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読書感想 「昭和史の決定的瞬間」を読んで

大変ご無沙汰しておりました。今は電車で松戸→西永福まで移動中なので、この時間を利用して、記事を書いてみようかと。

今回は野球の記事では無く、興味深く読んだ本のご紹介です。

こちらは、そう言えば昭和初期の政治に於いて、自分の中でもポッと抜けていた政党政治から軍部主導体制に移行していく中での部分のことが記載されていて興味深い本です。

まずは、226事件前後。515事件に続き、帝都(東京)で起こった部隊単位でのクーデターにより政党政治は日本では完全に終わったという感覚。

しかし普通選挙(但し男子のみ)もすでに実施されている中、どのようにして軍部に?というところがわかったようでわからなかったのです。

この本ではまず226事件の6日前(!)に総選挙が行われていたことを取り上げています。この選挙では、鳩山一郎を始めとする政友会の天皇機関説排撃の流れ、これに乗っかる陸軍皇道派、平沼騏一郎以下の右翼系勢力と、第二党ながら与党の立場にあった民政党、陸軍統制派・新官僚(国をシステマチックな形に改造したいとも思っていた)、それに社会大衆党(社会福祉等を重視する、当時で言えば左派)が争う構図となりました。そしてその結果、第一党だった政友会が大幅に議席を減らし、民政党・社会大衆党が大幅に議席を増やしているのです。これは当時の民意が、その後に起こるような軍部独裁を望んではいなかったことを示しているし、事前に計画はあったであろうが総選挙の結果を受けて皇道派が危機感を強めクーデターを起こしたとも言える状況だったということが見て取れます。

その後226事件が起こり、戒厳令が敷かれ、廣田内閣が組閣されます。しかし、満州事変以来の状況を打破すべく、民政党と政友会が協力して陸軍長老の大物、宇垣一成を首相に担ぎ出そうとします。彼は宇垣軍縮の名でも有名で、合理的かつ無謀な冒険主義に不快感を持っており、頭の回転も早く、宇垣内閣によって軍の膨張傾向を抑えようと画策します。そこであの有名な浜田国松代議士による寺内陸相に対する割腹問答が出るわけです。この議事録を読めば浜田代議士がおぼっちゃんでもあった寺内陸相(父は総理大臣経験者)を挑発し、怒らせた上で廣田内閣に辞表を叩きつける流れを作っています。やはり怒りは身を滅ぼします(汗)。そして10年来の望みであった宇垣氏に組閣の大命が下り、組閣作業に入ります。しかし、当の陸軍から石原完爾始め反対の声がわき上がり、伝家の宝刀陸相を出さないという手段でこの内閣が流産。筆者としては、陸軍を抑えきることが出来た戦争前のラストチャンスであり、実現も決して不可能では無かったという見解。ここで宮中(ここでは湯浅内大臣)が意思を押し通せば道も開けたが、1年前に226事件もあったことから強く押すことが出来ず、あっさり撤回となってしまったと。

そして越境将軍(満州事変の際、無断で朝鮮国境を越えて関東軍に合流したこと)で有名な林銑十郎が首相に任命されます。彼は4ヶ月内閣を運営し、予算案も増税案も通した後、「衆議院の反省を求める」として突如解散(食い逃げ解散)を行います。そして、その総選挙では、民政党が若干議席を減らし、政友会が微増、そして社会主義政党の社会大衆党が躍進し、第3党となります。ここで民意は社会福祉の増進を求めていたとも言えます。その後近衛内閣成立、3ヶ月後に盧溝橋事件ー日中戦争へと移りゆくのです。

またこの期間内でも、齋藤隆夫の演説を始め、普通に手に入る総合雑誌党でも平然と軍部批判、左翼思想の礼賛が普通になされいますし、朝日新聞の有名な軍事評論家である武藤貞一が国防計画を合理的にこう批判しています。

