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2011年3月

地震のとき、一番の情報源はどこ?

ブログネタ: 地震のとき、一番の情報源はどこ?参加数拍手

こんな時だけに、久しぶりにコネタマを覗いてみたら震災モノが並んでいました。

そんなわけで今回のお題は「地震のとき、一番の情報源はどこ?」とのこと。

自分はテレビとインターネットの合わせ技といった感じでした。

前に記事に書きましたが、震災当日は日吉台球場にいました。余りの強い揺れになんだろうこれは?と思い、まずは打者を撮るために連写モードにしていた愛機Nikon D90を急遽動画モードに変え、そしてこの動きを記録に残そうと思い撮影していました。あの時は冷静に廻りを見ようと思っていましたが、今見ると結構ブレブレで、視野もかなりの急展開をしているので、やっぱり落ち着いていないなあと思います。

そしてようやく揺れが収まって、まず行ったのはインターネットのウェザーニュースのページを見て、震度チェック。後ろではワンセグを見ようとしている方の声が入っています。そして飛び込んできたのがマグニチュード8近くで震度7
もあったという速報(後にマグニチュードは9.0と修正されました)を見てびっくり。正面では火の手と煙が目に入り、一体どうなってしまったんだろう・・・?と。さすがに、野球観戦をし続ける訳にもいかず、急いで車に向かいました。

そして車に乗ってからは、テレビを急いでつけてNHKに合わせます。すると津波の映像が・・・。おもちゃみたいにたくさん浮いている車の画像が、なんだか現実感も無く目に入りました。

道では停電のため、真っ暗な信号が続きます。いったいなんなんだ、これ?

携帯はさっぱりつながらず。であればと思い、手持ちのMac Book Airから会社の全社員PC&携帯宛MLに安否確認のメールを打ちます。そうすると、早々に事務所からは返信が返ってきます。なるほど、会社は無事で通信手段も確保、電気も通電しているんだなと。もちろん電話はまだ繋がらないので、メールで安否確認すべき場所と内容を指示。直感的に固定電話の方がまだつながると思っていたので、リダイヤルを何回でもいいからして、とにかく繋がるまでかけるようにと。そうすると、ポツポツと現場の状況の連絡が入ってくるように。また、何かの弾みで携帯に届いたメールから返信してくる人も次第に増えてきて、発生後大体1時間くらいで、全社員と全現場の取りあえずの安否確認が出来ました。

ちなみに備忘録としてですが、あの日確かに携帯メールもなかなか届きませんでした。そして後でまとめて届くといった現象に遭遇した人は多かったのではないでしょうか。あれはきっと、携帯のサーバーからプッシュされた情報は応答が無いと、そこで一旦諦めてサーバー保管になってしまうのでしょうね。そして次のメールが来たとき、また同じことがなされ、たまたま繋がったときにまとめて届くといった具合だったのでしょう。なので、あの日の後、携帯がつながりにくくなる状況に陥ったら、携帯電話のメールのメニューの「新着メール問い合わせ」を定期的に試してみることを指示しました。こうやれば、何回かするとメールを受信することが出来ます。

また、その日のうちにセットアップしてSkypeも使うように。こちらもまたよく繋がりました。

なので一番の情報源は?というよりは、複数の媒体を使いながら、自分の中で全体像を描いていくということが大事なんだろうと思います。その上で、今回はMac Book Air+Pocket WiFiの組み合わせは、大変心強かったです。

何にしろ、混乱期には一にも二にも確度の高い情報を得ること、それをしっかり判断することが何よりも求められますね。

We never walk alone ~vol.1

こんなことが出来るんですね!

タイの発電所、日本に丸ごと貸し出しへ (From TBS News i)
 原発事故で電力が不足している日本をサポートしようと、タイの電力公社が発電所を丸ごと無償で貸し出すことになりました。

 日本に貸し出されるのは、巨大な煙突、タービン、発電機といった発電設備一式、これを2セットです。発電所ほぼまるごと、日本に移設されます。

 東京電力に貸し出されるのは12万2000キロワットのガスタービン発電設備2機などで、およそ24万世帯分の電力を賄うことができます。この発電設備は日本製で、95年から稼働していますが、現在はピーク時を除いて使われていないため、電力不足に悩む日本に無償で貸し出すことになりました。

 「日本はこの困難に対し決して孤独ではありません。何でもサポートします」(タイ電力公社の社員)

 発電所は分解して船で運び、東京近郊に移設されるということで、東京電力では今年8月の運用開始を目指しています。発電機だけのレンタルはありますが、発電所が丸ごと貸し出されるケースは、世界でも極めて珍しいということです。(29日17:48)

こういった時期にこういったことを言ってくれるとは、タイの人には本当に感謝です。ますますタイカレーが好きになりそうですhappy01

力を貰った言葉

今、夕食の合間にスピリッツを読んでいたら、興南の我喜屋監督のインタビューが掲載されていました。

多分震災前に取材されていたと思われますが、味わい深い言葉がありました。


「逆境は逃げていたらいつまでも追いかけてくる。でも、友達になれば逆境ではなくなる。それが普通になるんです。」

様々な苦労を重ねてきたからこそ言える言葉だと思います。

また、選抜高校野球での選手宣誓は内容もさることながら、創志学園の野山主将の前をきっと見つめ続けるあの態度、表情に心動かされました。

「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。」


東京消防庁の石井隊長の言葉も心動かされます。

「被ばく線量の最大値が自分でよかった」

記事はこちらから。


他にも多々心動かされる、力を貰った言葉がここ2週間で多かったような気がします。

こういった時こそ、その人の人間そのものが出るのでしょうね。

「言葉の力」、本当に大きな大きなものを秘めています。

頑張ろう、日本!頑張ろう、東北!


Image
(黄色と黒は勇気のしるし♪さんご提供)

週刊東洋経済3月26日号 「検証!大震災」を読んで

週刊東洋経済を読んでいたら、関東大震災直後に当時東洋経済新聞の主筆だった石橋湛山(戦後に首相となる)が書いた社説の一部が紹介されていました。

「わが国は今回の災害により、あらゆる方面に、人為のさらに改良すべきものあるを発見する」と論じ「この経験を科学化せよ」と訴えた。

至言であると感じます。

徒に悲観論や責任論、または根拠のない楽観論を述べるのではなく、「人為のさらに改良すべきもの」を見つけるために「経験を科学化する」ことが必要だと思うのです。

ここしばらくは原子力発電は目の敵にされるでしょう。高度に細分化された生産体制も見直されるのかも知れません。津波対策は合理的なコスト判断と心情的に求める完璧さとの狭間に揺れるかもしれません。

ただ、そこに「正義」とか「心情」を過度に振り回すことなく(もちろん適度な配慮は必要です)、どういったメカニズムで今回の問題が起こったかを科学的に分析し、そして爾後に活かす以外に道はないのです。退化を望むのでなければ。


また、今回の福島原子力発電所事故では、広範囲な影響も相まって、いろいろな意見が飛び交っています。ただその中で、おそらくみんな思っているであろうが口に出しては言えないことを、同じ誌面で佐藤優さんが話していました。

