2023年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
無料ブログはココログ

« 「慶應義塾の昭和二十年」の展示物から③ 退院に際しての小泉塾長の挨拶文(昭和二十年十二月一日) | トップページ | 夏休みの読書 「民王」 »

戦後70年に考えること

今、日本テレビのミヤネ屋で戦後70周年企画と言うことで、硫黄島の戦いのことを放送しています。

その中で栗林中将が採った地中にトンネルを張り巡らし、持久戦を目指した作戦を「今までやったことのない、考えたことの無い」といった言葉で表現していました。

この人たちは、ついこの間、ペリリュー島に陛下が慰霊に行ったとき、色々報道していたことを忘れたのでしょうか?

昭和19年以降、日本は戦略を改め水際撃退と白刃突撃から、地下道を張り巡らし、洞窟に籠もり、持久戦を志すようになったのです。だからこそ、ペリリューでも、サイパンでも、沖縄でも、勿論硫黄島でもあれだけ凄惨な地上戦となったわけです。

こういったことを全く無視して、地下壕を張り巡らしたのは単に栗林中将の英雄物語的にしていました。

この1ヶ月、終戦70周年に併せて、色々な特集がテレビのニュース等で組まれていました。そのこと自体はいいことだと思いますが、思い込み、事実誤認がこのように多いように思いました。

あと、よく80〜90代の人を出して、「戦争を知る世代が最後に伝えておきたいこと」ということでインタビューを取り、流すのもよく見ます。

でも、ここで忘れてはいけないのは、例えば90歳の方でも開戦当時は16歳、終戦時は20歳ということです。残念ながら国家の命運に関わる決断に関わることも、選挙権を行使して時の政治の流れを作ることも無かった世代です。彼らは言われるがままに時運に巻き込まれていった世代です。そこは理解して聞かないと、当時の日本や世界を見誤ると思います。

例えば、地下道を掘って持久戦に徹するのは突撃して早々に全滅するより、ある意味よほど合理的な戦法です。でもその結果より凄惨な戦いとなり、その土地に住んでいる住民も巻き込んで両者の人的損害をより大きくしたということでは、今の倫理基準から考えれば、より狂気に向かって行った作戦とも言えるでしょう。

これは開戦時でも、もっと前の満州事変の時でも言えるわけです。

気の狂った命の大切さもわかっていない狂信的な指導者や軍が導いて戦争となったわけではなく、合理的な選択をしているつもりが、結果的にとんでもない戦争を引き起こし、数多くの日本人や世界の人々の生命を、奪うことになった。それはどうしてか、では、どうすれば防ぐことが出来るのかを考えることが一番大事だと切に思います。

戦争中の悲惨な体験を語り継ぐ意義もわかりますが、それより、日本はどの時点で道を踏み誤り、ああなったのかを考察していく方がよっぽど意義があるのです。被害を語り継ぐ限り、そこには加害者がいて、それに対する恨みつらみにしかならないのは、中韓を見れば明らかです。

対華21箇条の要求は?シベリア出兵は?暴支庸懲の流れは?張作霖爆殺は?満州事変は?ロンドン軍縮会議での態度は?統帥権干犯は?中国市場での特殊権益の主張は(アメリカの門戸開放政策)?515事件は?226事件は?天皇機関説は?国体明徴運動は?日華事変は?トラウトマン工作と爾後国民政府を対手とせずの近衛声明は?軍部大臣現役武官制は?枢軸国についた外交は?ノモンハン事件は?関特演は?南部仏印進駐は?日ソ不可侵条約は?日米交渉は?
(各事件にwiki等のリンクを張っておきました。ご興味があればご覧下さい)

私は今後のために、平和な世界を作るためと言うのなら、昭和19年から20年の戦争の被害を語り継ぐより、上記の事件に対する反省点を考えた方が余程意義があると思います。それこそ、「歴史を鑑とする」考え方だと信じています。

« 「慶應義塾の昭和二十年」の展示物から③ 退院に際しての小泉塾長の挨拶文(昭和二十年十二月一日) | トップページ | 夏休みの読書 「民王」 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

戦後70年
今年はマスコミが例年にも増して「大東亜戦争」の事を取り上げているように感じます。毎年毎年取り組むべきことだと感じています。
特別攻撃隊。私が子供のころ知ったのは「鹿屋」でした。それがいつの頃か「知覧」が有名になり、一度だけ知覧に足を運びました。
十代後半から二十代前半の方々の遺書を拝読いたしました。実にしっかりとされた文面と筆跡に驚き、残された手紙の内容は胸を付くものでした。
この皆様方は「国に殺された」「洗脳された」の一言で片づけてしまわれるのは本意ではないはずです。誰でも死にたくないですし、誰でも生きたかったはずです。きちんとした教育を受け、自分たちの意志、考え、思想を持ち極めて優秀な方々だったと存じます。その方々がなぜ逝ったのか。
戦争は悲惨だ、二度としてはならないとの声はよく聞きます。ではなぜ日本は戦争をしたのか?他の選択肢はなかったのか?戦争をしなければどうなっていたのか?マスコミは取り上げません。
チェ・ゲバラが来日し広島原爆資料館を訪ねた際に「日本人はなぜアメリカに抗議しないんだ!」ということを発言したことをだいぶ後になって聞きました。
ただ、戦争は悪い、良くない、二度と起こしてはならないだけでは解決には至らない。ましてや終戦記念日、日本がどこと戦争をしたかも知らない世代が増えてきているという現実。
戦後80年には戦争体験者は。。。。。

堀内光雄先輩の「靖国と千鳥ヶ淵」祥伝社
昭和5年生まれ昭和27年慶應義塾大学経済学部卒業
労働大臣、通産大臣、自民党総務会長歴任

2013年8月10日初版
玉音放送と日本人
靖国と千鳥ヶ淵
あの戦争が6か月前に終わっていれば
占領支配で大きく変わった日本人の心

是非ご一読を

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 戦後70年に考えること:

« 「慶應義塾の昭和二十年」の展示物から③ 退院に際しての小泉塾長の挨拶文(昭和二十年十二月一日) | トップページ | 夏休みの読書 「民王」 »