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カテゴリー「映画・テレビ」の22件の記事

「尾根のかなたに」の特別試写会に行ってきました

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(ネタリカさんにあった写真を借用しました。盗撮ではありません!)

何気なく応募した今回のWOWOWのドラマの試写会。当選通知が携帯に入り、しかも念入りに「今回の試写会は人数が少なくキャンセルは極力避けて下さい。席も決まっています。」と言われ、そんなにすごいのであればと思い、今日無理矢理休みも取って、試写会に行ってきました。

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試写会の番組はWOWOWのドラマW「尾根のかなたに 〜父と息子の日航機墜落事故〜」というもの。

番組のHPはこちらになります。
http://www.wowow.co.jp/dramaw/onenokanatani/

試写会と言ってもこのドラマは前編と後編があり、前編のみの上映だったので、まだどんなお話の全貌かとはわかっていません。

が、前編だけでも十分にスクリーンに吸い込まれる迫真性がありました。

それはやはりキャストとスタッフの熱意なのでしょう。

監督の若松節朗さんは、山崎豊子さん原作の「沈まぬ太陽」のメガホンも取っていらっしゃっていて、この事件そのもの対する造詣も深く、実際に御巣鷹山に登られてもいます。

脚本の岡田恵和さんは、NHK連続テレビ小説の「おひさま」の脚本などを手掛けられ、細やかな家族の感情を描写するのが上手い脚本家です。

そしてキャストが、伊勢谷友介さん、玉山鉄二さん、松坂桃李さん、萩原聖人さん、緒形直人さん、石田ゆり子さん、広末涼子さん、國村隼さん、余貴美子さん、貫地谷しほりさんなど、余り芸能界に詳しくない自分ですら聞いたことがある人ばかり。そんな方々が月並みですが311を過ぎ、同じく突然の災害のつらさや絆の大切さを実感した後に演じているだけに、リアリティを感じさせるものとなっていました。

舞台挨拶はその中で伊勢谷友介、玉山鉄二さん、松坂桃李さん、萩原聖人さん、緒形直人さん、石田ゆり子さん、若松監督、岡田さんが出演されました。

以前試写会に行ったこともありますが、そんなに長く話すことは無かったのですが、今回は30分以上それぞれの思いだったりなんだったりを話されていて、それがまたたまらなく楽しかったです。みなさんがどのような想いでこの作品に臨み、どのように入り込んでいったかを語っていらっしゃって、一人一人の想いが伝わってくるようでした。

その時の発言内容はこちらで。
http://www.crank-in.net/entertainment/news/20545

自分の見た印象は

伊勢谷さんは、場慣れもしているのでインタビューの受け答えもそつなくこなしていました。で、サービス精神旺盛で、他の俳優さん達のインタビューの時もつまったりここ突っ込んでほしいみたいなところで合いの手を入れて、優しいんだなあと思いました。

玉山さんは、ちょうどお父さんになったばかりだそうですが、真剣にこの作品と向き合い、自分の今までも省みている感じでした。実際彼がメインに出てくるのは後編になるので演技そのものは余り見ることが出来ませんでしたが、インタビューの際に一言一言噛みしめるように話していたのが印象的でした。ちょっと途中で話しがネタバレになりそうで無理矢理内容を入れ替えているうちに真っ白になってしまったような場面もありましたが、インタビューが次の人に移った時、伊勢谷さんがタオルをそっと渡して汗拭いたら?みたいにしていたのも印象的でした。
ちなみに彼には試写会が終わった後、しばらくブラブラしてから駐車場に行こうとしたところばったり会いました。ここで黙っていられないのが自分の性分。「素晴らしい作品をありがとうございました!」って話しかけたら、偉ぶるわけでも無く控えめに、でもにっこりとしてくれて「どうもありがとうございます。後編もよろしくお願いします。」って答えて頂いたので、「出番は後半ですものね。是非拝見させていただきます。」なんてお答えしました。う〜ん。本当にいい人だ!

松坂さんは「梅ちゃん先生」でブレイクした俳優さんですが、まだまだ初々しく、インタビューで話そうとしているうちの半分も話せなかったように見えました。自分にウソが言えず、段々と尻すぼみになってしまうところを伊勢谷さんにうまく突っ込まれていました。松坂さんが話している間、伊勢谷さんが心配そうにずっと松坂くんを見ていているのを見て、弟のように可愛がっているんだなと思いました。

緒方さんは劇中では明るい役でしたが、実際の彼は寡黙な感じで、玉山さんと同じくこのお芝居に真剣に向き合っていたんだなと思いました。そう言えばこの2人は親子役でした。「ひまわりのように」と監督に言われていたそうですが、まさにひまわりのような演技でした。さすがです。

石田さんはお芝居に対して高い理想を持っていらっしゃるんでしょう。上の記事でも触れられていますが、「若松監督の率いるチームは本当に素晴らしくて、あたり前のことですがひとりひとりがプロで。最近はなかなかそういう現場がなくて…ごめんなさい、今のは失言ですが(笑)、そのぐらい素晴らしいチームでした」と発言されていました。いつもそう思っているんでしょうね。前半だけでもいろいろなお母さんの顔を見せていて演技に引き込まれました。

やっぱり演じているのも生の人間だけに色々な感情があります。そういったものに間近で触れられただけでもとても嬉しかったです。題材は重いものですが、それだけに人生や家族について色々と考えさせられました。

あと、細かいところで興味深かったのが、プレスの方の準備方法。

1)まずホワイトボード(で良かったかな?基準となる白色の板)を持って来て、カメラのホワイトバランス調整をみんなでしていたこと。

2)続いてひな壇にスタッフが座って、フレーミングの調整をみんなが行っていたこと。

3)そして実際に集合写真を撮る時、せ〜のはい!じゃなく、連写で撮っていたこと。そっかあ、こうすれば表情の良い写真を選べるではないか!仕事柄地鎮祭や上棟式の時の集合写真を撮ることも多いので、これからは連写で行こうと思いました。