太平洋戦争後の日本の社会システムは、合理主義、生命至上主義、個人主義を基本として作られれている。したがって、職務遂行と生命がてんびんにかけられた場合、生命のほうを尊重するという原則になっている。ただし実際には、生命よりも職務遂行のほうに重みがある、無限責任を負う職業が存在する。自衛官、警察官、消防士、海上保安官、それに外交官は、その職務の性質上、目源責任を負う。東京電力の職員が無限責任を負うことは想定されていない。ただし、今回、多くの国民の生命、健康、財産を守るために、東京電力の原子力専門家は、無限責任を負って職務を遂行することが求められている。

有り体に言えば、お国の為に命を投げ出せと言わざるを得ない人たちが少なからずいるということです。誰が見たって、あの高濃度となってしまっている放射線が飛び交う中、作業を行うことが自分の生命、健康に全く影響が無いわけがないのです。きれいごとではなく、そこにある種の残酷さを伴うものが指示にあることもあり得るのです。裁判員制度でもそうですが、誰だって「君、死んでくれ」と言うのは大変な心理的重圧がかかります。ましてや、今の社会システムです。それを担わなければいけない任命権者は誰か?ということになります。

そういった事態を踏まえて、彼は最初にこう主張します。

このような危機に対処するために、まず重要なのは、菅直人首相に権力を集中することである。政治休戦や大連立では不十分だ。戦いを一時的にやめる政治休戦ではなく、積極的に、見返りを求めず、菅首相を野党が助けることが必要だ。(中略)ここで重要なのは菅直人という固有名詞ではない。日本国民の民主的手続きを経て選び出された最高権力者である、日本国内閣総理大臣(首相)という役職である。首相に完全なフリーハンドを与えることが重要だ。首相は、政争や個人的好悪の感情を超え、国家的見地から与野党、官民を問わず、適切な人材を登用し、危機に対処することが求められている。

状況によっては、日本国家と日本国民を危機から救い出すために、菅首相が超法規的措置をとらなくてはならない状況が生じる。日本政府が東京電力の原子力専門家に対して、国家の為に命を捨てる仕事を依頼しなくてはならない局面も出てきうる。日本国家と日本国民が生き残る為に菅首相が最適の決断をできるような環境を、政治家、マスメディア関係者、国民が三位一体になって整えることが重要だと思う。

全くその通りだと思います。ここで大事なことは、全ての人がそれなりに満足するという選択肢は今の段階であり得ないということ。その不満に足を取られてしまい、大事な決断を速やかに行えないことがこの状況では一番怖いので、菅首相に権力を集中した上で、適切な判断を下せるような環境作りをすることが今一番必要に感じます。

そして、日本人の特性についても触れています。この原発事故でたびたび聞かれる東京電力の情報開示の姿勢に対する批判、それに急かされて不正確な情報を出し更に混乱する姿がありますが、そのことに対して、

本件に関して、政府や東京電力の対応に問題があったことは間違いない。しかし、なぜこのようになったのかについて内在的論理を押さえなくては、的確な対処方針を立てることが出来ない。日本の官僚やエリート会社員の能力は高い。

東京電力の原子力専門家も世界の最高水準を誇っている。ただし、日本のエリートは完璧主義で訓練されているため、責任追及を過度に恐れる傾向がある。日本のエリートはひ弱だと批判することは簡単だ。筆者を含む大多数の日本人がこのようなひ弱さを持っているという現実から出発しなくてはならない。専門家が後で責任を追及されると考えると萎縮してしまい、判断を間違えたり、リスクのある措置をとらなくなることがある。

マスメディアに求められるのは、専門家が萎縮せず専門知識と職業的良心に基づいて、所与の条件下、リスクを伴っても最善の処理を行えるようにする可能性を閉ざさないことだ。危機管理の要諦は、最悪の事態を回避する為にリスクを恐れないことだ。今回の東日本大震災から新社会人が学び取る教訓はたくさんある。

と指摘しています。

こういった時期だけにいろいろな意見があると思います。一番大事なことはいかに事態を収拾するかということ。一種の組織論から論じている佐藤さんの意見は、大変興味深く読ませてもらえました。

興味深い記事のご紹介1

リスクが全く未知だったということは少ないものですね。実生活でもよくあります。ああ、こう思っていたのにな・・・と。リスクを想起したとき、その頻度とその大きさを考え、頻発するモノ、ないしは被害が甚大なものに対しては、スピード感を持って対処しないといけないものですね。

特報:福島第一原発、津波を「再評価中」だった(From ケンプラッツ


 津波による浸水で電源を断たれ原子炉を冷却できなくなった福島第一原子力発電所。2006年に改定された耐震設計審査指針(新耐震指針)に基づいて、津波に対する安全性を再評価している最中だったことが日経コンストラクションの調べで分かった。

 東京電力は1966年の福島第一原発の設置許可申請時、60年のチリ地震津波での水位変動を考慮して、津波の高さを想定した。福島県小名浜地方の年平均潮位より3.1m高い水位だ。なお、引き波時の下降水位はマイナス1.9mと想定した。

 その後、土木学会が2002年に「原子力発電所の津波評価技術」をまとめたのを受けて、東電は津波に対する安全性評価を見直した。マグニチュード8.0 の地震による津波を想定し、津波の最大高さは5.7m、引き波時の下降水位はマイナス3.0mとした。東電によればこの時、原子炉の冷却に必要な取水ポンプの設置方法を見直すなどの対策を講じている。

 06年9月、政府の原子力安全委員会は新耐震指針を制定し、経済産業省原子力安全・保安院が各原発事業者に耐震安全性の再評価を指示した。なお、81年の耐震指針制定後、初めての本格的な改定だ。

 新耐震指針のポイントは、重要な構造物や設備の耐震性を評価する際の入力地震動をより精緻に、より厳格に設定することだ。設定した入力地震動に対する構造物や設備の応答を計算して、耐震性を評価する。

 さらに、津波や周辺斜面の崩壊についても考慮するよう求めている。ただし、津波に関しては「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」という一文のみ。しかも定性的な表現にとどまっている。

耐震性の評価を終え津波はこれから

 新耐震指針に基づく再評価は、(1)基準地震動の設定と原子炉建屋など重要施設の評価(中間評価)、(2)周辺斜面や津波の評価と基礎地盤の評価、屋外重要土木構造物の評価(最終評価)という2段階で実施する。

■原子力発電所の耐震安全性評価の概要

Fig15

 東電は福島第一原発に関して、まず5号機の中間評価を08年3月に保安院に報告し、09年7月に保安院から「妥当である」という内容の審査結果を受けている。3号機と4号機についても同様に、中間評価までは審査を終えている。

 最終評価に向けて、津波に対する再評価を検討している最中に東日本大震災が発生した。震災が発生しなくても、東電は最新の海底や海岸の地形データや、潮位のデータを使って計算をやり直し、津波の高さなどの想定を見直す可能性があった。

 結果論から言えば、津波に対する再評価が間に合っていたとしても、高さ14mと推定される今回の大津波を防げなかったかもしれない。政府の地震調査委員会が「想定外」と言う四つ以上の震源域が連動して動く巨大地震を想定するはずがないからだ。

 土木学会の原子力土木委員会津波評価部会は07年に発表した「津波評価手法の高精度化研究」で、津波水位の確率論的な評価方法や高精度の数値モデルなどを示した。東電は既に最終評価を終えた柏崎刈羽原発で、「現時点でプラクティスとして確立しておりません」として採用しなかった。

 地震動以上に不確定要素が多くて想定が難しい津波だから、最新の研究成果を積極的に取り入れ、より安全側に想定することが求められる。

渋谷 和久[日経コンストラクション]


きみは日本でいったいなにをするつもりだ!?

