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秋山真之と慶應義塾野球部

相も変わらずなかなか一日お休みが取れない中、楽しみは本屋さんによって本を探すこと。

そんな中、面白そうな本を見つけ、買ってしまいました。

こちらはまだ全部読み切っていないので、ご紹介は後にしますが、その中の冒頭でいきなり目がとまりました。

面白い野球評論を紹介しよう。日本球史を飾る歴史的文書といっても言い過ぎではない・・・というのはこの評論のコピーを持ってきた野球記者の説。(中略)昭和9年(1934年)岩波書店発行の「提督秋山真之」の中で見つけたもので、名付けて「褌論」という。司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」の主人公、大日本帝国連合艦隊参謀・秋山真之の筆になる一文だ。

明治40年というから日本が日露戦争に勝って二年後の1907年の10月、慶應義塾はハワイのセントルイス・チームを招待した。外国チーム招待の最初で、慶應は費用捻出のために入場券を売り出したのだが、これが日本で野球で入場料を取った最初でもあるらしい。この慶應とセミプロチームの試合を多分一等60銭の席で観戦し、連戦連敗に「これではいかん」と思った海軍将校が秋山中佐だった。秋山は野球の盛んな伊予の松山出身、野球狂の親友、正岡子規と一緒にプレーしていたばかりか、海軍兵学校で野球を始めた火付け役だったそうだ。

コピー孫引きの背景説明はこれくらいにして、秋山が慶應野球部に送った激励書簡、肝心の「褌論」だ。(後略)

200pxakiyama_saneyuki

なんと!秋山真之が慶應義塾野球部に激励書簡を送っていたとは!!happy02










これは早速調べなければと思い、webで探してみたところ見つかりました。取りあえず現代文訳の方が読みやすいので、こちらでご紹介します。

前略武士が戦場に出るときも、相撲取りが土俵に上がるときもそして又、棋士が碁盤上で対戦するときも、全てその方面の勝負にはこの褌は無くてはならない必要なものであってその効能といえば、「決して睾丸を保護するということではなく」実に、次に記すような偉大な効能があるということなのです。

一、 心気を丹田に落ち着けるから逆上を防いで、智力や気力の発動が自在にできること。

二、 腹部に体力(力)がこもるから腕力を強く使えること。

三、 呼吸が楽になるから息切れが防げるということ。

四、 体の中心と重心とを一致させることが出来るから体を軽くして歩く速度が速くなるということ。

これらの効用のあきらかなことは私が多年実験していることで、日露戦争中、黄海、日本海などにおいても私は必ず、先ず褌を締めて艦橋に上り確かに心の動揺を防ぐことが出来たという自覚があります。又その昔、東海道を早打ちが二重に褌を締めたうえ、白もめんで腹を巻き締めてこの長い道中を三日間で往復したという実例に照らしても、その効能は明らかなのです。しかしながら最近の青年諸君は世の中の進歩と共に、この褌の大効用を知らない人が多くなって、越中褌または普通のパンツなどを使用するために、腹に力が入らないで血が頭にばかり逆上するため、咄嗟危急のときなどに大事な虚心、平気という態度が取れないで、その時に出るべき知能も出せないということになっているようです。むろんあなた方選手諸君にはこのような事はまず無いことでしょうが、私が昨日老婆心より見たところでは、未だ腹に締りが足りないように見受けられます。さてその褌の締め方といえば臍の下約六センチのところに巻いてから、股にかけて上の方にずり上がるのを防ぐ事と同時に睾丸を引き締め、最後に背筋の中央を押さえる事が大いな効能をもたらすのであります。即ち全ての力はこの点から湧き出すと思われるものであって、その締め加減はあまり堅すぎてもダメで、締め上げたところでちょうど五本の指を平たく入れて通るか通らないかくらいが適度なところでしょう。もし又日本流の六尺褌が習慣上具合わるければ、越中褌のひもを約三十センチ幅のモメンで巻き締めてもよろしく、要するに臍の下約六センチのところを締めていることが肝要なのです。とにかく緊褌一番(褌をきつく締める)をして試合をされれば必ず多少の効能はあります。九十メートル飛ぶ球が百メートル飛び、五秒かかるところを四秒で走り、三度の過失が二度で済むくらいのことは確かにあります。私は今、海軍に勤めていますが若い頃、大学予備門の時代には随分野球をやったもので、貴校の今回の対外試合にも私は興味深く観戦しています。これからの二回の勝負は実に帝国腕力の名誉に関するものと思うものであり、是非ともあなたがたの大勝で終わるように希望しますので老婆心のままに書き流してみました。一読、笑味してもらえるならば幸いです。   草々