更に作中のしょうもない突っ込みで言えば

1)多分1980年代にキャンプに出掛けているシーンがあるのだが、その時にアルミ製の便利なキャンプ道具はきっとないでしょう。

2)同じく1985年に中華料理屋で食事を取っているシーン、エアコンのリモコンが最新式でした。もっとアナログな形だったはず。

3)1970年代のシーンや80年代のシーンでの電話がやたら薄く、これまた最新式のものでした。もっと黒電話風でないと。

なんて小道具に少々。でも体育館のセットとか、奉天のセットとか、さすが全部ロケで拘っただけあって、スタッフさんの努力が垣間見られました。


一応テレビドラマでしたが、そこらへんの邦画でも無いくらいの豪華キャストと深い思い入れ。とても素晴らしい作品でした。後編も楽しみです(^o^)

「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回 開戦・リーダーたちの迷走」を見て

ちょうどこの番組を見た次の日に東日本大震災が発生しました。それから感想を書くのを失念していましたが、今改めてこの回も含め見てみると、この「日本人はなぜ戦争に向かったのか」はこの震災後の動きにも大きな示唆を与えているように感じます。

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今回はリーダーたちがそれぞれ対米戦に対して悲観的な見通しを持っていたにも関わらず、なぜ国策が決まったかということを、大本営政府連絡会議を通して説明しています。

この大本営政府連絡会議は、参謀総長、軍令部総長、陸軍大臣、海軍大臣で構成されていたが、1941年7月21日以降は内閣総理大臣、外務大臣、企画院総裁が常任の構成員に加わり、以後は大蔵大臣やその他の国務大臣、参謀次長、軍令部次長などが必要に応じて臨席したものです。

その前にも五相会議と言って首相、陸相、海相、外相、蔵相が集まって重要国策の方針を話し合っていましたが、どちらにしてもたとえば首相が最終的な決定権を持っているとかのコンセンサスの無いものであり、必然的に各部門の利益を主張するにとどまる場合が殆どになってしまいます。

そして、その主張は相反するものとなるため、いつも結論は総花的。よく言えば選択肢を多く残す結論ですが、悪く言えば何も決めていない先送りばかりの会議となっていました。

特に開戦決定の時に盛んに言われている言葉が「会戦の決意をする決意をここでは決め、期限を区切った」という言葉。まさに言葉が踊っている様子が感じられる言葉です。

このシリーズは当事者の証言テープが多く出てくるのが特徴ですが、総じて感じられるのが他者のせいにしている言葉が多いこと。

陸軍軍務局長武藤章「内閣書記官長(現在の官房長官)から海軍の方に戦は無理だと言うように言ってもらえないか?日米開戦だけはなんとしても避けねばならんのだ。」

海軍軍務局柴勝男「それはずるいじゃないか。それを決めるのは首相の近衛さんだ。」

企画院総裁鈴木貞一「夜分に突然海軍の及川(当時海軍大臣)と豊田(当時外務大臣)がやってきた。何を言い出すかと思えば、開戦決定の御前会議の前に天皇陛下に奏上して、我が国力では戦争は絶対無理だと言ってもらえないかとのこと。それは出来ませんと言ったんだ。」

内大臣木戸幸一「(近衛首相とルーズベルト大統領の直接対談の調整時、アメリカ側から日本としての総意を持ってきてくれと言われ)それじゃダメなんだ。撤兵案ですったもんだするに決まっている。むこうには腹芸とかがわかっていない。で、あれはお流れになったんだ。」
「(東条英機を首相に奏上したことについて)政治家なんていうのはとっくにどっかにいなくなっている。その点むろん政治家ではなく、器もあまり大きな人ではないけど、もう東条に任すしかなかったんだ」

東日本震災後に各方面が話す言葉と、やけに似ていませんか・・・?

日本は海に囲まれた国で、侵略者というものが隣り合わせにいるような状態でもなかったため、コンセンサスを重視し、突出したリーダーを好まない傾向にあるためか、リーダーの一番大事な仕事を決断ではなく調整と捉えてしまっているところがあるように見えます。

特に組織の人事が硬直化していると、全体的な判断ではなく、その部門の論理からしか判断できなくなってしまうのでしょう。

たとえば、上記で紹介した開戦間際のタイミングで、ではなぜ海軍は対米戦は無理だ!と主張しなかったのか?を考えてみましょう。

海軍は軍備的にも資源的にも米国と戦をするのは無理である→ではここ数年海軍費を増加し、軍備を増強していたのは何のためか?(日中戦争で増え続ける陸軍の予算に対抗して海軍も増やしていました)→だったら予算の割り当ては今後は減らす→大体陸軍は中国で苦戦を続けているというのに、海軍のなんと腰抜けなものよ!→組織としてじり貧になりそうだ

みたいな流れもあったのではないでしょうか。

他の組織で見ても、要は「貧乏くじは引きたくないけど、この状況はまずい」と言っているということなのでしょう。

部門同士で利益が相反するのは当然です。だからこそ、リーダーが覚悟を持って決断すべきで、まわりも一旦下された決断には従うといったことが必要なのです。

これを批判したり、慨嘆するのは簡単です。では、実際に自分の立場に置き換えてみた時、おのおのそういった傾向に流されてはいないか?と思うのです。

よくテレビで声高に今回の東京電力の対応、菅政権の対応について批判している人たちを見ます。では、実際にその人たちはそういったことには一切流されないと思っているのでしょうか?今批判されている菅さんだって、もし野党だったら今の人たちと同じようなことを言って批判しているんだろうなあと思ってしまいます。自分だって会社の中でこれと同じようなことが無いかと言えば嘘になります。まだまだ若輩者で大した経験もしていませんが、他の組織を見ても、多かれ少なかれこういったことは感じることがあります。声高に言っている人たちも、内に帰れば自分が批判していたようなことをしていることもあるのではないですか・・・?