完全に管理人まで忘れかかっていたこのカテゴリー。

ちょっと思い出したので、書いてみます。

この言葉というよりは、その全体の流れでの言葉です。


まだ千秋が日本にいる頃、せっかく才能の煌めきを発揮しつつあったのに、飛行機恐怖症から海外に行くことが出来ない。それを音楽評論家が大変惜しみ、タイトルの言葉を言います。その時は反発していましたが、その言葉を聞いてからモヤモヤが取れません。そして、同じ言葉をのだめに言ったとき、彼ははたと気づくのです。

そうだ

海外に行けないことが問題じゃないんだ

もう


(きみは日本でいったいなにをするつもりだ!?)

それなんだよ

(コミック6巻p32)


人はいろいろな状況に対して、苛立ちを覚えます。

今回の震災に対してもそう。

菅総理は何をやっておる!

東京電力はどうにもならん官僚体質で隠蔽体質だ!

ACのCMの音が耳障りだ!

あいつは省エネを無視して、電気を好きなだけ使っている!

セ・リーグは一体何を考えているんだ!


確かに一つ一つには理があり、それは正しい意見だと思います。

でもそう言って苛立ちをぶつけることに目を囚われるより、

「こういった状況下において、自分はいったいなにをするつもりだ!?」

と自分に問いかけることが大事だと思うのです。

いくら雨が降ったからと言って天に唾してもどうにでもなるものでもありません。

自分が出来うることを、どうやって行っていくか。人の一生を一つの物語として考えれば、どんな物語にしていきたいのかを決めていくことこそが、自分の短い生涯を意義づけることとなるのだと思うのです。

自分もまだまだ出来ることがあるはずです。日々過ごしていきながら、出来ることを一つでも多く見つけていきたいと思います。

ミイラ取りがミイラになる?

慶應義塾高校野球部の上田監督の名物コラム?「監督の独白」。

こういった事態を前に一旦中断を決意したものの、被災地の方からの声に応え力強く復活されていました。愛読している自分としても嬉しい限りです。

さて、その中で早速吠えていらっしゃいました。

毎日新聞にスポーツ社会学を専攻とする、筑波大学の清水論教授のコメントが大きく載っていた。要は選抜開催を反対している。反対のポイントは(1)高校野球は全国に強力なメッセージを配信してきた。だが今回ばかりは誰も共有できるメッセージにはならない。外からの押し付けに映れば逆効果だ。場合によっては選手そのものが批判の対象になる。(2)高校野球は教育の一環だと位置付けてきた。ならば今でこそ高校生に何ができるか考えさせろ。(3)春夏合同で開催するなど方法を考えろ。と書かれていた。どこがスポーツ社会学だと愕然としたが、僕が個人的に思う事を述べる。

(中略)

この学者は何をアマチュア野球、しかも高校野球に何を求めているのだ。憂国の若者たちが戦時中に最後の早慶戦を行ったこととどこかオーバーラップする。

早速、大いに吠えていらっしゃいますcoldsweats01


一体全体どんなコラムだったのでしょうか?

 ◇中止もメッセージ--清水諭・筑波大大学院教授(スポーツ社会学)

 戦争で中断した時期はあるが、高校野球が大正期から継続し、築き上げてきた歴史の重みは人々に理解されている。だが、東日本大震災の被災状況、福島原発を巡る深刻な事態を考えれば開催すべきではなかったと思う。

 高校野球はこれまで全国に強力なメッセージを発信してきた。球児の一投一打はまさに青春そのもので、見ている人に力を与える。だが今回ばかりは被災者を含め、誰もが共有できるメッセージにはなるまい。被災地の中にはテレビ中継が見られない地域もある。外からの押し付けに映れば逆効果。場合によっては選手そのものが批判の対象になる。

 阪神大震災のあった95年のセンバツは復興の兆しが見えていたが、今は未曽有の危機。考え方を変える必要がある。日本高野連は高校野球を教育の一環に位置付けてきた。ならば、高校生に何ができるか考えさせるいい機会。選手は本当に野球ができるかどうか理解しているはずだ。

 また、主催者は開催するにしても日程短縮のために各校1試合に限るなど何らかの工夫ができなかったか。開催しないこともメッセージ。春夏合同で開催するなど、甲子園に新たな歴史の一歩を刻んでほしかった。

確かに何を選手たちに求めているのか、よくわかりません。ちょっとこの方の名前で調べてみると・・・、


清水諭『甲子園野球のアルケオロジー』新評論<旧刊再訪>

なるほど、この方は甲子園大会というものが高校生の部活の域を越え、地域的・社会的な祝祭となってしまっている現状を客観的に分析していらっしゃる方なんだなあと感じました。

そういった「祝祭的雰囲気」に批判的であったにも関わらず、「甲子園とは祝祭的イベント」という固定観念に囚われ、今はそういった祝祭的なものにならないから開催するのは良くないといった論旨になっているように感じます。すなわちミイラ取りがミイラになってしまっているような感じに。

選手と共に歩んでいる監督の立場からすれば、それこそ「この学者は何をアマチュア野球、しかも高校野球に何を求めているのだ?」と言いたくなるでしょうね。彼は結果的には分析の対象だった「祝祭的雰囲気」が、そうでなければいけないことになってしまったのでしょう。学者の方で時々見かけるのですが、自分の学説に、現実を適合させようとしすぎているのかもしれませんね。

高校野球は、どう考えてもそこでプレーする選手たちのためのものです。特にアマチュアなのですから、観客を感動させよう、メッセージを伝えようではなく、悔いのないプレーをすることが一番の目的でしょう。そこに大人たちがいろいろな意味合いを乗せていくと、違った方向に行ってしまいます。東北高校、水城高校の選手はもちろん、他の高校の選手も含め、野球の出来る喜びを感じながら、悔いのないプレーをしてきて貰いたいですね。

【多事争論】放射線量が下がり、そして日本は・・・

東日本大震災から1週間が経過しました。

被災地、福島原子力発電所、計画停電地域など各所で、献身的な努力・譲り合いの精神が発揮されている報道を見ていると、同じ日本人として誇りに思います。

心配していた福島原子力発電所もまだまだ予断を許さないとは言え、周辺を含む放射線量は一頃よりは下がってきています。

http://www.tepco.co.jp/nu/monitoring/index-j.html

http://www.houshasen-pref-ibaraki.jp/present/result01.html

http://www.atom.pref.kanagawa.jp/cgi-bin2/telemeter_map.cgi?Area=all&Type=WL

http://www.kankyo-hoshano.go.jp/real-data/servlet/area_in?areacode=1

一時期はどこもこの数値より遙かに大きい数字が出ていました。これが漸減の傾向にあるので、今のところ新たな爆発的事象や漏出という事態にはなっていないのだと思います。これは一にも二にも現場で文字通り命がけで作業に取り組んでくれている多くの人たちのおかげだと思います。委ねられた大きな期待に応えようとする人たちの尊い気持ちは賞賛しきれないほどだと思います。

