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「慶應義塾の昭和二十年」の展示物から① 学徒出陣時にレコードに残された音声(塚本太郎)

最初は昨日拝観した「慶應義塾の昭和二十年」での展示物を色々とご紹介しながら、感じたことを書こうと思ったのですが、一つ一つを省略することが勿体なく感じ、一つ一つについてゆっくりと書いていこうと方針転換しました。第一回目は学徒出陣時にレコードに録音した特攻隊員の言葉です。

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(このレコードを録音した塚本太郎さんの家族写真です)


回天(魚雷型の一人乗りの潜水艇、いわゆる特攻兵器で命中させるまで人間が操縦する必要がある。すなわち命中させるイコール搭乗員の死を意味する)搭乗員となり戦死した、塚本太郎さん(元塾体育会水球部員)が学徒出陣時に、ご家族が経営されていた録音スタジオで人知れず録音したレコードの内容。

「父よ、母よ、弟よ、妹よ。そして永い間はぐくんでくれた町よ、学校よ、さようなら。本当にありがとう。こんな我儘なものを、よくもまあほんとうにありがとう。

僕はもっと、もっと、いつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ。愉快に勉強し、みんなにうんとご恩返しをしなければならないんだ。春は春風が都の空におどり、みんなと川辺に遊んだっけ。夏は氏神様のお祭りだ。神楽ばやしがあふれている。昔はなつかしいよ。秋になれば、お月見だといってあの崖下に「すすき」を取りに行ったね。あそこで転んだのは誰だったかしら。雪が降り出すとみんな大喜びで外へ出て雪合戦だ。昔はなつかしいなあ。こうやってみんなと愉快にいつまでも暮らしたい。喧嘩したり争ったりしても心の中ではいつでも手を握りあって ----

然しぼくはこんなにも幸福な家族の一員である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ。日本人、日本人、自分の血の中には三千年の間受け継がれてきた先祖の息吹が脈打ってるんだ。鎧兜に身をかため、君の馬前に討死した武士の野辺路の草を彩ったのと同じ、同じ匂いの血潮が流れているんだ。

そして今、怨敵撃つべしとの至尊の詔が下された。十二月八日のあの瞬間から、我々は、我々青年は、余生の全てを祖国に捧ぐべき輝かしき名誉を担ったのだ。人生二十年。余生に費やされるべき精力のすべてをこの決戦の一瞬に捧げよう。怨敵激攘せよ。おやじの、おじいさんの、ひいおじいさんの 血が叫ぶ。血が叫ぶ。全てを乗り越えてただ勝利へ、征くぞ、やるぞ。

年長けし人々よ、我等なき後の守りに、大東亜の建設に、白髪を染め、齢を天に返して 健闘せられよ。又幼き者よ、我等の屍をふみ越え銃釼を閃めかして進め。日章旗を翻して前進せよ。我等今ぞいかん、南の海に北の島に全てをなげうって戦わん。

大東亜の天地が呼んでいる。十億の民が希望の瞳で招いている。みんなさようなら! 元気で征きます。」

色々と人によって感じ方は違うと思いますが、自分としては

「こうやってみんなと愉快にいつまでも暮らしたい。喧嘩したり争ったりしても心の中ではいつでも手を握りあって」

という部分と、

「我々青年は、余生の全てを祖国に捧ぐべき輝かしき名誉を担ったのだ」

という部分は、どちらも本音なんだと思います。すなわち出征した兵隊さんたちも普通に「(家族の)みんなと愉快にいつまでも暮らしたい」と思っていたし、同時に「余生の全てを祖国に捧ぐ」、つまり天皇(陛下)のために戦っていたのでは無く、あくまで命を祖国、すなわち国であり、ふるさとであり、家族でありに捧げて戦おうと思っていたということです。

つまるところ、前回のNHKの番組で言っていた、軍を非合理の固まりで天皇(陛下)のために戦い、玉砕するまで戦い続けて、国民を守るなんて考えはまるで無し。国民もそう教育されていたので、みんな信じ込んでいた」わけはないってことがよく感じられると強く思います。

それは最後の方にある言葉からもよくわかります。

「年長けし人々よ、我等なき後の守りに、大東亜の建設に、白髪を染め、齢を天に返して 健闘せられよ。」

とあるように、戦争のみが頭にあるのではなく、「大東亜の建設」という一種の理想郷をアジアに打ち立ててほしいと言っている訳ですから。今から見れば侵略に見えますし、実際に当のアジアの人たちも一部の軍政で善政が敷かれた地域を除けば、また面倒な支配者が来た(当時はいずれにしても植民地)といった思いを現地の方は抱いていたようですが、当人たちからすれば理想の大東亜を打ち立てたいと思っていたんでしょう。

本来であれば平和に愉快に暮らしたかった若者を大量に動員し、死地に追いやった戦争はやはり憎むべき物だと思います。ただ、戦地に赴く人たちは喜び勇んでというわけでは無いにせよ、自分なりに色々と考えた上で、出征を前向きに捉えようとしていたことを否定しても、また意味が無いことだと思います。そして前向きに出征しようとしていたことが一種の洗脳(戦前の教育とかによる)によるものだとするのは、戦地に赴いた人たちを冒瀆している、すなわち彼らの教養レベルを一切否定していることにつながることも忘れてはならないと思います。

やはり一言のうちに「戦前、戦中派」と言っても、その当時の年齢によって見え方、視野は全然違うわけで、その時の実情を感じようとすれば、出征可能な年齢以上の人たちの言葉を聞いたり読んだりするしかないと思います。今は戦争を語る事が出来る人の最年長が当時小学生くらいの方が多いので、その辺は頭に入れておいた方が良いと思います。

次回は、特攻攻撃出撃10日前の隊員たちの生の声をメモした手帳の中身をご紹介します。宜しかったらどうぞご覧下さい。


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