つまり、我々はどうしてそうなってしまうのか?ということについて思索を加えず、対策を考えるわけでもなく、ただそこで起こっている現象に対して批判をするだけに陥りやすいと、近代史を紐解くたびに感じます。もっと我々の特性とそれに対する対応策は考えるべきだと思うのです。

明治維新後であれば西郷従道が陸軍大臣をやった後に海軍大臣を務めたり、参謀総長に付いていた山県有朋は首相経験者であったりしました。戦後しばらく続いた首相は、たとえば田中角栄にしても郵政大臣でテレビ放送を本格的に離陸させたり、大蔵大臣で証券不況に対して日銀特融で乗り切ったりと様々な部門で活躍しています。やはり一つの組織に染まるのではなく。多種多様な部門を率いて経験を積んだ人たちが、リーダーになるべきで、そうなるような政治家の仕組み、官僚の仕組みを作るべきではないかと思います。
政治家については与野党関係なく、若いうちには国会の各委員に就任し、行政の経験を積むべきでしょう。党利党略の駒になっていたのではもったいないです。
官僚も各省庁ごとの採用ではなく、高級官僚なら高級官僚として日本国に採用されるようにし、省益から離れた発想が出来るようになってもらいたい。

もちろん日々の仕事に対しても、決断に至る過程はどうあるべきか、その根拠は何に求めるべきか、そして決断した後はどう行動すべきかを常に自問自答すべきだと思います。

今回のシリーズは、東日本大震災という大災害に対しても大きな示唆を与えてくれるモノだと思います。外交、巨大組織(東京電力、各省庁)、報道、決断。どれをとっても参考になることばかりです。よくお隣の国が言う「歴史を鏡として」。まさに、この歴史を鏡として今後の我々の行動への指針とするべきだと思うのです。

今回の感想は、東条英機の腹心で、「黙れ!」で有名な佐藤賢了の証言で締めたいと思います。

「もしかしたら万が一にも我が目的が達成されることもあるかもしれない。そういったあやふやな期待に基づいて方針が決められていった。」

「独裁的な日本の政治では無かった。だから戦争を回避できなかった。こうした日本人の弱さ、ことに国家を支配する首脳、東条さんをはじめ我々の自主独往の気力が足りなかった事がこの戦争に入った最大の理由だと思う。」

「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第3回 "熱狂”はこうして作られた」を見て

今日第4回が放送されるこのシリーズですが、その前に第3回の感想を書こうと思います。

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ただ、今年の始めに、よく球場等でお世話になるAOKさんから「太平洋戦争と新聞」という本を紹介されていて、

読んでいたのですが、放送内容もこの本の内容に似ていたので、結構この本のダイジェスト版のようにも感じ、少々既定路線の論調に合わせようとする部分も感じました。

相対的な流れとしては

昭和の初期、まだそこまで軍の統制がきつくない時代であった。しかし戦争が起こると、自分の夫は、子供はどうなったか?といったことを気にする人が増え、新聞の部数拡張に大いに寄与することとなる。満州事変でその傾向が色濃く出た。(本ではある記者が自嘲気味に「毎日新聞後援、関東軍主催、満州事変」と言っていたエピソードが掲載)さらには在郷軍人とかの不買運動もあり、新聞は迎合的扇動的論調へ突き進んでいく。そうやって自分たちが作り出したうねりに、自らが飲み込まれてしまった。もはやそこに批判を加えることは経営的困難を招くことになり、木鐸よりは組織防衛に入った。さらには新メディアであったラジオも、ナチスドイツの宣伝省を参考に熱狂を生み出す装置となり、その大きなうねりに誰も抗らえなくなった。

象徴的に出ていたのは、開戦間際の12月1日、連絡会議に向かう車の中で交わされた東条首相との会話です。
「最近投書は何をぐずぐずしているんだといったものが多く来ています」
「東条は弱腰だと言っているんだなあ・・・」

といった感じです。これだけだと余りに言論は情けないなあというだけで終わってしまうのですが、上記で紹介した本ではその中でも抵抗していたところの紹介もありました。

たとえば地方紙の信濃毎日新聞の桐生悠々が書いた「関東防空大演習を嗤(わら)う」の弾圧については触れられていました。これは昭和8年に実施された空襲が来たときの防空大演習について、桐生悠々が「木造密集の家屋が立ち並ぶ帝都の上空に一機でも入れれば敗北である。東京上空で迎え撃つのではなく、断じて敵機を領土内に入れるな」という今から見れば至極ごもっともの論説に対して、在郷軍人が「嗤うとは何事だ!」とし謝罪文の掲載と桐生悠々の退社を要求。話し合いもらちがあかず、結局その通りの結末となったというものです。

でもその前、五一五事件(この時凶弾に倒れた犬養首相は塾員ですね)に対して、動機の純粋さに同情する論調ばかりが目立つ大手各紙に対し、九州の地方紙であった福岡日日新聞の菊竹六鼓が真正面から事件への批判、大手新聞への批判を展開したことは触れられていませんでした。彼は社説で六日連続で論じます。最初のタイトルは「首相兇手に斃る」で「陸海軍人の不逞なる一団に襲われたる犬養首相」「その七十八歳の老首相を捉え、ムザムザと虐殺をあえてせる行為、実に憎むべき」とバッサリ断じています。そして次の日は「あえて国民の覚悟を促す」とし、「昨年来、軍人間に政治を論じ革命をうんぬんするものあり、事態容易ならずとしばしば耳にせる」「もし軍隊と軍人の間に政治を論じ時事を語りて(中略)国軍まず自ら崩壊することは必然である」と軍部ファッショにこそ問題だとはっきり指摘。更に他の新聞が軍部を恐れ、沈黙し、問題点をずらして論じる中で、軍部ファッショへの怒りがさらにエスカレート。「当面の重大問題」では張本人の荒木陸相、陸軍省を名指しで糾弾。更に一番言論が必要とされる時に節を曲げ、沈黙した他の新聞へも仮借なき批判を「騒擾事件と輿論」で加えるなど、懸命に吠えました。それに対して激しい抗議が新聞社に寄せられましたが、菊竹は「国家のことを想っとるのが、あなた方軍人たちだけと考えるなら大まちがいだ。国を想う気持ちはあんた方に一歩も劣りはせん」と激しくやりあい、永江副社長も「正しい主張のために、我が社にもしものことがあったにしてもそれはむしろ光栄だ」「(このままでは会社がつぶれると泣きついてきた販売に対して)バカなことを言ってはいかん。日本がつぶれるかどうかの問題だ」と毅然とした態度を貫き、そして乗り切ったそうです。