ただ、まだ電源復旧→緊急冷却装置の再稼働という、持続的改善には至っていないので、まだまだ予断を許さない状況であることには変わりないですね。引き続き、日本の幸運を祈るしかないですね。


さて、震災のショックからようやく頭も普通に回り出してきているところで、いろいろな批判や問題点が提起されてきています。

佐々さんの言った「Crisis ManagementではなくManagement Crisisだ」という言葉は言い得て妙だと思いましたが、今は方々で最善を尽くそうと努力をしているものの、それが統合した形で動くというようになっていないというところが問題点のように感じます。戦争に例えてみると、広範囲における大規模戦闘が突如開始され、参謀本部は大混乱。個別戦闘地域に注意が払われ、他方面での注意が散漫。さらに各現地軍の司令官が誰かも明確になっておらず、そこに与えられている権限も不明確という中、個別の戦闘で兵隊が奮闘しているといった具合でしょうか。

どこかで聞いた光景だと思ったら、太平洋戦争末期のソ連侵攻に似ているように感じます。

また、報道も最近読んだ「太平洋戦争と新聞」で読んだような光景、すなわち悲劇的な状況、英雄譚、各社が競って展開する募金。昨日の8日ぶり発見の報道も、そういった感動的なニュースの収集を中央から指示されていたばかりに起こった勇み足のように感じます。

また、首都圏で起こっている種々の買い占め騒動は、オイルショックの頃を彷彿とさせます。

つまり、危機状況下において取る行動とは、時代の差なく大体同じようなことになるのだと思います。だからこそ、歴史、特に近現代史を知っておくことは大変重要なことだと思うのです。

よく小馬鹿にしたように言われる「大本営発表」もただ彼らが無能であったり、不誠実であったから行われたものではなく、彼らなりに拘った要件、つまり国民の士気であったり情報不足であったり責任問題であったりしたわけで、当時の彼らを嗤うのではなく、どうしてそうせざるを得なくなったのか、どうすればもっと有用な形になるかを考えることこそが大事だと考えます。

だからこそ、今の政府の情報公開不足や混乱を批判・批難もいいのですが、それより「今、こうすべきだ」という意見を開陳する方が有効だと思います。ここにこそ、政治家の出番があるのだと思うのですが。

私は専門家でもなんでもないので、子供じみたことしか考えられませんが、兎にも角にも今必要なのは、大方針、中方針、小方針の確立と、判断の速さが求められる事態では適切な権限委譲が行われるべきだと考えます。

まず短期的には、一番大きな課題は「混乱の収束」。これに尽きると思います。

この「混乱」には思いつくだけで挙げてみると、「原子力発電所被災における、放射能被害の防止」「被災地における、必要最低限の生活環境の確立」「日本全国の物流の混乱の収束」「各支援表明国の支援内容の整理と、その効果的な活用」「被災していない地域の混乱の収束」「市場の混乱の収束」「情報開示の混乱の収束」 といったところでしょうか。

(ちょっと小さく批判しますが、市場の混乱に対する無策さは上記の中でも際立っていました。変節したといろいろ批難を受けたY大臣はこの急激な円高に対し、道義的なことを口にする始末。私がY大臣を評価しないと言った理由がここにあります。)

そうしたらその問題の解決をする長を早急に任命する。そして、各課題に対して、人・モノ・カネの算段、およびその運用を今ある優秀な官僚組織をフル稼働させて、1日で立案させる。

その上で、それを調整する統合会議を総理直轄で行う。本当はこれは閣議の仕事のような気もしますが、それに機能しない人々がいるというのであれば、実質重視の会議形式にする。

そして、その方針に従って迅速な行動を取り、その達成状況を定期的に報告し、中央で各部署の調整を図る。

こういったことが必要だと考えます。責任を分担してどうこうではなく、責任の所在を明確化し、目標および必達事項を明確化して、連動的な動きを図る、これが大事だと思います。

日本は戦後、実はもともとそちらの方が性に合っていると思われる並列的な組織を良しとしてきました。平時には各意見を集められる利点がありますが、非常時には意見の集約に時間がかかり、効果的な対応が取れない弱点が目立っています。非常時には垂直的組織の構築も必要だと、認識した方が良いと思うのです。


そして、その混乱が収束の兆しを見せたと同時に中長期的計画、すなわち「日本復興計画」の実施だと思います。

原典を忘れたのでうろ覚えですが、関東大震災の後、後藤新平が「帝都を復旧するのではない。これを好機に復興するのだ!」力強く宣言したと何かで読んでような記憶があります。今日本に漂っていた閉塞感を打ち破るきっかけとして、この大震災の教訓をいかし、より力強い日本の復興を目指すべきです。

そういったことを軸に大連立を組む!と言ってくれれば、お互いに良かったのですが。今回のちょっとした連立騒動、「責任を分担してほしい」と言った日本の最高責任者もそうですし、「共同責任を負わせようとしているのか」と言った野党第一党の総裁もそうですが、もっと党の利害を越えて、日本のために何かしませんか?「私が責任は取るので、どうか貴党の優秀な人材・豊富な経験をこの国難に役立たせていただきたい」「浅学非才ではありますが、この身が日本のためとなるのであれば、よろこんで泥をかぶりましょう」みたいな会話を本当はしてほしかったなあ・・・。

今一番大事なこと、それは大きなグランドデザインです。そのために与党だ野党だ言わず、この「お国のため」に何が出来るか、それのみに集中して自らの見識を示して貰いたいと思います。これだけ良識ある人々がいるにも関わらず、今のままではもったいなさすぎます・・・。

選択と集中

首都圏内の放射線量が一定量に落ち着いてきたとは言え、現場は緊迫の度合いを深めている言える、福島第一原子力発電所。

今日(正確には昨日ですが)、空中放水と地上からの放水という、危険を承知での過酷な作業が行われました。

両作業に従事した自衛官、警察官、東京電力職員の方々の自己の安全を犠牲にして献身的に取り組んでいただいたこの気持ち、そして限られた困難な状況の中散水したその技術には、手放しに賞賛と感謝の言葉を捧げたいと思います。

但し、失礼を承知で言えば、これは国民向けのパフォーマンスでしかないのでは?と思うのです。

と言うのも冷却の為にはこの1回では明らかに不十分であり、100回くらい投入しなければいけないという話しもあります。アルジャジーラもそのように評したようです。明らかな数値の変化も見えません。

なんだか放水前の準備の生中継をちらっと見たとき、浅間山荘事件を思い出しました。

今この緊迫した事態では、パフォーマンスをしている時間もないわけですし、そのために危険に身をさらす人たちのことを考えると・・・。

それよりも、報道で伝わっている中でこれだ!と思えるのは正直「送電線再引き込みによる緊急冷却装置の回復」しかないように思えます。この装置が壊れていない前提ではありますが、もし動き出せば、当初の設計通り緊急的な停止に対応できると思うからです。しかし、これもこの放水を避けながら、まずは2号機でやろうとしていると聞くと、「選択と集中」の方向性が違わないか?と思うのです。


