まずは80,000アクセス突破、本当にありがとうございます。こんなに読んでいただいているなんて、我ながら夢のようです
夢と言えば、4年に一度の夢、バンクーバーオリンピックも終わってしまいましたね。いろいろな報道がなされ、その内容に一喜一憂してきたわけですが(心なしか活字が多かったのですが
)、そういった中で
「さすが、その道を究めてきた人の見る視点は違う!」
と思えるようなものがあったのでご紹介したいと思います。
まず最初は、スピードスケートの男子500mの結果を受けて、長野の金メダリスト清水さんが書いたコラムです。圧倒的な迫力があったので、そのままご紹介します。
条治よ 悔しかったか (2010年2月17日) -From asahi.com
条治(加藤)よ、悔しさがだんだんこみ上げてくる銅メダルではなかったか。
僕も同じ色のメダルを持っている。長野五輪の男子1000メートル。500メートル金メダルの勢いで取らせてもらった。正直、まぐれの要素もあり、うれしいメダルだった。
一般的に「銀メダルは悔しいメダル、銅メダルはほっとするメダル」と言われる。つまり、銀メダルには金に届かなかった悔いが残り、銅メダルは表彰台に上がれたという財産が残るという意味合いだ。
条治、君は違っただろう。金メダルが狙えたレースだった。結果として、銅メダル。さらに、銀メダルは同じチームの長島圭一郎に逆転を許し、さらわれた。レース直後の苦しそうな表情は、滑り終えた後の疲れだけではなかったはずだ。
頂点に立てなかった原因ははっきりしている。2回目の滑りだ。第1コーナーの出口でバランスをくずし、最後の直線はスタミナ切れから失速した。1回目と同じレースを2回目でもしていれば、表彰台の頂点を十分狙えたのだ。これは、たまたま起こったことではない。1回滑るだけなら、君は本当に強い。しかし、2回そろえることが普段からの課題だった。
僕は君に言われたことがある。「清水さん、あんなにつらいトレーニングをやらなきゃいけないなら、僕スケートやめます。楽して金メダル取りたいですね」。僕の練習のドキュメンタリーを見ての感想だった。僕は心肺機能を高めるために失神寸前まで自分を追い込むトレーニングをしてきた。それに対しての反応だった。腹もたたなかった。失礼だとも思わなかった。ある意味で、君は天才だから。コーナリングは僕が教えを請うほどの能力を持っていた。
今回、ズバリ何が足りなかったのか。1000メートルの練習だ。君は500メートルに特化し、1000メートルを捨てた。しかし、500メートルを1日2回滑る今の五輪では1000メートルの練習が不可欠なのだ。
銅メダルで満足していないはずの君だから、言う。4年後金メダルを手にするには練習方法の変更が必要だ。栄光のメダリストに対して、あえて厳しく書いたことを許してほしい。(長野五輪金メダリスト・清水宏保)
報道は得てして「よくやった!感動をありがとう」か「何をやっているんだ!」といった方向になりがちですが、この文章ではそこで出た結果は自分に起因する事であり、だからこそ自分と真剣に向き合わなければ行けないという事を教えてくれます。
そして清水さんは話題となった女子フィギュアスケートのショートプログラムが終わった後も、魅力的な文章を書いてくれます。
ヨナ一色 引き込む力 (2010年2月25日 17時0分) -From asahi.com
バンクーバー五輪でスピードスケート以外の種目を初めて観戦した。フィギュアスケートを生で見るのも初めてだった。
本当にシロウトだから論評する資格などない。が、金妍児(キム・ヨナ)の絶対的な強さだけはわかった。
女子ショートプログラム。浅田真央が最高の演技をした。その直後の滑走。直前までリンクの空気は浅田のものだった。金はミネラルウオーターを一口飲んだ。鼻をかんだ。「よし」と気合を入れた瞬間、リンクの空気ががらりと変わった。金妍児の世界に変わったのだ。
僕も、レース前、自分の磁場を作り出す訓練をしていた。その磁場にスターターを引き込んで、自分のタイミングでピストルを打たせるのだ。そのスケールを数倍大きくしたのが金だった。
会場が金一色になる外的要因もあっただろう。彼女は2007年から練習の拠点をカナダに移している。コーチもカナダ人のブライアン・オーサー。五輪で2回銀メダルを取ったが、金メダルには届かなかった。そのあだ討ち的要素もあって、金は韓国だけでなく、カナダの国民的妹でもあるのだ。
技術的なことは僕にはわからない。しかし、他の選手に比べて、滑るスピードが違う。スピードスケートの練習をコーチが組み込んでいると聞いた。あとは滑っている時の体の「ライン」だ。フォルムといってもいい。人は車や建築物を見るとき、無意識にそのラインに目を奪われることがある。ストレッチなどの努力を重ねた関節の柔らかさがあるのだろう。金のフォルムは本当に美しい。これが、歴代最高得点につながったのだろう。
浅田真央に逆転のチャンスがないのか、といえばそんなことはないと思う。カナダ入りが遅かったので、時差調整を心配していたが、体は切れていた。後は、優劣を考えず滑ることだ。フィギュアは元々、人々に見てもらうスポーツ。アーティストが舞台に上がって観衆に感謝しながら最高のパフォーマンスを見せるような感覚を持ってほしい。優劣、順位を考えれば、必ず雑念が入る。