また福澤先生以来の伝統を誇っていた「時事新報」も二二六事件の際の社説で孤軍奮闘します。この事件に対して他の新聞が触れられずに逡巡している中、時事新報も「社説を一日休もう」としたところ当時の近藤社説部長が「時事の社説は時の重要問題を恐れて避けないのが独立自尊の伝統である。社説部長の職にある限り、私は決定に従うことは出来ない。自分は即刻、現職を辞して退職する」と主張。これが通り、まずは国民の冷静沈着をたたえ
当局の収拾を促すものの、やがて強い調子で軍部。反乱軍を指弾。更に陸軍の下克上の風潮を非難し、返す刀で新聞の勇気のなさも批判します。「民意の代弁機関にして威武に屈せざる気概を示していたならば、或は余ほど違った現象が現れたかも知れない」とし、”言論の責任を分担する我が輩も、(中略)慚愧に堪えない”と自己批判するなど、縦横無尽に斬りまくったそうです。

更には、そもそもの戦争のメディアミックスを取り上げるのであれば「爆弾三勇士」の話しを入れた方が良かったかも知れません。美談として取り上げ、商売として活用したこの事例は、マスコミとビジネスのバランスについて考えさせられますから。そしてそれは「百人斬り」とその後のBC級戦犯の悲劇にも繋がりますから。

マスコミが情けなかった、というだけではなく、こういう抵抗をしていた人たちもいたのにどうしてそれが主流にならなかったのかとか、商売となったのは自分の親族だけではなく、戦争そのものをショーアップしたことから始まっていることに言及しても良かったように思えました。

次回の放送でも感じたことですが、やはり安易に流されるのではなく、一人一人が自分の考えをしっかり持って、問題を矮小化して考えるのではなく、本質に迫った考え方をすることが大事なのだと思います。そう、つまり「独立自尊」の精神がいつの時代にも必要とされていると思うのです。なので「マスコミが情けなかった」ではなく、「どうやれば国民ひとりひとりが独立自尊の人となれるのか、なれたのか」と考えられる構成にした方が良かったのかなあと感じました。その点で、「太平洋戦争と新聞」は読んでよくよく考えさせられました。お時間があれば是非ご一読をお薦めします。AOKさん、素晴らしい本を紹介して下さいまして、どうもありがとうございました!

「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第2回 巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム 」を見て

放送からはかなり経ってしまいましたが、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第2回 巨大組織“陸軍”暴走のメカニズム」を見ました。

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今回のお話しは、戦前の最大の官僚組織と言ってもいい(海軍は陸軍に比べ段違いに人員が少なかった)陸軍に焦点を当てています。

曰く、日本を戦争の道に引きずり込んだとされている陸軍が、実は一致団結して戦争の道に突き進んだのでは無く、エリート集団の人事・派閥抗争からあれよあれよという感じで進んでいったのだと。

物語は、第1次世界大戦で手痛い打撃を受けていたドイツの保養地バーデン=バーデンで少壮幕僚たちが会談したところから始まります。


バーデン=バーデンの密約

この中で第一次世界大戦とその後のドイツの惨状を見た上で、近代戦争は総力戦(くわしくはこちら)となり、その破壊力のすさまじさ・国家体制のあり方と現状の日本の情勢・軍の状態を考えると、早急に軍の近代化と国家の戦争遂行体制の刷新を図らなければいけないと彼らは危機感を抱き、そして語り合いました。

これを契機に一夕会(詳しくはこちら)が結成され

1. 山縣有朋の影響下にあった陸軍の人事を刷新し諸政策を強力に進める
2. 満蒙問題の解決に重点を置く
3. 荒木貞夫、真崎甚三郎、林銑十郎の三将軍を盛りたてる

を目的としたそうです。そこでクローズアップされるのが「永田の前に永田無し、永田の後に永田無し」と謳われた永田鉄山(詳しくはこちら)です。彼を始め一夕会のメンバーはそれを実現するには自分たちがある程度の地位にいないといけないと考え、人事でのポジション争いに移ってきます。そして考えもそのうち人それぞれによって変わってきて、人事抗争が激化する中、軍務局長という要職に上り詰めていた永田鉄山が相沢中佐に斬殺されるという事件が起こり、いよいよ収拾が付かなくなり、翌年に226事件、さらに1年後に日中戦争(宣戦布告が無かったので語句が適切かどうかは別にシナ事変の方が合っているのかもしれません)勃発といった具合にどんどん事態が膨らんでいく様が描かれています。

さらに対米戦争前夜、誰もが対米戦争への勝利の見込みが無いまま、予算縮減をしようとすると大きな抵抗に遭い、抜本的な解決に向かわず、戦争になだれこんでしまったということです。

ここでクローズアップされていた永田鉄山、その心の動きを見ると自分は大久保利通を想起します。きれる頭、冷静な判断能力、組織を作り上げる能力、そして私心のためではなく自分の役割を果たす為に出世しなければならないという考え方。当然今までと違うことをしようとすれば快い人もいれば不快な人もいるわけで、軋轢が生じます。それを理詰めでどんどん進めていくと、大久保利通が暗殺されてしまったように、こうなってしまうこともある意味必然だったのかも知れません。

しかし、大久保利通が暗殺されても国家の近代化は連綿と進んでいったのに対して、永田鉄山が暗殺された後は軍の近代化は迷走をしてしまいました。

これはなぜか?

明治維新前夜の大混乱期と西洋列強の強さを実感した人たちは政権内に多かったのに対し、第一次世界大戦の衝撃を目で見たのは軍の中でもごく一部。ここに危機感の温度差が生まれ、ある人は陸軍の近代化が目標だったのに、ある人は単なる人事抗争になり、またある人は中国権益の確保といった具合に同床異夢の状態になってしまったことも原因では?と思うのです。

あとは自分たちの国に対する冷静な判断の違いもあるかもしれません。明らかに欧米に遅れていると思った明治初期、世界の五大国に仲間入りし、世界に冠する国になったにも関わらず欧米からの目線は冷ややかで、隣国中国も我々と真剣に向き合おうとしないと苛立つ昭和初期。何よりもまず国民がそう思っていたきらいがあります。

変わると言うことは相当な覚悟が必要であり、それにはそう覚悟を決めるだけの危機感が必要だと思うのですが、その危機感の温度差と、その判断の背景があったからこそ、ずるずるとひきずられていったのではないでしょうか。だからこそ、自分の目線に入る狭い目線のみで判断し、全体の方針を見誤る、部分最適が全体最適にならない状況となったのではと思うのです。

翻って現在の日本は、状況にしても、考え方にしても明治初期の日本と昭和初期の日本と比べて、どちらに似ているのでしょうか・・・?