冷却装置再開、早くても18日…東電が見通し(YOMIURI ONLINE)

 東京電力は17日夜、記者会見し、福島第一原子力発電所に外部から電力が供給され、冷却装置などを再開できるのは、早くても18日になるとの見通しを発表した。

 送電が復旧すれば、ポンプなどの冷却装置を再開でき、冷却水を炉心に送ることが可能になることから、炉心の水位が低下して燃料棒が露出している1、2号機への送電工事が始まっていた。

(2011年3月17日21時38分 読売新聞)


冷却装置回復へ、原発に送電線引き込み工事開始(YOMIURI ONLINE)


 東京電力は17日、福島第一原発に、外部から電力を供給するため、送電線を原発の構内に引き込む工事を開始した。

 同日中の電気の供給をめざす。

 経済産業省原子力安全・保安院によれば、電源系が水没していない部分の多い2号機を最優先し、1、3、4号機の順に送電工事を始める予定。復旧すれば、炉心に水を入れる緊急炉心冷却装置(ECCS)などを回復させることができる。

 復旧工事は、原発近くを通る東北電力の高圧線から原発敷地内へ送電線を設置。

 外部電源を確保した後、各原子炉建屋に送水するために必要な専用の分電盤やリレー回線を接続する。

 東電によると、福島第一原発では1〜5号機の電源はすべて喪失。6号機の非常用ディーゼル発電機だけが稼働しており、5、6号機の燃料プール冷却システムなどに供給している。

(2011年3月17日13時25分 読売新聞)


この作業が早く完了すること、この作業こそあらゆるバックアップを行うこと、そして緊急冷却装置が作動することを祈ってやみません。どうかうまくいきますように。

頑張れ!

陸自ヘリ、福島第1原発3号機への冷却水投下作業を開始(産経ニュース)

2011.3.16 17:36

 防衛省は16日夕、福島第1原発3号機について、陸自大型輸送ヘリCH47を使い、上空から原子炉冷却用の海水を投下する作業を開始した。

 3号機は水素爆発で原子炉を覆う建屋の天井が崩れた状態で、防衛省は上空からの冷却水投下が可能だとみている。

炉心冷却装置の復旧へ、新送電線着工(YOMIURI ONLINE)

 東京電力は、福島第一原子力発電所に外部から電力を供給するため、新たな送電線の設置に着手、原子炉を冷やす緊急炉心冷却装置(ECCS)の16日中の復旧を目指す。

 成功すれば、燃料棒が露出したままの1~3号機の炉心溶融などの危機が回避される。

 同原発では、地震によって停電したほか、ECCSなどを作動させる非常用ディーゼル発電機も津波の影響などで破損した。

 東電は、社員ら70人体制で、電源車を使った消火用ポンプで、炉内への海水注入を続けているが、ポンプの能力は小さく、難航していた。高圧の外部電源を確保することで、炉心を効果的に冷やす高圧炉心スプレー、格納容器冷却スプレーなどのECCSの作動が可能になり、「冷温停止」状態を導くことができる。

(2011年3月16日14時31分 読売新聞)

米GE、注水支援に電源車10台 東電の要請受け日本移送 (日本経済新聞)

2011/3/16 8:03

 【ニューヨーク=小川義也】米ゼネラル・エレクトリック(GE)は15日、東京電力からの要請を受け、移動電源車10台を日本に移送すると発表した。事故が起きた東電福島第1原子力発電所では、原子炉を冷却するための注水作業などに必要な電源の確保が課題となっている。

 GEと日立製作所の原子力事業合弁会社であるGE日立ニュークリア・エナジーによると、提供するのは発電用ガスタービンをトラックに搭載した移動電源車。10台で合計280メガワットの出力があるという。

 福島第1原発と第2原発にある10基の原子炉はすべてGEが設計したデザインを採用している。ジェフ・イメルトGE会長は14日、「あらゆる技術支援を提供する」と表明していた。


再臨界、これだけは避けなくてはいけない。そのために、今は全ての努力を傾注すべきでしょう。全てはそれからです。とにかく燃料棒、使用済み燃料棒を冷やさなくてはいけません。

日本にとっての正念場。だからこそ陛下もあのタイミングでおことばを賜られたのだと思います。


と書いていたら、自衛隊のヘリコプターは上空の放射線量が規定された上限を大幅に超えていたので、本日の作業を断念したそうです・・・。なかなか困難な状況であることには変わりないですね。

彼らの奮闘と、日本の幸運を心より祈りたいと思います。


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(福島第一原子力発電所からの距離の地図)


そして運命は彼らに委ねられた

こう言ってしまうのは本来大変きついことなのかもしれません。しかし影響の甚大さを考えると、映画のような話しとは言え、この数百人の方々に首都圏、いや日本全体の命運がかかってしまっています。

文字通り命がけで取り組んでいただいているこの方々に心からの感謝と敬意を表明すると共に、菅首相がよくおっしゃっている「国力を結集して」彼らをバックアップし、そしてこの難局を乗り切ってほしいと思います。

この事態の解決に対して微力、いや無力な自分としては、そうやって祈るしかありません。あとは情報を咀嚼し、冷静に判断し、行動するしかないですね。

被曝の恐怖、余震…真っ暗な建屋で決死の作業(From YOMIURI ONLINE)

高濃度の放射性物質の放出が続く福島第一原発。放射能汚染の恐怖と闘いながら、決死の作業が続く。

 15日朝に大きな爆発が起きた2号機。

 東電や協力企業の作業員ら800人が水の注入作業を行っていたが、爆発に伴い、「必要最小限」という50人を残し、750人が一時、現場から離れた。被曝(ひばく)を避けるため、放射線量が高くなると作業を中断しなければならない。15日午前、隣接する3号機付近で観測された400ミリ・シーベルトの環境下で作業できる時間は15分が限度。津波による被害で、停電も続く。

 照明がつかないため真っ暗な建屋内で、作業の効率はあがらない。余震が続く中、津波警報で作業の中断を余儀なくされることもある。400ミリ・シーベルトを記録したのは、作業員が携帯する放射線監視装置だった。

 12日午後、高圧になった1号機の格納容器内の蒸気を逃がすための弁が開放された。格納容器に亀裂が入る最悪の事態はまぬがれた。その弁を開ける作業にあたった男性は、100ミリ・シーベルト以上の放射線を浴び、吐き気やだるさを訴えて病院へ搬送された。

 もともと、この作業では、大量の放射線を浴びる危険があった。このため、1号機の構造に詳しいベテラン社員である当直長が作業を担当。「タイベック」と呼ばれる特殊な全身つなぎ服とマスクを身につけ、手早く弁を開けたが、10分超で一般人が1年に浴びてもいい放射線量の100倍にあたる放射線を浴びた。

 経済産業省原子力安全・保安院によると、同原発で注水作業に当たる東電職員らは約70人。ポンプなどを制御しつつ、交代しながら格納容器付近の現場で活動している。

 本来、中央制御室で監視できる計器も、被災後、故障し計測不能なものがある。遠隔制御も不能で、原子炉冷却のために弁を開く作業も現場で手作業するしかない。福島第一原発は1971年に1号機が稼働した古い原発で、通路などが狭く作業しにくいことも足を引っ張っている。

