1回の文藝春秋を読むのをとても楽しみにしています。

あの取っつきにくいサイズと素っ気のない表紙に敬遠しがちでしたが、祖父の家で何気なく手にした10年くらい前よりよく読むようになりました。

その中の記事で我が意を得たりと思える文章があったのでご紹介します。

名著講義と言って「国家の品格」で名を馳せた藤原雅彦教授が、お茶の水女子大にてこれはという本を学生に読ませ、その感想を言い合う企画です。

今回は福澤諭吉著の「学問のすすめ」でした。

最初はご多分に漏れず、学問のすすめの余りにも有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の印象から平等の話かと思ったら、「人の上か下かは自己責任」と言っていることに学生が驚くところから始まります。

この中で福澤は実学を重視していて、それに対して学生たちは人文学系もより大事ではないかと問題提起します。

それに対して藤原教授は昔は自分もそう思っていて、自分のやっている数学は意味ないと言われているようで、この本を批判的に読んでいたと言った後、でもこの本だけを見るのではなく、時代背景、国際環境、教育事情を見通した上で読むと違った面が見えてくると説きます。

すなわち福澤は祖国日本がこのままでは列強の植民地となってしまうと考え、そのために経済や工学を起こして商工業を発展させ文明を発展させなければいけない、武器や軍備を充実しなければいけないと考え、実学を学ぶことの必要性を少々荒っぽく言ったのではないかと説いたわけです。つまり「この本は、日本をよくしなければならない、欧米列強に侮られてはいけないという強い祖国愛に裏打ち」されているとしたのです。

更に話が進むと、学生から「福澤は外国かぶれではないか?」と問題提起がなされます。

そこで藤原教授は、福澤が元々は儒家の家に生まれ漢詩・漢文・儒教などの漢籍の教養をたっぷり身につけていたこと、他の著作で徳義の大切さを語っていることを教えます。そして「文明論之概略」での「徳は智に依り、智は徳に依る」等の言葉を出し、「学問や徳義を国民が身に付け、気力を充実させ富国強兵に邁進すれば欧米など恐くない」と言っているんだと言います。

そして更に学生と討論を深め「一身独立して一国独立する」という言葉に到達し、ある学生が「最近のマスコミを見ると、投票率が低いのも、政治家の汚職も、みんな国や官僚のせい。国民を批判する様なことはないですね。視聴率を取るためかもしれませんが、逆にとても不誠実だと思います。」とし、「国民にも責任を求めることが民主主義だと思います。」と発言します。

これには藤原教授も同意し、だから残念ながら「学問のすすめ」は今も新しく感じてしまうとしています。130年の幻滅が加わっただけだと。

そして最後に以下の言葉で締めています。

「福澤は、武士の権威としての刀を「馬鹿メートル」と呼び幕末に売ってしまい、武士の知としての儒学を切り捨てた人物である。にもかかわらず、武士とは義に生き義に死す者、と定義するなら福澤は真正の武士である。福澤における義は国家の独立不羈である。文明も民主主義もそのためである。福澤がこの目的のためなら死をも辞さないであろうことは本書にみなぎる気迫から明らかと思う。福澤は武士の姿形を真っ先にかなぐり捨てながら、武士の核心たる義勇仁、もう少し正確に言うと、それに実証的学問を意味する理を加えた義勇仁理、を掲げ自ら貫いた「新武士」だったのである。」

全く同感です。今回は余りにも「我が意を得たり」だったので、敢えて余り書きません。

学生時代の頃は折角の塾祖の著作には余り興味が湧かなかったのですが、普通部の時にいろいろとそんな福澤精神を教えてもらっていたので、とある掲示板でも使っている「独立自尊」という言葉がとても気に入っていたのです。

今回の150年式典で天皇陛下も「独立自尊に言及されたとのこと。今なお新鮮な言葉です。

自分の母校の始祖がこれほど尊敬できる人物であることを、本当に心から嬉しく思えます。

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書評「大東亜会議の真実」

大東亜会議の真実 アジアの解放と独立を目指して
PHP新書 294

近頃読んだ本の中でも、興味深く読み切った本です。

最近のニュースでも「従軍慰安婦」とかの話題が出ていますが、この問題に関してアメリカが擁護するわけはないでしょう。アメリカとしても戦前の日本はそれこそ邪悪な帝国、「悪の枢軸」だということにしていますから。そこを否定すると、アメリカの第2次世界大戦そのものの正邪の問題になるので、間違っても肯定するわけはないと思います。

