『レイテ決戦』を読んで
とある人に薦められて読んだ本でしたが、一気に最後まで読み切りました。
本の帯にはこう記されています。
なぜ日本軍は惨敗を喫し、崩壊したのか―新視点で捉えた“日米激突”の全貌!最後の日米決戦となった史上最大の戦いを、日本人とアメリカ人の思考、行動の差異、データを対比して徹底研究する。
レイテ決戦とは太平洋戦争における海上での最大規模の、そしてその後の戦いの帰趨を決した海戦ですが、いかにして立案され、そしてどのような経過をたどって日本が敗北したか組織論からアプローチした本です。
そもそもこの戦いは、米軍がフィリピンに迫り来る中、台湾沖航空戦で全くの誤報による大戦果(4日間の戦いで、米空母部隊がほぼ壊滅したかのような話し)を元に海軍は敵艦隊の壊滅を、陸軍はルソンで迎撃をする予定から急遽レイテ島に出て決戦を行い、米上陸部隊に一大打撃を加える意図で行われた作戦ですが、結果は惨憺たるmono
に終わってしまいました。それは大前提であった米機動艦隊は殆ど無傷だったからであり、海軍はしばらくしてそれが誤報であることに気付くもそのまま内密にし、陸軍も一部で戦果を疑ったものの結局それをベースに作戦を立てたからです。
そして歴史的に有名な栗田艦隊の謎の方向転換も起こっています。
これを読むといかに官僚組織的なものが、事態がどんどん進展していく有事に対して無力であるかがわかります。
ここに言う官僚組織的なものとは
・前例主義
・自らの責任での意見具申を行わない
・同僚の失敗をかばう
・手続き上の不備に固執する
・自分がいかに失敗の責任を負わないようにするかに汲々とする
つまりリスクを取って自ら決断することをしないということが、合理的な判断をさせないでいるのです。組織の面子を気にすること無く早く誤報であることを共有できたら、また用意してきたルソン迎撃戦のままで戦闘を行えたらどうなったか?硫黄島とは比べものにならないくらいの準備をしていたルソンでの戦いはまた違った様相を呈したかもしれません。
またマッカーサーが「勝利はいまや栗田提督のふところに転げこもうとしていた」と回想していたことから、自分もあそこで反転せずにいたらとよく思っていましたが、筆者が「例え突入していたとしても、事前の陸軍との打合せで艦砲射撃は同士討ちの恐れもあるのでやめてほしいと言われていたことから輸送船団の砲撃のみとなり、すでに陸揚げがほぼ終わっていた状況では意味が殆ど無かった」という意見にも目からうろこが落ちる思いでした。アメリカ軍はすでに戦艦の運用を空母の護衛と、陸上への砲撃に主眼を当てていたのに対し、日本軍は伝統的に持っていた思想、艦隊決戦用に用いることを主眼としていましたから。これまた兵器のその時々の状況にあった運用ができていなかったことに他なりません。
このように官僚主義的な組織が引き起こした残念な状況は、この時の日本軍にのみ顕著な状況であったわけではありません。どうしても我々日本人は、リスクを取って自ら決断することが苦手な民族のように感じます。次にご紹介する予定の本もそんなことに触れられたものです。
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前例主義
・自らの責任での意見具申を行わない
・同僚の失敗をかばう
・手続き上の不備に固執する
・自分がいかに失敗の責任を負わないようにするかに汲々とする
つまりリスクを取って自ら決断することをしないということが、合理的な判断をさせないでいるのです。組織の面子を気にすること無く早く誤報であることを共有できたら、
陸軍で言えば、辻参謀のインパール作戦。
オリンパスで言えば、財務担当のトップたち。
官僚の問題は大企業の問題でも・・・
投稿: 文武両道 | 2011年11月13日 (日曜日) 14:00
辻参謀のかかわったノモンハン事変、インパール作戦、ガダルカナル奪回戦で多くの戦死者が出た。基本的に「進め、進め」の発想からなる作戦計画。敵情を誤って判断し、突っ走ったまま、とことんやられる。失敗しても早期に作戦を変えない。作戦計画の問題でなく前線の努力が足りないから、もっと頑張れとなる。インパール作戦でも同じ作戦を失敗しても繰り返すので、逆にイギリス軍のほうで呆れた。
日露戦争でも司馬遼太郎が「坂の上の雲」で203高地の戦いを書いているときに、毎回同じような作戦を失敗しても繰り返すので、同じ民族として唖然となり、たびたび筆をおいたという。
引いたり押したりの守りに弱い。これは日本陸軍だけでなく日本企業の特色。
投稿: 文武両道 | 2011年11月13日 (日曜日) 14:20
大東亜戦争の敗戦は国民にも大きな責任あり。日露戦争に勝ったままの国家高揚の中で、米英に負けるとは考えらない情報しかなかったでしょうから仕方ないかも。職業軍人であれば、山本五十六です。
インパール作戦では戦死者はほとんど出ていません。病死か餓死です。これも「牟田口」の狂気の結末です。軍律厳しい陸軍で、三個師団の師団長が更迭されるのは異常です。各師団長は補給もなく、戦わずして部下が死んで行く我慢の限界を超えての造反でした。
巨艦巨砲主義で臨んだ戦に「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパレス」と英国の誇る戦艦を沈めたのは航空戦力でした。真珠湾で第二次攻撃を中止した「南雲」、ミッドウェイで、航空母艦と陸上基地の攻撃を迷った「南雲」。レイテでは輸送船と戦うより道の敵を目指し、反転北上した「栗田」、小沢艦隊は計画通り、囮作戦で敵を引きつけていたにも関わらず。
海軍が戦争を回避すれば、陸軍はどこにも出ていけなかったのでは。「失敗の本質」の本を読むときちんと分析されよくわかります。明治三十八年の新式銃、零戦を改造して主戦闘機のままでは・・・・。
知覧の特攻祈念館に行くと情けなくて気の毒で涙が出ます。それでもここに書かれたものを残せた人たちは幸せだと。南方戦線で泥水の中で力尽きた多くの人たちがいることを考えると・・・。
投稿: 三角ベース | 2011年11月13日 (日曜日) 20:02
文武両道さん
コメントありがとうございます。
そうなんですよね。軍とか官僚とかオリンパスとかではなく、国民性なのではないかと最近思ってしまうほど、こういった例は多々見掛けます。辻参謀は逆に日本人らしくないというか、積極的に意見を吐露し、責任はさっぱり取らない方に見えますが・・・。
押したり引いたりに弱いというのも国民性かと。というのも「押す」というコンセンサスが出来上がった後に、本当は今引いた方がいいと思っても、なかなか言い出せずにそのまま流れで行ってしまうとか。
トップとスタッフ、そしてその組織に与える権限。これを個人的なカリスマ、なあなあな決め事で行うのではなく、明示することが今の状況では大事なのかも知れませんね。
そういえばそんなことが読売方面でも・・・。
投稿: 管理人 | 2011年11月27日 (日曜日) 10:56