 注水が進めば原子炉内の圧力が上昇し、炉の崩壊の危険性が高まるため、弁を開いてガスを外部に放出しながら進めなければならない。ガスは放射性物質を含むため、放出自体は最小限に抑えなければならない。東電の担当者は「バランスをみながらぎりぎりの選択の連続だ」とため息をつく。

(2011年3月15日20時01分 読売新聞)

同記事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110315-00000701-yom-soci


安全のはずが命がけ…怒る自衛隊・防衛省


 放射能汚染の懸念が一層高まる事態に、自衛隊側からは怒りや懸念の声が噴出した。関係機関の連携不足もあらわになった。

 3号機の爆発で自衛官4人の負傷者を出した防衛省。「安全だと言われ、それを信じて作業をしたら事故が起きた。これからどうするかは、もはや自衛隊と東電側だけで判断できるレベルを超えている」。同省幹部は重苦しい表情で話す。

 自衛隊はこれまで、中央特殊武器防護隊など約200人が、原発周辺で炉の冷却や住民の除染などの活動を続けてきた。東電や保安院側が「安全だ」として作業を要請したためだ。

 炉への給水活動は、これまで訓練もしたことがない。爆発の恐れがある中で、作業は「まさに命がけ」(同省幹部)。「我々は放射能の防護はできるが、原子炉の構造に特段の知識があるわけではない。安全だと言われれば、危険だと思っていても信じてやるしかなかった」。別の幹部は唇をかんだ。

(2011年3月15日14時47分 読売新聞)

取り急ぎ望むこと

1)被曝対策を周知すると共に、必要とされる資材(マスク、ポリ製レインコート、手袋等)は制限的な販売規制をかける

2)株式市場の劣化が激しいので、一旦株式市場を閉鎖し、ここ2日は休会とする(原子力発電所の状況が安定するまで)。


まあ、ここで吠えても仕方が無いのですが・・・。

何もない店内

何もない店内
スーパーマーケットには、食料品がほとんど無くなっています。明日からは計画停電。大変な状況となりました。

艱難辛苦、汝を珠にす。

この苦境を乗り越え、我々日本人の底力を世界の人々にお見せしましょう!

報道と抑制とパニックと事実

東日本大震災、まだまだ予断を許さない状況が続いています。特に福島原子力発電所関連のニュースは固唾を呑んで見守っている状況です。

14:15 福島原発、炉心溶融の可能性
15:43 格納容器の蒸気放出、減圧を確認

ニュースに目を通していると、冷静に言葉を選びながら各社各局報道しています。

「放射性物質を含む水蒸気の放出」
「炉心溶融(メルトダウン)」
「半径10km以内の避難指示」

など。この時、どこまで正確に報道することが正しいのでしょうか。

実際に、

 政府は11日、同原発から半径3キロの住民に避難を呼びかけたが、12日朝に半径10キロへ拡大した。西へ隣接する川俣町の小学校などが避難所へ指定され、同町へ至る国道114号は住民のいわきナンバーの車が約950台、数珠つなぎになった。浪江町内は避難する車で渋滞したという。

ということも起こっているようです。最悪の場合、どの範囲までどのような被害が想定されているのか、そのことを報道することは無く、淡々と事実を描くか、困難に直面している住民を描くかという報道です。

そんな中、日経は3つの記事を出しています。

福島原発の安全策不発 圧力制御できず、被害阻止に全力


セシウム検知「燃料冷やすしかない」 今中京大助教


福島第1原発「炉心溶融が進んでいる可能性」 保安院


こうなった時、我々としては落ち着いて、出来うることを行い、そして祈るしか無いのでしょう。


報道は最近書いていた記事にもありましたが、こういった非常事態の時のスタンスは本当に難しいと思います。闇雲に事実を伝えるのか、それともパニックを引き起こさないために敢えて抑制するのか。こちらについても、祈るような思いでその舵取りを見るしかないですね。

日本人の底力

マグニチュード8.8という途方も無い強力なエネルギーの地震。列島各地、特に東北と関東において甚大な被害が起こりました。

先ほど記載したように、丁度日吉台にいた自分は急いで東京に戻ることに。

まず直面したのは停電となった街。停電になると言うことは信号が点かなくなるということです。

矢上の狭い道(わかる人にはわかるでしょう)での矢上川を渡る狭い幅の橋。信号は真っ暗です。

でも、そこに近所のおじさんらしき人が立ち、懸命に身振り手振りで交通誘導を行っていました。きっと自らのやるべき仕事を見出し、自発的にやっていたのでしょう。

仕事柄、帰路では周りの建物の状況が気になりましたが、あれだけ揺れたにも関わらず大きく形を崩していた建物は見ませんでした。現在工事中の現場も社員さんも職人さんも全員無事でした。ちょっと誇らしい気分でした。

帰る時間、道には帰路に徒歩で向かう人の群れが見えました。これだけ困難な状況になったにも関わらず、黙々と歩いて家を目指す人々の姿が見えました。

まだまだ停電も続いていましたが、特に暗くなった商店を襲うことも無く、整然と街はしています。


こういった姿を目にすると、日本人の底力を感じます。復旧にはいろいろと困難も伴うでしょうが、規律正しく、責任感の強い日本人である限りきっと大丈夫でしょう。

まずは冷静に。その上で自らのやるべきことを見定めて、それを遂行していくことが必要とされていると思います。

世界各国からは支援・お見舞いの申し出が届いているようです。本当にありがたいことです。我々はそれに対して最大限の誠意と感謝の気持ちを以て接していかないといけないですね。

世界各国から支援・お見舞い表明(From iza!)

球春到来・・・だったのですが

昨日までは予定が午後もあったのですが、急遽相手の方の都合で空くことになりました。これはチャンスとばかりに、日吉台に向かいます。今日は塾高野球部が練習試合をするということを聞いていたからです。

充実したキャンプを過ごしてきたからか、選手たちの表情にも希望が満ち溢れているように見えます。

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先発投手は斎藤君。投げ方からしても、名前からしてもきっと元巨人の斎藤投手を目指すような形になるんでしょう。

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変化球のコンビネーションが良かったように思います。あとはストレートのキレが出てくればより面白い投手になると思います。

ちょっと牽制で悪送球をしてしまいますが、

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跳ね返ったボールがタイミング良く戻ってきて、2塁で刺すという、まさに結果オーライ。これぞ塾高生らしいとみんなで頷いていましたcoldsweats01

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そんなこともあり1回表を3人で終わらせる上々のピッチング。今後に益々期待が出来そうです。


1回裏の塾高は先頭打者が初球を叩きますがライトフライ。

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右を意識したバッティングで、積極性も含め良かったと思います。左肘を下げずにもう少し真後ろに引いてバットのヘッドを走らせると、より良かったかも知れません。

で2番の泰造くんの時に、まさに驚天動地の出来事が起こります。時は14時45分頃。その時の映像です。

最初はああ揺れているなあと思っているくらいですが、揺れはなかなか収まらないどころか、より強くなる一方。フェンスは揺れ、照明灯は揺れ、スコアボードは停電し、ポールはしなりと、見たことの無いような光景が目の前で繰り広げられます。揺れ始めはプレーを続けようとしていましたが、すぐに止め、みんながグランドの真ん中に集まっていきました。適切な判断だと思います。

大体3分くらい揺れて一旦収まりました。そうしたら、またすぐに試合が再開しました。いろんな意味ですごいなあ~と思いました。

ところが相手の投手は明らかに動揺していました。先ほどのボールとは明らかに違う上ずった球を泰寛くんがジャストミート。先制ホームランを放ちます。

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その後も塾高打線の猛攻が続きます。

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しかし、さすがにこれ以上グランドにいるわけにもいかず、現場確認もあるので日吉台球場を後にしました。

そして歩いていると、真っ暗のセブンイレブンが!