(余談)

こんなお話を何日もかけて(筆が進まず)書いていたのですが、他のブログを拝見していたときMassyさんのブログが目にとまりました。何でもよく読むと永田鉄山さんのご子息と、永田鉄山さんに相沢中佐(暗殺した人)を紹介した有末さんのご子息がMassyさんのお知り合いとのこと。本やテレビで知る歴史のお話と、実在する方がクロスして大変不思議な気分になりましたshine

<読後感 「この命 義に捧ぐ」 門田 隆将>(From Massy's Academy

「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回“外交敗戦”孤立への道 」を見て

放送からはちょっと経ってしまいましたが、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回“外交敗戦”孤立への道」を見ました。

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まず最初のオープニングで、現代の日本人に「なぜ日本はアメリカと戦争したのか?」と投げかけ、その答えをクロスオーバーで出したのが良かったですね。

いかに、学校の歴史の授業というのがこの長い間何も教えていないかわかって。

もちろん一言で答えられる内容ではないと思いますが、かと言って何も考えずにただ

「軍国主義者に引きずられ、アメリカと無謀にも戦争を始め、アジアの人々を巻き込み悲惨な戦争となった。だからもう二度と戦争をしてはいけません。」

で終わらせている限り、日本人は世界で自らの世界観を持って他国の人と交われないでしょう。誇大妄想、自己肥大、などと言い方はいろいろありますが、とは言え世界における日本はどうあるべきか真剣に考えていた人たちがいたからこそ、戦後の日本もあったと思いますし。


で、本題ですが、新鮮な発見もあり、さすがNHKだなあと思いました。会長選びは別にしてbleah

戦前の日本のターニングポイントを満州事変と国際連盟脱退において話は進みます。確かにその前から対華21箇条の要求、シベリア出兵、日貨排斥、日英同盟の自然解消などいろいろな萌芽はありましたが、その2つをターニングポイントとすることは、充分に納得のいくところです。

そして、松岡代表が国際連盟脱退において、最初は脱退になってしまい意気消沈していたが、帰ってからの英雄扱いに有頂天になったという知識はありました。

しかし、国際連盟での外交交渉で「リットン調査団の勧告を受諾すべき」と公電を打ち、受け入れられないとかなりの不満を再度打電していたことは知りませんでした。そしてリットン調査団の勧告を拒否すべしと指示した内田外相も初めて知りました。また面白いことにこの内田外相は英米協調派として知られていた方で当初は満州事変の事態不拡大を唱えていましたが、後に強硬派に転身。焦土外交で名を残すことになりました。

そして脱退もそれが目的と言うよりは、勧告を受諾しないと経済制裁を受ける(実際に1937年に当時常任理事国のイタリアがエチオピアに侵攻したとき、経済制裁を課し、それが理由でイタリアも脱退しています)のを避けるために、連盟の局外に出るという奇策だったとのこと。

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そしてその後一気に国際的孤立に走ったわけでもなく、各方面が孤立してはいけないとばかりに防共協定を軸に話したり、ドイツとの接近を図ったりしているが、どれも連携の取れた動きとはなっていない。

さらに軍部も暗号解読では相当のレベルにあり、各国の公電を傍受していたことがわかったが、その情報を軍部の外に出すことなく、独自の分析に終始してしまう。

その結果多面外交と言えば格好いいが、まとまりのない外交姿勢は各国の不信を買い、結局中央部としては一番乗り気ではなかったナチスドイツと手を組むことに。

そしてその背景には短命内閣が続いたことにより、一貫した政治体制が作られていなかったことも挙げていました。


非常に示唆に富んだ内容だと思います。

東京裁判の際、開戦時の大蔵大臣で戦犯に指定された賀屋氏が

「ナチと一緒に挙国一致、超党派的に侵略計画を立てたというのだろう。そんなことはない。軍部は突っ走るといい、政治家は困るといい、北だ、南だ、と国内はガタガタで、おかげでろくに計画も出来ずに戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ」

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と言ったそうです。誰もやりたくなかった対米戦争。もしかしたら対支戦争についてもそうだったかもしれません。でも部分的な解を持ち寄って、一見合理的な結論のように見えてしまった。部分最適が全体最適になるわけではないのですが、得てして日本では部分最適を重視するきらいがあるように思えます。

明治の時代は確かに藩閥政治ですが、それが故に基本線がぶれなかった。しかし昭和に入って四民平等政治(敢えてそう言わせてもらいます。政党政治だけでなく、軍部にしても特権階級の出ではない人が下克上のごとく活躍していました。つまり出自が関係なくなった世の中になってきていたのです。)となり、自分の目線内での多数派に流される政治になってしまった。戦後しばらく経った後の55年体制確立後は、自民党政治となり10年間の高度成長期の首相は2人だった(池田、佐藤)。2度のオイルショックの後に訪れたバブル期の基礎を作ったのは中曽根内閣。一旦は株価を立て直し、銀行の不良債権問題を解決し、インターネットの高速回線普及率を飛躍的に上げた小泉内閣。やはり実績を上げている時代は、政権も安定しているように感じます。

最近よく、首相が辞めるのは自由だという考え方がそもそもいけないのではないかと思います。もちろん本人の意ならずなんでしょうけど、派閥抗争で負けてというわけでもなく、ただ事態を打開するためという名目で総辞職するのは日本にとって大きなマイナスではないかと。

もちろん前の総理大臣のように、続けていることが悪のように感じることもあります。しかし、内閣を放り出す権利を総理大臣が持っているので、参議院選挙の前に辞任してしまった。なので参議院選挙は「鳩山内閣にNO!」と言われたのか、それとも「菅首相の唐突な消費税アップの話」が反感を買ったのか、さっぱりわからないまま、ただ推論ばかりが漂ってしまうと。なので国益のために政治家引退を取りやめるとか訳のわからないことも言えてしまうのかと。それよりもうまくない政治を行った内閣はしっかりと選挙で「NO!」を突きつけられて、一つのけじめをつけるべきだと思うのです。なので