これは安藤美姫にも鈴木明子にもいえることだ。フリーの演技を本当に楽しみにしている。(長野五輪金メダリスト・清水宏保)
その選手の持つ存在感という得体の知れない物を、わかりやすく表現してくれています。その上で、
後は、優劣を考えず滑ることだ。フィギュアは元々、人々に見てもらうスポーツ。アーティストが舞台に上がって観衆に感謝しながら最高のパフォーマンスを見せるような感覚を持ってほしい。優劣、順位を考えれば、必ず雑念が入る。
とフリーの演技の前に書いているところにすごみを感じます。
というのは、続いてシンクロナイズドスイミングで素晴らしい成績を収めた武田美保さんのブログでこんな記事を読んだからです。
(From それいけタケミホ)
(前略)
数々のハイライトシーンが誕生してはその度に感動し、涙を流し、メイクを直し(これ、いらんか(笑)?)、なんといってもそのピークはフィギュアスケートのあの世紀の対決、浅田真央選手とキム・ヨナ選手だったのではないでしょうか。
このオリンピックで、私タケミホ含めて、相当な数の俄かフィギュアスケート評論家が巷に増えたかと思います。
ちゃっかりその艇でお話ししちゃうんですが、うーん。真央ちゃんっ。
本当に悔しかっただろうなぁと思います。
自分を引き合いに出して語るのは大変おこがましいのですが、私も過去のオリンピックで、人生のトラウマになるようなまさかのミスをしたことがあるんです。だから、真央ちゃんの心境をある部分わかる気がします。
やるせなくて、心の置きどころがなくて、「何やってんだっ。」って自分を罵倒したくなるような。「この4年間私は一体何してきたんだ・・・」って、そう思いながら、ミスしたパートの体の感触が生々しく蘇ってきたりして、そして「どうしてあのとき気がつかなかったんだっ。」とか「どうしてあんな判断をしてしまったんだろうっ。」とか、もう恐ろしいほど一斉に後悔の念が体の中に流れ込んで来るんです。もう、感情はぐちゃぐちゃです。
女子フリー決勝の翌日放送があったNHKスペシャルを拝見しました。たった1日しか経っていないのに、そこには全て試合のあの瞬間の分析ができている真央ちゃんが映っていました。そこで話されていることに「ああ・・・っ、これはっ。」と強い共感を持ったことがありました。
「前半、自分がパーフェクトにこなせていることを自覚していた。そして、3回転、2回転、2回転のジャンプに差し掛かったときに、『このジャンプを成功すれば9点も得点がもぎ取れる』と思ってしまった。ここで集中が切れてしまったと思う。」
って。
くーーーー・・・・・。あるんですよね。こういう魔の隙間が。
演技後、きっと真央ちゃん監督の顔や家族の顔、関わって下さったスタッフの顔・顔・顔・・・が頭をよぎったと思います。「ああ・・・みなさんすいません・・・ごめんなさい。こんなに惜しみなく応援をもらってたのに・・・」って。
選手にとってお世話になった方々への恩返しは、パフォーマンス以外は何もすることができないんですもんね。当たり前ですけど、お金や品物を配って有難うを表すとか、そんなのじゃないんですよね。それよりも周りの方々がそんなことを望んで応援して下さっている訳じゃないですし。
私は次からの真央ちゃんが本当に楽しみなんです。だって、ものすごいことになりますよ!そう思いませんか?
女子フィギュアでトリプルアクセルをショート・フリーあわせて3回も成功させるという史上初の偉業を成し遂げたベースがある上に、根本の魂が何と言っても強い。今回の悔しさを味わい、やるべき課題が明確になり、表現力の面だって、経験によって心の襞が増えるほど幅が広がっていく訳です。そう考えると真央ちゃんてばどこまで進化を遂げるんでしょうかね!?わくわくします。
(後略)
そう、清水さんが言っていた雑念が、それこそ
「前半、自分がパーフェクトにこなせていることを自覚していた。そして、3回転、2回転、2回転のジャンプに差し掛かったときに、『このジャンプを成功すれば9点も得点がもぎ取れる』と思ってしまった。ここで集中が切れてしまったと思う。」
って。
くーーーー・・・・・。あるんですよね。こういう魔の隙間が。
となって現れたのですね。シンクロナイズドスイミングも演技の出来を見て貰う採点競技。通じるところが多々あるんでしょうけど、清水さんの感覚とも通じるところがありますよね。
手前味噌ではございますが、浅田真央選手の演技の直後、「彼女は自分に負けたことを受け止めているのだと思います。そして自分に対する思いがあの涙になったのでしょうね。」と拙ブログ内で書いていた事にも通じているのではなんて思いました。
結局、最終的に頼るべき物は自分しかないとなるスポーツ選手にとって、しかも結果を出している選手というのは、他に結果を求めるのではなく、自分の中に結果を求める物だと改めて思いました。これはスポーツだけに限らず、どんなことにも通じるのだと思います。自分も、そういったことを意識しながら日々を過ごしていかねば!と改めて思いました。
さて、仕事に戻らねば。
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