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「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第2回 巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム 」を見て

放送からはかなり経ってしまいましたが、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第2回 巨大組織“陸軍”暴走のメカニズム」を見ました。

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今回のお話しは、戦前の最大の官僚組織と言ってもいい(海軍は陸軍に比べ段違いに人員が少なかった)陸軍に焦点を当てています。

曰く、日本を戦争の道に引きずり込んだとされている陸軍が、実は一致団結して戦争の道に突き進んだのでは無く、エリート集団の人事・派閥抗争からあれよあれよという感じで進んでいったのだと。

物語は、第1次世界大戦で手痛い打撃を受けていたドイツの保養地バーデン=バーデンで少壮幕僚たちが会談したところから始まります。


バーデン=バーデンの密約

この中で第一次世界大戦とその後のドイツの惨状を見た上で、近代戦争は総力戦(くわしくはこちら)となり、その破壊力のすさまじさ・国家体制のあり方と現状の日本の情勢・軍の状態を考えると、早急に軍の近代化と国家の戦争遂行体制の刷新を図らなければいけないと彼らは危機感を抱き、そして語り合いました。

これを契機に一夕会(詳しくはこちら)が結成され

1. 山縣有朋の影響下にあった陸軍の人事を刷新し諸政策を強力に進める
2. 満蒙問題の解決に重点を置く
3. 荒木貞夫、真崎甚三郎、林銑十郎の三将軍を盛りたてる

を目的としたそうです。そこでクローズアップされるのが「永田の前に永田無し、永田の後に永田無し」と謳われた永田鉄山(詳しくはこちら)です。彼を始め一夕会のメンバーはそれを実現するには自分たちがある程度の地位にいないといけないと考え、人事でのポジション争いに移ってきます。そして考えもそのうち人それぞれによって変わってきて、人事抗争が激化する中、軍務局長という要職に上り詰めていた永田鉄山が相沢中佐に斬殺されるという事件が起こり、いよいよ収拾が付かなくなり、翌年に226事件、さらに1年後に日中戦争(宣戦布告が無かったので語句が適切かどうかは別にシナ事変の方が合っているのかもしれません)勃発といった具合にどんどん事態が膨らんでいく様が描かれています。

さらに対米戦争前夜、誰もが対米戦争への勝利の見込みが無いまま、予算縮減をしようとすると大きな抵抗に遭い、抜本的な解決に向かわず、戦争になだれこんでしまったということです。

ここでクローズアップされていた永田鉄山、その心の動きを見ると自分は大久保利通を想起します。きれる頭、冷静な判断能力、組織を作り上げる能力、そして私心のためではなく自分の役割を果たす為に出世しなければならないという考え方。当然今までと違うことをしようとすれば快い人もいれば不快な人もいるわけで、軋轢が生じます。それを理詰めでどんどん進めていくと、大久保利通が暗殺されてしまったように、こうなってしまうこともある意味必然だったのかも知れません。

しかし、大久保利通が暗殺されても国家の近代化は連綿と進んでいったのに対して、永田鉄山が暗殺された後は軍の近代化は迷走をしてしまいました。

これはなぜか?

明治維新前夜の大混乱期と西洋列強の強さを実感した人たちは政権内に多かったのに対し、第一次世界大戦の衝撃を目で見たのは軍の中でもごく一部。ここに危機感の温度差が生まれ、ある人は陸軍の近代化が目標だったのに、ある人は単なる人事抗争になり、またある人は中国権益の確保といった具合に同床異夢の状態になってしまったことも原因では?と思うのです。

あとは自分たちの国に対する冷静な判断の違いもあるかもしれません。明らかに欧米に遅れていると思った明治初期、世界の五大国に仲間入りし、世界に冠する国になったにも関わらず欧米からの目線は冷ややかで、隣国中国も我々と真剣に向き合おうとしないと苛立つ昭和初期。何よりもまず国民がそう思っていたきらいがあります。

変わると言うことは相当な覚悟が必要であり、それにはそう覚悟を決めるだけの危機感が必要だと思うのですが、その危機感の温度差と、その判断の背景があったからこそ、ずるずるとひきずられていったのではないでしょうか。だからこそ、自分の目線に入る狭い目線のみで判断し、全体の方針を見誤る、部分最適が全体最適にならない状況となったのではと思うのです。

翻って現在の日本は、状況にしても、考え方にしても明治初期の日本と昭和初期の日本と比べて、どちらに似ているのでしょうか・・・?