1)首相は国会議員を辞職しない限り、辞任はしてはいけない。

2)現職総理は、少なくとも次の国政選挙にはその体制で臨まなくてはいけない。

とした方がいいのではと。我々国民も内閣は替わるものだと思ってしまうからいけないのかと。その人が首相になったからには少なくとも4年はその人が務めるのだと思わなければいけない。だからこそ、選挙の時に投じる1票を真剣に考える。そうあるべきなのではと思いました。

結局責任の所在が曖昧のまま進み、いわゆる空気(言い換えれば民意)によって方向性が決まると、とんでもないことにつながることもあるよというのが、戦前の教訓なんだと思うのです。

と思って次回以降の予告をHPで見ると、「空気に動かされた国家」「決意なき開戦」とありますから、その流れなんですね。次回の放送も楽しみです。

のだめカンタービレ最終楽章後編を見てきました

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ようやく昨日のだめカンタービレ最終楽章後編をみなとみらいのワーナーマイカルみなとみらいで見てきました。そういえば映画の最後のクレジットを見ていたらみなとみらいで録音されたよう。不思議なご縁です。

(以降はネタバレが続きます)

続きを読む "のだめカンタービレ最終楽章後編を見てきました" »

『パリより愛をこめて』ブロガー試写会レビュー


ブログネタ: 『パリより愛をこめて』ブロガー試写会レビュー参加数拍手

毎度の月曜深夜のブログ投稿です。今回は、試写会のチケットが当たったため、途中会社を抜け出して、一ツ橋に行っていましたcoldsweats01

今回見させて頂いたのは、『パリより愛を込めて』という映画です。 (オフィシャルHPはこちら

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STORY

謎の犯罪組織に、立ち向かうことになった一人の男。彼の名は、ジェームズ・リース。表の顔はパリのエリート米大使館員、裏の顔はCIAの見習い捜査官だ。ようやく与えられた重大任務に張り切るリースを待っていたのは、任務を全うするためには手段を選ばない危険すぎる相棒、ワックスだった―。チェスの名人で数カ国語を駆使する知性派だが、繊細な性格で人を撃ったことがないリースと、推理力も腕力も超一流だが、口より先に銃が出るワックス。生き方も考え方も正反対の二人が、犯罪組織のアジトを捜して、パリ中を駆け巡る。組織は麻薬密売を資金に爆弾を入手、世界崩壊を目論むテロ集団だった。しかし、全貌解明にあと一歩と迫った時、予想もしなかった事実が発覚する。リースの機密情報が組織に流され、彼は命を狙われていたのだ。裏切り者は誰なのか?やがて爆破ターゲットは国際サミットに参加するアメリカ政府要人だと判明、二人は会場へと走るのだが―。

CHECK

任務のために手段を選ばない危険な男ワックスと、人を撃てない見習い捜査官リース、真逆の2人のぶつかりあいに注目。ユーモアのある面白いセリフのやりとりは要チェック。パリの街で繰り広げられるハイテンションな銃撃戦やカーアクションシーンはジョン・トラボルタがほとんどスタントなしの生身の肉体でやり遂げている。

(From 社長は字幕翻訳家

余りネタバレをしても仕方ないのでストーリーには触れませんが、正直ストーリー展開は結構先が読めます。なので奇想天外なストーリー構成ではないのですが、逆にそっちに頭を使わず、映像の綺麗さだったり、ジョン・トラボルタのアクションの素晴らしさを楽しむ映画なんだと思います。そういえば、結構様式美みたいなものが多かったですね。リュック・ベンソンのこだわりが映像の端々に散りばめられているように思えました。

でも、やっぱり人物の描き方が少々薄いというか雑なような気が・・・。単純というか、さっぱりし過ぎているというかcoldsweats01

何も考えずに、ちょっといかれた男のアクションを楽しんでスカッとしたい時にお勧めの映画です。


NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 第1回「少年の国」 を見て

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2003年1月の制作発表以来なんと約7年。待ちに待ったドラマがいよいよ始まりました。

このドラマは、NHKのホームページではこのように紹介されています。

現代の日本人に勇気と示唆をあたえるドラマ

「坂の上の雲」は、司馬遼太郎が10年の歳月をかけ、明治という時代に立ち向かった青春群像を渾身の力で書き上げた壮大な物語です。発行部数は2,000万部を超え、多くの日本人の心を動かした司馬遼太郎の代表作でもあります。
 今回、国民的文学ともいえるこの作品の映像化がNHKに許されたのを機に、近代国家の第一歩を記した明治という時代のエネルギーと苦悩をこれまでにないスケールのドラマとして描き、現代の日本人に勇気と示唆を与えるものとしたいと思います。
 21世紀を迎えた今、世界はグローバル化の波に洗われながら国家や民族のあり方をめぐって混迷を深めています。その中で日本は、社会構造の変化や価値観の分裂に直面し進むべき道が見えない状況が続いているのではないでしょうか。
「坂の上の雲」は、国民ひとりひとりが少年のような希望をもって国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて日露戦争を戦った「少年の国・明治」の物語です。そこには、今の日本と同じように新たな価値観の創造に苦悩・奮闘した明治という時代の精神が生き生きと描かれています。
 この作品に込められたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考える上で大きなヒントを与えてくれるに違いありません。

こう考えていたドラマの冒頭部で使われた言葉が、福澤諭吉が学問のすすめで語った「一身独立して一国独立す」でした。これは秋山好古が学問をしたい!と言っている時に真之に語った場面で使われています。この時代におけるある層に於いてあった個人と国家の新鮮な意味での一体感を象徴している言葉として選んだのでしょう。

司馬遼太郎はこの物語を書き終わった後、こんなことを書いています。


「かれらは、天才というほどの者ではなく、前述したようにこの時代のごく平均的な一員としてこの時代人らしくふるまったにすぎない。この兄弟がいなければあるいは日本列島は朝鮮半島もふくめてロシア領になっていたかもしれないという大げさな想像はできぬこともないが、かれらがいなければいないで、この時代の他の平均的時代人がその席をうずめていたにちがいない。」