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それにしてもすごい一日となりましたね・・・。

東京大空襲と奉天会戦

今日は3月10日です。今日が何の日であるかはだいぶ記憶が薄れているとは言え、それなりに知られている日でもあります。

それは東京大空襲の日。

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(空襲後の焼け野原の写真、From Wikipedia)


1945年3月9日深夜から3月10日未明にかけて米軍によって行われた、東京に対する大規模な無差別絨毯爆撃。低高度・夜間・焼夷弾によるものであり、爆撃効率を上げ、戦略的成果を着実に上げようとしたもので、カーチス・ルメイが指揮した空襲です。

これにより、当時の警視庁の調査では、

* 死亡:8万3793人
* 負傷者:4万918人
* 被災者:100万8005人
* 被災家屋:26万8358戸

という甚大なものですが、実際にはもっと多かったとも言われています。わずか一回の空襲で東京市街地の東半分、実に東京35区の3分の1以上の面積(約41km²)が焼失してしまうという、凄まじいものでした。

ちなみにカーチス・ルメイには戦後、航空自衛隊の発展に寄与したとして勲章が渡されているという、歴史的に皮肉な出来事もあります。


まさに「関東防空大演習を嗤う」を地でいったような空襲でした。そう言えば小学生の頃、「ガラスのうさぎ」という本を読んで衝撃を受けたことを思い出しました。

さて、その3月10日は戦前の日本においては、違った意味で重要視されていました。それは日露戦争の陸上での一大決戦、奉天会戦で日本軍が辛くも勝利を勝ち取った日なのです。

奉天会戦についての概略はこちら

多分今年の年末に放映される「坂の上の雲」でも多く描かれる戦いでしょう。もっとも結構後付けのようなヒューマニズムが、この流れだと挿入されそうですけど。

この日を光輝溢れる日とし、陸軍記念日として祝日になっていました。一説にはこの日を狙って米軍は空襲をかけたのでは?とも言われています。

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(1944年の陸軍記念日、From Wikipedia)

それに対して海軍記念日は、日本海海戦で勝利した5月27日。寡聞にしてこの日に何かされたということは聞いておりません。

実際、その後の自衛隊との関連性を見ると、海上自衛隊は旧海軍との連続性を保っている部分がいろいろとあります。軍艦旗であったり、ラッパであったり、君が代の譜面であったり、「士官」という名称であったり、観艦式での軍艦マーチであったり。それに対して陸上自衛隊は旧陸軍との連続性が余りないように思います。アメリカとしては飽くまで帝国陸軍を叩き潰したかったのかもしれません。

そういえばその頃のアメリカはよく日本の象徴的な日に何かをぶつけています。

明治天皇の誕生日として11/3を明治節として祝日にしていましたが、その日に新憲法の公布。今では「文化の日」という名前に改称され、「明治節」という言葉は遠い彼方に消えています。

また、今上陛下(多分平成天皇と呼称されるのでしょう)の誕生日である12月23日に、A級戦犯の死刑執行。

旧体制の否定と、未来への戒め。

日付に意味を持たせるのは日本もそうでしたが(紀元節に合わせてシンガポール陥落とか)、結構いろいろするものですね。

なので勝手な邪推ですが、当時のアメリカとしては旧体制の否定と未来への戒めという流れの中で陸軍を悪とし、海軍はまた利用しようとしていたように思います。それが、現在に至る陸軍悪、海軍善とする流れを作り出しているのかも知れないなあと、3月10日である今日、思いました。

「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第3回 "熱狂”はこうして作られた」を見て

今日第4回が放送されるこのシリーズですが、その前に第3回の感想を書こうと思います。

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ただ、今年の始めに、よく球場等でお世話になるAOKさんから「太平洋戦争と新聞」という本を紹介されていて、

読んでいたのですが、放送内容もこの本の内容に似ていたので、結構この本のダイジェスト版のようにも感じ、少々既定路線の論調に合わせようとする部分も感じました。

相対的な流れとしては

昭和の初期、まだそこまで軍の統制がきつくない時代であった。しかし戦争が起こると、自分の夫は、子供はどうなったか?といったことを気にする人が増え、新聞の部数拡張に大いに寄与することとなる。満州事変でその傾向が色濃く出た。(本ではある記者が自嘲気味に「毎日新聞後援、関東軍主催、満州事変」と言っていたエピソードが掲載)さらには在郷軍人とかの不買運動もあり、新聞は迎合的扇動的論調へ突き進んでいく。そうやって自分たちが作り出したうねりに、自らが飲み込まれてしまった。もはやそこに批判を加えることは経営的困難を招くことになり、木鐸よりは組織防衛に入った。さらには新メディアであったラジオも、ナチスドイツの宣伝省を参考に熱狂を生み出す装置となり、その大きなうねりに誰も抗らえなくなった。

象徴的に出ていたのは、開戦間際の12月1日、連絡会議に向かう車の中で交わされた東条首相との会話です。
「最近投書は何をぐずぐずしているんだといったものが多く来ています」
「東条は弱腰だと言っているんだなあ・・・」

といった感じです。これだけだと余りに言論は情けないなあというだけで終わってしまうのですが、上記で紹介した本ではその中でも抵抗していたところの紹介もありました。

たとえば地方紙の信濃毎日新聞の桐生悠々が書いた「関東防空大演習を嗤(わら)う」の弾圧については触れられていました。これは昭和8年に実施された空襲が来たときの防空大演習について、桐生悠々が「木造密集の家屋が立ち並ぶ帝都の上空に一機でも入れれば敗北である。東京上空で迎え撃つのではなく、断じて敵機を領土内に入れるな」という今から見れば至極ごもっともの論説に対して、在郷軍人が「嗤うとは何事だ!」とし謝罪文の掲載と桐生悠々の退社を要求。話し合いもらちがあかず、結局その通りの結末となったというものです。

