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「孤高の鷲―リンドバーグ第二次大戦参戦記」を読んで

大西洋横断で一躍名を馳せたリンドバーグが、第二次世界大戦前後に綴った日記です。

とにかく、彼のぶれない観念は驚嘆するばかりです。

この日記で彼が終戦時に感じたことは最後の4ページに記されています。まずは、その文章を掲載します。

(廃墟の中に立つ-1945年 ナチスの捕虜収容所に来て)

 われわれが佇む人骨の溢れた穴の周辺には、こぼれた骨灰の跡が小径のように尾を引いていた。われわれが暖炉用の石炭殻を投げ捨てるように、骨灰はぞんぱいに投げ捨てられたのだ。その穴は、庭先の景観を無視して石炭殻の穴を掘るように掘ってあった-焼却炉からはさほど遠くなく、しかも穴を掘りやすい地面に見えた。近くに長方形をなした二つの小山があり、似たような穴の跡であろうか。少年は、焼却炉から運び出されてさほど時日が経っておらぬ膝関節の部分を拾い上げ、われわれの眼の前に突き出す。

 無論、このような事が行われているのを、自分は知っていた。しかし、よしんばそれが第三者の撮影した写真を見て得た知識であっても、自らその現場に立ち、この眼で見、この耳で聴き、五感で感じた場合とはわけが違う。一種、異様な困惑が襲ってきた。以前にかかる困難を覚えたのはどこでだっただろうか。南太平洋でか。そうとも、ビアク島の洞窟で日本兵の遺体が腐りかけるのを見掛けたときだ、爆撃穴に埋まる日本兵の遺体の上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントやまだ緑色を呈する日本兵の頭蓋骨が飾り付けてあるのを見掛けたときだ。

 かりそめにも人間が-文明人が、かかる次元まで堕落できるとは考えられないことのような気がする。にもかかわらず、彼らは現実にこうして堕落したのである。ここドイツのキャンプ・ドラにおいて、またかのビアク島の洞窟において。しかも、ビアク島ではわれわれアメリカ人がそれをやってのけたのである。それとは異なる価値のために立ち上がったと主張するわれわれが、だ。ドイツ人はユダヤ人の扱い方で人間性を汚したと主張するわれわれアメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのである。「やつらは本当に獣以下だ。どいつもこいつも皆殺しにすべきだ」。耳に胼胝(たこ)ができるほど、南太平洋のアメリカ軍将校から聞かされた台詞(せりふ)だ!「何故、兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁木(うつばり)を認めぬか」

 私はポーランド少年を見やった。このような飢餓状態をどこで見たろうか。それも、ビアク島においてだ。原住民の操るカヌーの光景が記憶に甦(よみがえ)ってきた-われわれのキャンプ近くの岸辺に向かってゆっくりと漕ぎながら、半裸体の武装した原住民に護送される日本軍の捕虜たちだ。列の後尾にいた若干名は歩行できないほど飢えており、このポーランド人少年より痩せ細っていた。勿論、ドイツ人が捕虜収容所でポーランド少年を飢えさせたように、アメリカ人が日本人を飢えさせたわけではない。われわれがあまりにも”文明化”し、手際が良すぎただけの話である。ただ日本人の投降を受け付けないことにより、彼らをして密林内で飢えさせたに過ぎぬ(彼らの責任において)。単純明快な事態であった。飢餓のために眼がぎらつこうと疾病(しっぺい)の危険性があろうと、われわれは心を動かされなかった。数マイルにわたる密林がそれを覆い隠し、消し去ってくれたからだ。両手を挙げて投降しようとする先頭の日本兵を撃ち殺しさえすればよかった。(「ジャップの投降は信用できない。手榴弾を投げつけるからね。即座に撃ち殺してしまう手しかないよ」)。あるいはただ打切棒(ぶっきらぼう)に振舞い、白旗を掲げて来た敵の使者を怒鳴りつければよいのだ。歩兵の将校連が洞窟で、「顔を洗って出直して来い、畜生め」と勝ち誇ったように。