「(昭和11年8月に成立した国策の基準に対して、これが廣田弘毅をA級戦犯たらしめた)日本の国防計画は世界に珍しい国防計画である。陸軍は世界大陸軍国であるソ連邦を、海軍は世界最大の海軍国であるアメリカを、(仮想敵として)樹てられている。(中略)陸軍と海軍と、どちらか一方だけでも、実は国帑(国のお金)を傾けてかからねばならぬ。(中略)露、英、米三国と同時に戦うことを想定する国防計画なるものが、とうてい日本の力におよばないことを気づかねばならぬ。大和魂と神風に依存する国防計画なんてあるもんじゃない。国防計画と銘打つ限りは、あくまで理詰めの計画、二に二を足せば四になる式の必勝計画であってもらいたい。不可能な事柄に向かって血道をあげるのは明らかに間違っている。(中略)「可能な範囲」まで何とか切り下げる方法を講じてこそ、純忠報国の志を達するものではないか」(中央公論、昭和12年3月号)

全くその通りです。戦前に言論無く、民主主義無くというのは後世の傲慢だとすら思います。いや、現実に自らの足で立とうとしているから、より深みのある言論であると思います。

筆者の坂野さんは表現等を見るといわゆる左派的な思想の方にも見えますが、冷静に状況を捉えている筆致がとても読みやすく、へえ〜そうだったんだと思わされることが多かったです。

日中戦争あたりのところが幾分雑にはなっている感はありましたが、大変興味深い本でした。もし宜しかったら、是非お読みください。

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書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

「へえ~、そうだったんだ」の書、探してみます。私が同じような思いにかられた本は一も二もなく戦後発禁になった大川周明の開戦後数日の模様を記述した本でした。戦後教育の欠点を実感するに充分の内容でした。ところで、尖閣周辺で小競り合いが起こる可能性が見え隠れしてきましたが、自衛官や海上保安官は別として、万が一の時我が国の草食男子を中心とする若者たちはどう考え、どう行動するでしょうか?戦闘能力の全くない身で心配しても始まらないことは承知していますが、二人の息子には「覚悟だけはしておけ!」と一応父親らしいことを言っています。

読んでいて見識の深さに驚きました。田原総一郎など目でないですね。尖閣今後どう展開するか分かりませんが、外交ベタでは、いつの時代も日本はダメですね。知事も人気投票ですから、本当に政治が分かっているのか、自己実現(中国憎し)だけで動いていて、おかしくなれば政府の責任に転化するのでしょう。尖閣遠いですね。台湾、中国の方が近いですから、知らない人(私も)はこれ日本の人が持っているるの。どうやっていくの。と思うでしょう。まず先に面倒だなと考えてしまいます。政府も今まではそうだろうと思います。火が付いたので消そうか。だけですから国の政策などないでしょう。実効支配することがいかに大事か(so-onさんが言う様の)。外交では既成事実をつくる。嘘ついてもごまかしてもつくる。最後にごめんなさいで済ませることもできるのです。そこの駆け引きができないのが日本です。石原知事なんて井の中の蛙です。どこかと交換する。竹島、北方4島、尖閣も考えておくべきでしょう。どこまで日本が有利に進められるか。
田原総一郎の記事に、4島返還で2島のとき、外務省は反対し、宗男は勧めた。その後刑務所。いまだ4島返還されず。もっとひどくなる。日本の自主性などなし。アメリカの顔を伺い、国益を損なう。

また読ませてください。

i池上さんの日本の首相シリーズの戦前版も昭和史を知るには「わかりやすい」
天皇がリベラルでドイツ派の陸軍よりも英米派の海軍出身の首相を望んでいたこと。高橋是清から英語を学び、奥さんも英語の達人で外交力が優れていたこと。内政面でも財政の効率配分で国民に自助努力を促したこと。結局英米派が陸軍のクーデターで殺された後、東条内閣の登場、英米との対決に進んだこと。

kktfさん

コメントありがとうございます。おっしゃっている本は「日米開戦の真実」ですか?面白そうなので、自分も読んでみることにします。

自分がこう言うのもなんですが、どんな国の若者であれ、実際に侵略されれば銃を取って戦うんだと思います。太平洋戦争時もアメリカはなかなか参戦に踏み切れませんでしたが、Remember Pearl Harbor!となるや否や志願兵が殺到したわけですから。そういえば最近知ったのですが、太平洋戦争時、アメリカも食糧等が配給制となり、民間の金属の供出も行っていたそうです。実はアメリカにとっても途中までは苦しい戦いだったわけですね。