(余談)

こんなお話を何日もかけて(筆が進まず)書いていたのですが、他のブログを拝見していたときMassyさんのブログが目にとまりました。何でもよく読むと永田鉄山さんのご子息と、永田鉄山さんに相沢中佐(暗殺した人)を紹介した有末さんのご子息がMassyさんのお知り合いとのこと。本やテレビで知る歴史のお話と、実在する方がクロスして大変不思議な気分になりました

<読後感 「この命 義に捧ぐ」 門田 隆将>(From Massy's Academy

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

第三回はいよいよ報道と国民感情がテーマのようですね。明治初期にはかわら版しかなかった。日清・日露戦争の時代には新聞、昭和初期にはさらにラジオが加わった。そして今は独裁政権を崩壊させてしまう原動力になったネットがあります。地球が狭くなるに伴って我々日本人の判断力もそれなりに進歩してきていると思います。現状では軍国主義台頭の可能性は低く、私としては明治初期に一票です。むしろ30年代のフランスに似たムードになるのが一番心配です。

有末さんは参謀本部情報部門のトップで
米英の動きも確実につかんでいて、
それゆえ戦後米英の情報機関から独自に
ヒアリングを受けていたようです。

作戦参謀が情報参謀を下に置く傾向は、
総力戦を検討した客観的分析を
「机上の空論」として退けた東條首相に
も当てはまります。

敗戦後、満鉄調査部の対ロシア研究を
アメリカに先んじて求めたソ連も
日本の情報力の高さに驚嘆したそうです。

有末さんは明石さんを、佐藤優さんは
有末さんを「情報の師」と
尊敬していたようです。

有末さんは別にして情報参謀は表に出ない
のですが、ある日突然、イギリスの情報機関
からヒアリングを受けたと
10年前にこっそり語ってくれました。

私も企業の情報参謀をやってきましたが
撤退情報を本能的に嫌うトップには
手を焼きました。

たまたま今勉強会でご一緒している方の
父君がロシア担当であったそうです。
因みに父はアメリカ担当で
ポツダム以後のアメリカの動きは
確実に捕捉していたようで、
山本五十六の撃墜時間ですら事前に
知っていたようです。

今月の勉強会のテーマは道元の哲学なのですが、
現下の「ニュージーランドの地震と耐震建築」
「リビア情勢」を前半に組み込みました。

道元は言っています。

将来を現在なすべきことをしない
理由にしてはならない。

現在を考えるときに
過去にとらわれてはならない。

現在最適こそ道元の実存哲学。

27日は勉強会のあと
全員第3回を観ます。

さて、皆さん 僕のブログを読んでいただき有り難う。今日、永田さんの奥様から葉書を貰いました。有末君の娘さんと同級の人の子供が去年成蹊から塾高野球部に入りました。
キット勉強の出来る子でしょう。それにしても皆さん適確な感性に嬉しい限りです。

管理人様
前回は長々と失礼致しました。また、粘りず強いご意見誠に恐縮です。短くコメントさせて戴きます。(苦笑)明治の教育は戦後なぜいかされなかったのでしょうか。敗戦は日本民族を貶めてしったのでしょうか。領土問題、拉致問題、対外政策はすべて周辺国の自由自在です。戦争を好んではいません。しかし、先の戦争で、20代で戦争に逝った人々は、今の日本を望んでいたのでしょうか。国として形ばかりで存続している今の日本を。
独逸の戦後補償は今も続けられているそうですね。若者たちにはもういいのではないかという意見もあるそうです。この違いは人種でしょうか。

半藤さんが予告編で語っていた。
国民の熱狂を新聞や雑誌が煽る、
この危険性は現代にもあることを
マスコミ人は肝に銘じなければならない。

河村さんがドラゴンズの帽子をかぶって
小沢さんと握手する絵、
空気だけが世を動かすことに警戒したい。

民主党政権待望の世論をつくりあげたメディア
今度はつぶす方向へ・・・
つぶしてからどうなるのか
その展望は無責任にも提示しない。

第3回を観て・・・
総辞職か解散かと煽り立てるメディア
特に雑誌とテレビの無責任を
慨嘆する。

どのテレビも新聞も煽るだけ煽っておいて、
今になって「冷静な責任ある国会運営を」

大学教授は、「30年代に似てきた。泥仕合で政治不信
そして軍部台頭」
今は軍部はないのでどうなる?

そして第4回
「独裁者がいたら責任ある決断が出来た。
東條でさえ独裁者ではなかった」
とは当時の指導者のひとり・・・

中国にモノ申す前原さんに期待していたのに、
こともあろうに在日から献金。
アメリカも北朝鮮外交に自信ありげな前原さんを
警戒していたとも・・・

抗議、攻撃、非難は得意な政治家。
防御にまるで弱い政治家。

今度選挙をやっても「ねじれ」が酷くなるだけ。


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