 かかる一連の出来事が走馬灯のように脳裏をかすめて行く。わが海兵隊が、ミッドウェーの砂浜に寸鉄を帯びないで泳ぎつこうとする日本軍の生存者を撃ち殺した話。ホランディア飛行場で、我が軍が日本軍の捕虜に機銃掃射を浴びせた話。ニューギニアの山越えに南へ飛ぶ輸送機の上から、オーストラリア人が日本軍の捕虜を突き落した話(「オーストラリア軍は捕虜がハラキリを演じたとか”抵抗”したからと報告してるんだ」)。ヌルフォール島で殺されたばかりの日本兵の死体から脛骨を切り出し、ペーパー・ナイフやペン皿を造った話。「そのうちに、あのジャップの野戦病院をたたき潰してやるぞ」と豪語した若いパイロットの話。金歯を求めて日本兵の遺体の口をこじ開けたアメリカ兵の話(「そいつは歩兵お得意の内職でね」)。「スーベニア用としてこぎれいにするため」日本兵の生首を蟻塚に埋めたという話。ブルドーザーで日本兵の死体を道路の片側に寄せ、浅い、墓標の無い穴に放り込んだ話(「それが近くにあったりすると、我慢ができないので埋めてしまうんだ」)。イタリアの町でムソリーニと愛人が逆さ吊りにされた写真を、高い文化的理想を主張する何千というアメリカ人が容認したこと。歴史を遡れば、かかる残虐行為は古今東西を問わず続けられてきたのであった。ドイツのダハウ、ブッケンワルト、キャンプ・ドラといった収容所においてばかりではない、ロシアから太平洋にかけても、またアメリカ本国の暴動や私刑(リンチ)、中南米のさほど喧伝されぬ蜂起や中国の残酷事件においても、さらに数年前のスペイで、往時のユダヤ人虐殺で、ニューイングランドの魔女焼き、イギリスの八つ裂き刑、kリストと神のみ名において行われてきた火刑においても。

 私は人骨の灰に埋まる穴を見降ろした(「一年半に二万五千人だ」)。かかる行為はなにも特定の国家や民族に限って行われたのではないことに気付く。ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋で日本人に行ってきたのである。ドイツ人が人間の灰を穴に埋めることで自らを瀆した(けがした)と同じように、われわれもまた、ブルドーザーで遺体を凌い、墓標もない熱帯地の穴に放り込むことにより、自らを瀆したのである。地球の片側で行われた蛮行はその反対側で行われても、蛮行であることに変わりがない。「汝ら人を裁くな、裁かれざらん為なり」(新約聖書・マタイ伝第七章一節)。この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない、あらゆる諸国民に恥辱と荒廃とをもたらしたのだ。

この本はまずは飛行機の専門家として、第二次世界大戦前夜のヨーロッパにおいて、航空兵力の整備が遅れているイギリス、フランスに対して疑念と、実際に戦争になれば苦戦することを予言しています。その上でルーズベルト大統領の口とは裏腹に参戦したがっている空気を読み取り、批判を加え、実際にアメリカ第一委員会で行動しています。結果はその通りに推移し、彼の冷静な目を感じずにはいられません。

対日戦争に突入し、平和なときは自分の意見を自由に述べ、でも一旦有事となれば国に尽くすべきだとして、軍隊を再度志願するもののホワイトハウスの妨害に遭い、なかなか軍務に復帰できず、暫くしてからよくやく従軍が認められ、南太平洋の前線に出ます。当初の日本軍優勢の時期を経て一旦帰国し、やがて日本軍劣勢の状況になった頃に戦線に戻ります。

そこで彼が目にしたのは、そこで彼が目にしたのは日本軍の絶望的な環境下での戦いと、アメリカ将兵の日本兵士に対する残虐な仕打ち。また、部隊内に広がる日本兵の残虐行為の噂と、だからこそ自分たちもやるんだという論理。この状況下で彼は敵を殺そうとするところまでは戦争である以上やむを得ないが、その後の扱いに人間としての尊厳を認めない自国兵の論理に疑問を抱き、我々が文明の名の下に彼らを罰することが出来るのだろうかと自問します。そしてその後降伏直後のドイツに赴き、そこれでもドイツ人に対する略奪と強姦を目の当たりにして、いよいよ以て疑問を抱きます。

そして記されたのが、上記の文章です。とにかく一人でも多くの人に手にとって読んで貰いたい本ですが、残念ながら絶版。私も図書館で借りて読みました。「どこの国がどうした」ではなく、戦争という極限状態の中で殺し合いを行い、その戦う戦士たちが一定の共通の倫理観を持って対峙しないと、いかに人間性が失われるものかということがよくわかる本です。

西洋において騎士道、日本において武士道が発達し、尊ばれたのも、全国民による総力戦では無く、限られた武人による戦闘にでもして共通の倫理観を持たないと、人間性が喪失し、ただ獣性のみで殺し合うという根源的問題に、先人たちは気付いていたのかもしれません。

第二次世界大戦時より、とかく戦争に正義とか悪とかを持ち込みます。そして勝者が正義を語り、戦後秩序の維持を語ります。そうではなく、人間そのものの本質に目を向け、正義か悪で判断するのでは無く、戦争そのものを行わないようにすることこそが何より大事だと、この本は教えてくれているように感じます。

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コメント

答弁に慣れていないNHK会長をいたぶるような質問を繰り返す野党議員、という感じの国会中継をラジオで聴いた後に久しぶりに貴ブログを訪れました。人間の愚かさに気づき、そして「いつか来た道」を繰り返さぬためにも我々はこれまで以上に歴史に学ばなければなりませんね。

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