話しが逸れましたが、多少の軍隊的運動の不慣れ等はあるかもしれませんが、実際にその時が来たら動くのでしょう。そして、大きな犠牲を何にせよ払うわけです。

だからこそ、実際に衝突を起こすこと無く国益を最大化する、残念ながら実際に戦わざるを得なくなったときのために軍備の充実(どんなに頑張って剣を振り回してもボタン一つで何万人も倒せる時代ですから)を図る、これしかないのだと思います。

尖閣ではその後の記事でも書きましたが、今の動きは余りに稚拙と思わざるを得ません。単純に相手国民の感情を逆撫でして、実際に実効支配を強めるわけでもなく、また先日はアメリカ国民の同意を得るために意見広告を出してみたりしてと、やることなすこと疑問符だらけです。アメリカは第二次世界大戦の勝者、アジアでの日本の暴虐無人の侵略をこらしめた英雄という立ち位置なのですから、中国相手に領土紛争みたいなことを出せば、また侵略しているのか?とアメリカ人に思われる結果になるような気がしてなりません。アメリカの同情を買いたいのなら、日本領土内で平穏に過ごしていた民間人がひどい目に遭わされたという形を作るべきです。すなわちおおげさに言うこと無く民間人や軍隊色の薄い海上保安庁の施設(灯台なんかがいいのでしょう。実際にそうしようとしていました)を置いて、兎に角、人がそこで暮らすことです。こんな変なプロパガンダでは、情勢を悪化させるだけです。

いかに国内的な論理だけで無く、国際的に認められるような論理展開でものごとを進めるか。大義名分は何かを意識して進めることが重要だと思います。我々国民が主権者というのであれば、そういった観点を持つ政治家・政党を選挙で選ぶべきなんでしょうね。

鈴木良勝さん

お初のコメント、並びにお褒めの言葉をいただき、誠にありがとうございます。いや、そんなに大した人間では無く、勝手に吠えているだけなので、適当に流してください・・・。

もしかすると石原さんは少年期、つまり戦後直後に俗に言う三国人や進駐軍にイヤな思いをしていたのかもしれませんね。確かお父様は港湾関係の仕事だった筈ですし。江沢民さんも上海で日本軍に銃剣で小突かれ怪我をしたことをずっと根に持っていたと聞いたことがあります。結局人間ってそんなもんですよね(^^ゞ

だからこその「自己実現(中国憎し)」だと思いました。大変勉強になります。

日本外交は〜というお話しがありました。しかし、明治時代も戦国時代〜江戸時代初期(除く文禄慶長の役)にかけても、とても上手くやっていたと思います。つまり自分たちのムラ論理で動かず、絶えず外にいる敵に対しての意識が敏感な時は、しっかりとした外交をしているように思います。

今は何にせよ、外交の大きな手段である軍事力を持っていないだけに、どうしても理想論か諦観主義的な考えが強いように見えます。そうではなくおっしゃるように既成事実と駆け引きをどの程度できるようになるかで、今後の日本の進路が決まっていくように思いました。

またご高説を是非お聞かせください。今後ともよろしくお願いします。

文武両道さん

コメントありがとうございます。

みなさんから興味深い本をご紹介頂くと、どんどん読みたくなって困ります(^^ゞ
これからもどんどん教えてください。

さて、最新号はどうやら平沼騏一郎さん以下3人の総理のようですね。私はどうにもこうにも平沼博士(こっちの方がいいのでしょう)の神がかった思想が受け入れられないので、今の平沼さんが軍部独裁に反抗した闘士だといった類の事を発言される度に首を傾げています。今度石原さんと何かするようですが。

自分は昭和天皇は、あの困難な状況の中、よくぞここまで日本をお導きくださったと思っています。が、全くの平和主義者とも思っていません。確かに海軍系統の岡田さんであったり鈴木貫太郎さんであったりを信頼されていたそうですが、東條英機さんのこともまた信頼されていたそうです。観念的な物言いをする人が好きでは無く、合理的・現実的な思考をされる方だったと思っています。そしてそれは大変重要なことだと思います。つまり為政者は合理的・現実的な思考が出来る人でなければいけないと思うのです。残念なことは戦前の指導層は幼少期に日露戦争の大躍進を経験した人たちばかりだったので、どこかで神がかった思想を持ってしまっていたことだと思います。

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