きっとそんな空気を作り出した先駆者に福澤諭吉もいて、そしてそんな空気の中で秋山兄弟や広瀬中佐といった中堅クラスの将官、東郷平八郎、乃木希典、児玉源太郎といった指導的立場の将帥を始めとした軍人や、正岡子規のような文人や伊藤博文や山縣有朋、そしてちょっと下の桂太郎などがいたのでしょう。

また、そこにたまたま彼ら兄弟と同郷だった正岡子規を絡ませ、特に真之とは文学仲間であったことも踏まえ、当時の文武の両道を描こうとしていたのでしょうね。

ドラマ自体は、とにかく当時の雰囲気にしようとしてこだわっていたのが感じられます。船の大きさ、着物のすすけ方、周りの風景。美術さん、頑張ったんだなあといった印象です。

キャストはさすがにモッくんと香川さんの16歳(くらい)はないだろ!と突っ込みは入れたくなりましたが(ちゃんと後の松山中学同級生はそれらしい年端の人たちでした)、変に派手すぎず、なかなか味わいのある演技を見せてくれました。そういえばこの頃は高橋是清も30代くらいですから、そう考えると西田敏行さんも・・・coldsweats01
個人的には正岡子規の幼少時代の子役の子が正岡子規の写真にそっくりでおかしかったです。いずれにせよキャスティングも豪華さだけに偏らず、きちんと芝居を出来る人を選んでくれているように思えます。

今日はタイトル通り、この時期の日本は近代化を目指して歩こうとし始めた「少年の国」であることを描こうとしていましたね。これからその少年が大人になっていくわけですが、その過程がどう描かれていくのか、大変楽しみです。

ちなみに坂の上の雲の原作本はこちらです。ご興味ある方はどうぞご覧下さい。


NHKスペシャル 日本海軍 400時間の証言 第三回 戦犯裁判 第二の戦争  を見て

いよいよこのシリーズも最終回です。いつもの通りまずは番組のHPのご紹介から。

戦後行われた極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判。戦争指導者として文官一人、陸軍関係者6人が絞首刑となったが、海軍関係者の被告は終身刑。その後釈放された。090811_a


「海軍反省会」では、海軍という組織を守るため、水面下で海軍トップの裁判対策を組織的に行っていた事実を詳細に語っている。勝者の裁きに対抗するため彼らが行った活動とはどのようなものだったのか。

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海軍が解体された直後に出来た組織、第二復員省。海軍の頭脳と言われた軍令部の参謀の多くが戦後ここで裁判対策を担った。戦争の責任に海軍の中枢にいたエリートたちはどのように向き合ったのか。

反省会で交わされた当事者たちの議論を通して、「戦争責任」とは何か、「歴史」とどう向き合うかを考える。

今回の番組は開戦時の海軍大臣であり、後に軍令部総長も兼ねた嶋田繁太郎大将が東京裁判で死刑を逃れ終身刑となり、後に釈放される場面から始まります(そういえば、逆に死刑判決となった武藤章元軍務局長がその後の嶋田大将の笑い声が気になったと何かの手記に書いていました)。

この東京裁判を始め、各種戦犯裁判で海軍省から名が変わった第二復員省、通称二復、そしてそこに多く所属することになった軍令部の参謀たちがありとあらゆる対策を行っていたことを証言を交えて紹介しているわけです。

その根本方針は、いかに責任の所在を上まで上げさせないか、言い換えれば現場の責任として押しとどめるかにありました。究極的には「天皇陛下に戦争責任を遡上させないよう」というところから始まり、そこに帰結しないためにもなるべく下の方で責任を納めたいというのが考えです。

戦争犯罪にはこのとき大きく分けて二種類のものがありました。平和に対する罪と通常の戦争犯罪、すなわち人道に反する罪です。平和に対する罪は、開戦を決断した段階ですでに上層部の有罪は免れません。(もっとも、戦争とは双方がいて起こるもので、一方的にどちらかが悪いとは決められないはず。また、人道に反する罪も戦勝国側が裁かれることは殆どありません。これが報復裁判と言われるゆえんです)
これに人道に反する罪まで背負ってしまっては、上層部の責任は極限まで高まってしまう。なので、捕虜の処刑など人道に反する怖れのあるものは軍令部の指示とならないような工作を多々、組織的に行っていたというお話しです。

まずこれを見て感じたのは、天皇陛下の御名を使い統帥権を弄んだ人たちが、天皇陛下の護持の美名のもと自己保身に走ったといった印象です。どこまで天皇陛下を隠れ蓑に使おうとしていたのかと。そういえば幕末の時代、尊皇を掲げていた志士たちは、その当の天皇陛下のことを「玉」と隠語で呼んでいたそうです。必要以上に天皇陛下の御名を語る人たちは、本当に天皇陛下を大事にしていたのかと思うのです。

但し、一方で組織防衛上、上を守る必要があるのもわかります。上が全否定されると言うことは、とりもなおさずその組織全てが否定されることにつながります。ここは国の根幹である軍という組織と、厳然たる元首である天皇陛下を否定してしまうと言うことは、日本という国そのものを否定することに繋がり、戦後の復興どころではない話にもなりかねません。例えば今のイラクを見ると無政府状態という言葉がしっくりきますが、10年前は良い悪いは別にしてフセイン大統領の下、中東の一強大国としてイラクはあったわけです。今ある統治機構を完全になくしてしまう怖さが表れています。

つまり道義的、倫理的にはまったくもってどうかと思う行動であり、組織論・国を守るという意味ではやむを得ない部分があったと言えると思うのです。

なので、問題としては上層部の人たちのその後の身の処し方だと思うのです。

例えば今村均陸軍大将はラバウルで終戦を迎えた後、オーストラリア軍の裁判で禁固10年の判決を受け、巣鴨プリズンに収容されますが、それでは南方の戦犯収容所で苦労している部下たちに申し訳ないとマッカーサー元帥に直訴し、南方に移送してもらい、釈放された後は、自宅に謹慎室を設けて反省の日々を送ったと言います。そういったような心持ちを持つことこそが大事だったように思えるのです。