でもその前、五一五事件(この時凶弾に倒れた犬養首相は塾員ですね)に対して、動機の純粋さに同情する論調ばかりが目立つ大手各紙に対し、九州の地方紙であった福岡日日新聞の菊竹六鼓が真正面から事件への批判、大手新聞への批判を展開したことは触れられていませんでした。彼は社説で六日連続で論じます。最初のタイトルは「首相兇手に斃る」で「陸海軍人の不逞なる一団に襲われたる犬養首相」「その七十八歳の老首相を捉え、ムザムザと虐殺をあえてせる行為、実に憎むべき」とバッサリ断じています。そして次の日は「あえて国民の覚悟を促す」とし、「昨年来、軍人間に政治を論じ革命をうんぬんするものあり、事態容易ならずとしばしば耳にせる」「もし軍隊と軍人の間に政治を論じ時事を語りて(中略)国軍まず自ら崩壊することは必然である」と軍部ファッショにこそ問題だとはっきり指摘。更に他の新聞が軍部を恐れ、沈黙し、問題点をずらして論じる中で、軍部ファッショへの怒りがさらにエスカレート。「当面の重大問題」では張本人の荒木陸相、陸軍省を名指しで糾弾。更に一番言論が必要とされる時に節を曲げ、沈黙した他の新聞へも仮借なき批判を「騒擾事件と輿論」で加えるなど、懸命に吠えました。それに対して激しい抗議が新聞社に寄せられましたが、菊竹は「国家のことを想っとるのが、あなた方軍人たちだけと考えるなら大まちがいだ。国を想う気持ちはあんた方に一歩も劣りはせん」と激しくやりあい、永江副社長も「正しい主張のために、我が社にもしものことがあったにしてもそれはむしろ光栄だ」「(このままでは会社がつぶれると泣きついてきた販売に対して)バカなことを言ってはいかん。日本がつぶれるかどうかの問題だ」と毅然とした態度を貫き、そして乗り切ったそうです。

また福澤先生以来の伝統を誇っていた「時事新報」も二二六事件の際の社説で孤軍奮闘します。この事件に対して他の新聞が触れられずに逡巡している中、時事新報も「社説を一日休もう」としたところ当時の近藤社説部長が「時事の社説は時の重要問題を恐れて避けないのが独立自尊の伝統である。社説部長の職にある限り、私は決定に従うことは出来ない。自分は即刻、現職を辞して退職する」と主張。これが通り、まずは国民の冷静沈着をたたえ
当局の収拾を促すものの、やがて強い調子で軍部。反乱軍を指弾。更に陸軍の下克上の風潮を非難し、返す刀で新聞の勇気のなさも批判します。「民意の代弁機関にして威武に屈せざる気概を示していたならば、或は余ほど違った現象が現れたかも知れない」とし、”言論の責任を分担する我が輩も、(中略)慚愧に堪えない”と自己批判するなど、縦横無尽に斬りまくったそうです。

更には、そもそもの戦争のメディアミックスを取り上げるのであれば「爆弾三勇士」の話しを入れた方が良かったかも知れません。美談として取り上げ、商売として活用したこの事例は、マスコミとビジネスのバランスについて考えさせられますから。そしてそれは「百人斬り」とその後のBC級戦犯の悲劇にも繋がりますから。

マスコミが情けなかった、というだけではなく、こういう抵抗をしていた人たちもいたのにどうしてそれが主流にならなかったのかとか、商売となったのは自分の親族だけではなく、戦争そのものをショーアップしたことから始まっていることに言及しても良かったように思えました。

次回の放送でも感じたことですが、やはり安易に流されるのではなく、一人一人が自分の考えをしっかり持って、問題を矮小化して考えるのではなく、本質に迫った考え方をすることが大事なのだと思います。そう、つまり「独立自尊」の精神がいつの時代にも必要とされていると思うのです。なので「マスコミが情けなかった」ではなく、「どうやれば国民ひとりひとりが独立自尊の人となれるのか、なれたのか」と考えられる構成にした方が良かったのかなあと感じました。その点で、「太平洋戦争と新聞」は読んでよくよく考えさせられました。お時間があれば是非ご一読をお薦めします。AOKさん、素晴らしい本を紹介して下さいまして、どうもありがとうございました!

追悼 尾藤監督

昨日、悲しいお知らせがありました。名将の尾藤監督がご逝去されたとのこと。これは2年前に日経ビジネスに掲載されていた文章です。味わい深い言葉が鏤められていたので、ご紹介し、ご冥福をお祈りしたいと思います。

土壇場で生きる人間力
一瞬のために練習する

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 1点リードされた延長12回裏。2死走者なし。「最後まで諦めるな」と選手に普段言っていたはずなのに、監督である自分はこの時、敗戦の弁をどう語ろうかと考えていました。

 1979年夏の甲子園で優勝し、 春夏連覇の期待がかかった全国大会の3回戦。忘れもしない石川県・星稜高校との一戦です。高校球史に「奇跡」として刻まれるこの試合、延長18回にサヨナラ勝ちしましたが (その後、優勝)、勝ったことよりも、 監督として選手に教えられたことの方 が印象に残る試合でした。

 まさに絶体絶命のピンチ。 この時、 最後の打者になるかもしれない選手が ベンチに駆け寄ってきて、大きな声でこう言ったんです。「監督! ホームラン狙っていいですか!」。その気迫に押された私は「おお、打ってこい」と。そして、 本当に打ってしまった。

 試合後、この選手に、なぜ、あんな行動を取ったのかと聞きました。「ベンチがしゅんとなっていたから」。 敗戦直前でうつむき加減の選手や監督。選手はそれを察して、とっさにそんな行動に出た。 実際、 それからベンチは 皆、顔を上げて再び声を出し始めた。

 奇跡は2度起こりました。再び1点リードされた16回裏、2死走者なし。またもや土壇場の同点ホームランです。

 野球は、選手一人ひとりの判断力、 瞬発力を合わせた勝負です。打って走って投げてと、各選手が独自に瞬間的に判断して、 それが組織のプレーになる。監督が試合の場で一つひとつ指図するわけにはいきません。苦戦していてもニコニコしている「尾藤スマイル」 が話題になりましたが、それは選手をリラックスさせ、自主的な判断をしやすくするためでした。似合わないなあと思いながらも、選手に促されて、取り入れたものです。

 絶体絶命の場面で選手がベンチに活を入れたのは、周囲の状況を自ら判断して瞬間的に行動に移したもの。人間力というか、センスです。監督として教え子たちの判断力を再認識させられた試合でした。

 普段は、厳しい練習をしてきました。瞬間的に判断する能力や勘を養うための訓練、いわば人間力を鍛えるためです。 瞬間的な判断力は日常生活の中でも培われます。だから選手には、本を読めとよく言いました。練習後には、恋をしているか、 ラブレターの書き方も教えるぞ、とも声をかけてきた。つい先日、事業をしているかつての教え子に言われました。「監督には野球の技術は教えてもらわなかったけど、自分で考えて判断せえ、ということは教えられました」。本望でしたね。

 20代前半で母校・箕島高校(和歌県有田市)野球部の監督を引き受け、29年間務めました。 私自身の実績な どどうでもいいんです(甲子園で春・夏合わせて4度優勝。この間、東尾修など後のプロ野球選手も多く育てた。現在は日本高等学校野球連盟常任理事)。教員ではありませんが、教え子たちの人としての成長が見たかった。

 満足なノックができなくなり、選手に失礼だと監督を辞めてから13年が経ちました。この間、他校から「ぜひ監督に」とのお誘いも受けました。しかし、この箕島を離れられなかった。他校で監督をしてしまうと、 これまでの教え子から「尾藤さん」と他人行儀に振る舞われるんじゃないか、 と。いつまでも「監督!」って呼ばれていたい。ただそれだけでした。 (談)

日経ビジネス 2008年7月28日号より

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