つまり歴史とは、その歴史に密接な利害を有する人たちがいる限り、公平な史観というのは難しいのだと思います。特にどこかの国の大統領までもが口にする「正しい歴史観」「人類普遍の原理原則」などというのはありえないのだっとも思います。

ちょっと前置きが長くなりましたが、そんなことを考えながら読みました。
大東亜会議は昭和18年11月、戦時下の東京にタイ、ビルマ、インド、フィリピン、中国、満州国の六首脳が集まって開催されたものです。正直この会議は文中でも述べられているとおり「アジアの傀儡を集めた茶番劇」のように思っていました。しかし、集まった人物のそれまでの経歴、その後の経歴を改めて読んでみると、そんな簡単な人物ではとてもない。

この文中で登場する人物達は今の日本にも通じる痛烈な批判を様々な場所でしています。

中国南京政府の汪兆銘はこう言っています。
「日本政府に対して言いたいことは山ほどあるが要約すると3つの不になる。『上位不貫徹、前後不接連,左右不連携』。上役がよろしいと言っても下が聞かん。前任者が言ったことを後任者はそんなことは俺は全然知らんと問題にしない。左右の連携も全く欠けている。外務省がいいことを言ってくれたと当てにしていると、一つも陸軍は聞いてくれない。外務省が言ったことなど俺が知るかという態度だと。これが日本の悪いところ」

フィリピン代表のホセ・パシアノ・ラウレルはこう言っています。
「率直に言って、日本はフィリピン人の心理をつかむに失敗しました。フィリピン民衆はこの3年間、初めて多数の日本人と接触して残忍なる民族なりとの観念を抱くに至りました。その掲げる理想は我々が共鳴出来るものでしたが、やっていることは民衆の生活を顧みず、かえって不安を生じさせるものであり、軍に対する不平不満の声は日に日に増し国中に広がるほどでした。特に憲兵の苛烈横暴に対する反感は政府要人に至るまで広がり、とうてい救いがたいものになっていました。」
「日本はなぜ、かつて台湾総督、児玉源太郎が台湾を統治した方法に則り、力をもって強圧するのではなく、人情をもってフィリピン民衆に臨まなかったのか?これが日本の失敗といわずしてなんであろうか」

満州国の張景恵はこう言っています。
「日本人ほど便利な民族はいないではないか。権威さえ与えておけば、安月給で夜中まで働く」
「日本の軍隊は世界一強いが、日本の軍人は戦争の意義を知らない。戦争は国と国との取引のひとつの手段に過ぎないものだ。日本の軍人は戦争と個人の果たし合いを混同して、どちらかが息の根を止めるまで戦おうとする」
「日本は正しいことをやったけれども、しかしうるさいなあ」

自由インドのチャンドラ・ボースはこう言っています。
「日本という国が偉いことは認める。良い兵隊がいるし、いい技術者もいて、万事結構である。ただし日本には良き政治家がいない。これは致命的かも知れない」

ビルマのバー・モウはこう言っています。
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない」

大東亜会議で採択された「大東亜共同宣言」は内容そのものは大変理想的なものでした。「しかし軍が現地でやったことがすべてを台無しにした。皆が日本を信じたのに、それを日本が裏切ったんだ。」というわけです。

第二次世界大戦に対する総括は本来「戦争は国益の衝突」だったものに対して、「民主主義対ファシズム」という対立図式を硬直的・教条的に当てはめることによって、その真相を極めて単純化してしまいました。そのためはっきりと「勝てば官軍負ければ賊軍」を地でいくようなものになっています。

しかし各国それぞれがそれぞれの事情を抱え、その国なりに一生懸命生きていたことを考えると、日本のみならず世界が第二次世界大戦の意味をもう一度考え直す必要があるのではと思います。つまり単純な善玉と悪玉の戦いと見るのではなく。

変に日本を美化するわけでもなく、かといって自虐的な言い回しをするわけでもない。そんな距離感が、とても説得力をもったものにこの本をしているのだと思います。

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