司令官と参謀、決断を下す責任者と、それを補佐し頭脳を駆使してよりよき方向に導く存在。その関係の難しさを感じました。「菊と刀」で日本は「恥の文化」と表現されています。恥を知る文化だと。先の戦争でも恥を知る人もいれば、失礼ながら知らない人もいました。今の世の中でもそうですが、割合は更に変わってきているような気がします。自分もちゃんと「恥を知っている」のか?自問自答してみると、まだまだ心許ないと思います。高杉晋作の辞世の句で、望東尼が継いだ下の句。一部では評判が良くないですが、自分は好きな句です。

「棲みなすものは心なりけり」

結局は心なのでしょう、何にしても。

NHKスペシャル 日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙 を見て

では、続いて第二回を見た感想です。

番組のHPにはこう記されています。

人の体を兵器代わりにして体当たりする”特攻作戦”。これまで現場将兵の熱意から始まったとだけ伝えられてきた。090810_a しかし、海軍反省会のテープは、「神風特別攻撃隊」の一年以上前から『軍令部』が現場の熱意とは別に、組織的に計画、特攻兵器を作り続けてきたことを赤裸々に語る。さらに『軍令部』の元参謀は「特攻」はあってはならない作戦と自覚しながらも、その計画を推進してきたことを証言する。090810_b


海軍から始まり、陸軍にも広がっていった「特攻」で亡くなった将兵は5千人以上。そのほとんどは20代の若者たちだった。

過ちと分かりながらなぜ当事者は「特攻」を推し進めていったのか。反省会の議論から「特攻」を生んだ組織の姿を浮き彫りにする。

今回の放送で一番主題とされていたのは「(戦争の作戦立案を行った)軍令部が特別攻撃に関与していたのかどうか?」という点でした。

つまり、上記の番宣にも書いてありますが、これまで特攻と言えば大西中将の立案であり、現場将兵の熱意から行われたと、もう少し現場の声から言えば志願制となっているが、実際は編成されていたという話しは出てきましたが、そう言えば誰がこれを実際に立案し、実行させたかということについては余り触れられていなかったような気がします。

この番組では中澤軍令部第一部長が、特攻に軍令部は関与していないと言っているのはけしからんと、実際に海上特攻兵器(回天)を指揮した元中佐の問いかけから始まります。そして、資料を基に、軍令部自体が敷島隊の初特攻の1年も前に特攻兵器の開発を命じている点や、攻撃の1週間くらい前に軍令部からの発信電報で、特攻を国民の戦意昂揚と全軍の士気を高めるため、逐一特攻の事実を発表する旨が書かれていたことを挙げ、これでも第一部長たる人が知らなかったのはおかしいではないか?と。

これに対して、実際に軍令部第一部に勤務してた中佐が、人の気持ちの問題だからと曖昧な態度に終始します。

結局現場にいる人間は、戦後も重い十字架を背負いながら苦しんでいたのに、それを命じた上層部は・・・という訳です。

そして番組の最後で、戦犯裁判対策の話しのさわりが語られて、次回に結ぶと。

確かに、一人の中将の気魄で、現場の将兵の熱意で、それらが行われたとはとても思えない。しかも犠牲になっているのが、学徒出陣等で招集された、経験不十分の若者ばかりというのも引っかかります。

勝手な私見ではありますが、この特別攻撃というのは

1)日に日に逼迫してくる兵器の破壊と生産の遅れから、出撃する艦船をすでに持てなくなった海軍の存在理由の消失に対する焦り
2)昭和18年5月30日に陸軍がアッツ島にて、いわゆる「玉砕」を行い、陸軍は死を恐れず護国の盾となっているのに、海軍は何もしなくていいのかという、陸軍との比較から来る焦り
3)戦局打破の期待

から来ているのだと思います。そのため、軍令部の方でも急ピッチで検討が加えられた。そして敢えなく敗戦となった後は、戦犯裁判対策上の必要、つまり人道に対する罪を避けようとするところから、組織的に編成した部分はきれいに隠されてしまったのではないかと、この番組を見て強く感じました。

番組では最後に「いけないと個人個人ではわかっていたのだが、組織のムードに流され声をあげられらなかった」ということに理由を求めています。

しかし、行け行けドンドンの時は下克上で直属の上司が首を振らなかったら飛び越して上役に意見具申していた人たちが、勢いが悪くなると口をつぐむというのはこれまたどんなものでしょうか。
何でもそうですが、威勢の良い意見というのは何でも通りやすいところがあります。
振り返って、冷静に物事を見る意見は小さく扱われがちです。
こうならないように、組織のトップは常に目を配る必要がある。

でもそれだけではないように思います。結局は打破する方法が浮かばなくなった時に、それでも考え続け、何とか打開策を見つけるか、安易な方法に逃げ込んでしまうかの違いだとも思います。

ゴルフに例えるのは適当ではないかも知れませんが、どうしようもないなあと思えるラフにはまった時どうでもいいやと適当に振ってスコアをどん底に落とすか、その中でも最善手を考え続け、スコアを何とかまとめるかの違いだと思います。もっとも自分はゴルフでは前者に極めてなりやすいのですが・・・。

参謀は考えるのが仕事なのだから、極めて困難な状況であろうともやはり考え続けるべきだった。それが出来ないと思ったのなら、前線で戦うべきだった。そう思うのです。

大西中将は、日本の敗戦を見とどけると、8月16日、「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して割腹自決。遺書には特攻で散華した兵士達への謝罪と共に、生き残った若者に対して軽挙妄動を慎み日本の復興、発展に尽くすよう諭している。自決に際しては敢えて介錯を付けず、また「生き残るようにしてくれるな」と医者の手当てを受ける事すら拒み、特攻隊員に詫びるために夜半から未明にかけて半日以上苦しんで死んだといいます。

それと比べて、「一億総特攻」と勢いの良いことを戦時中は言いながら、いかに組織上口をつぐむ必要があったとは言え、責任を明らかにせず、違う行動をとった人たちに対しては、何とも言えない感情を抱かざるを得ません。例え、毎日戦死者名簿に供養のお経を唱えていようとも。

人を指揮する者の責任の重大さと、心の持ち方について深く考えてしまう内容でした。