 明治四十年十一月十三日   秋山真之

慶応義塾 野球選手各位

秋山真之の褌論は有名だったそうで、日露戦争時、バルチック艦隊を打ち破ったあの日本海海戦の時もベルトを褌のように巻く珍妙な姿でデッキに上がっていたそうです。もっとも有名なあの絵を描く際は、普通にベルトをしていたように描いてほしいと要望されたそうですがcoldsweats01

そして、

明治四十年、早慶試合中止の直後、慶応野球部の招待に応じて、初めて日本に渡来したハワイ・セントルイス野球団との試合に於いて、慶応選手は何としても勝利を得たい、(負けっぱなしであった)と苦心しているとき、毎回ネット裏に見物する一人の海軍軍人がいた。この人こそ日本海々戦の「舷々相摩ス」の名文に日本国民の血を湧かした秋山真之氏であったことは前記の褌論を選手が受け取った時に始めて知ったのである。この褌論によって連戦連敗の最後の試合に初めて「緊褌一番して大勝をし得たのであった」ちなみに秋山将軍は海軍兵学校に初めて野球競技を入れた本人であり、又氏の褌論は著名なもので、氏は常に褌は戦をするときに必須であり欠く事ができない兵器の一つであるから、衣扁に軍の字をツクリとしたのであるとまで高唱していた。

(付言)軍の字を辞書で調べてみると「いくさ」、という意味と共に、「めぐらす」という意味もありますから、形の上では衣をめぐらせるものを褌という、という解釈が優先しそうですが、褌そのものの実際の効果から見れば秋山大人の説に諸手を上げて賛同したいと思います。また長年に渉る褌の使用により、充分な腹力を得、また実際の戦闘時において、いささかも心が動揺しなかったという述懐に、我われも大いに参考にする余地があるであろうと思います。ちなみに、慶応大学野球部に問い合わせたところ、(平成十八年六月五日)、秋山真之直筆の「褌論」は誰も知らないということでした。太平洋戦争の末期のどさくさで焼失、または紛失した可能性があります。惜しいことです。 (ここまで、「提督 秋山真之」 秋山眞之会編秋山真之から引用させていただきました)

それにしても慶應がハワイのチームに負けているのを見て切歯扼腕している秋山真之を想像するのも、その激励書簡を読んで見事勝利を収めた慶應の選手の笑顔や、満足げな表情をしている秋山真之を想像するのもまたいいですね。90mの打球が100mに。4秒で走るところを3秒で。3度の失敗が2度になったのかなあ〜。書簡内に「これからの二回の勝負は実に帝国腕力の名誉に関するものと思うものであり、是非ともあなたがたの大勝で終わるように希望します」とありますから、試合を見ていてよっぽど口惜しかったんでしょう。

原典もどこかでふと見つかるといいですね。

こうやって興味深い内容が思わぬところでつながると、それだけでワクワクしてきますね。

ちなみに今日のお仕事でお会いしていた方、珍しい名字だったのでもしかしたらと思ってお尋ねしたら普通部の時の先生のご親戚とのこと。世の中狭いなあと思うとともに、またつながりが一つ見つかって嬉しかったですhappy01

Stlouis_baseball_team
(来日したセントルイス・チームの写真です。この写真のみ「明治」という国家より転載しました)


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コメント

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784166607648

早慶戦で慶應を応援したのは兄の影響?
とはいえ、あのミスターも
「秋山真之と慶應野球部」をご存知とは?

奥様の弟さんが慶應野球部で
恋愛中に弟さんに身ぶり手ぶりで指導したとか?

管理人さん、もうリンクしてたんですね。
失礼、見落としてました。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~mori95/khb/ko.htm

亜希子さんの旧姓西村、弟さんが塾高の選手?
夏は決勝で横浜に惜敗。
大学で優勝メンバーになった大滝、宇賀山。

法政二高の柴田と神奈川の覇権を争った
渡辺投手は、少し前。

いずれにせよ
この前後の時代は塾高は強かったんですね。

http://www.hs.keio.ac.jp/clubs/baseball/History_club_11-15.html

渡辺さんから宇賀山さんの時代
上田慶應の前の最強世代。

監督があの石原さん?

同姓同名なので・・・
でも私より10歳も若い自民党幹事長が
私の先輩を指導することはあり得ませんね。

朝NHKで東大谷沢コーチインタビュー
「順位を一つ上げる」と決意。

もしかして大越さんと対談も
企画されているかも。。。

http://www.yazawa2005.jp/

東大谷沢コーチ初日

コメント欄に
「江藤監督にご指導いただきたい」
と谷沢さん。

文武両道さん

コメントありがとうございます。

長嶋さんは、あの独特の言動から頭の方にはなかなか注目されませんが、とにかく読書好きで、あの涙の引退スピーチも、ご自身が書かれたそうです。このタイトルの時も司馬遼太郎好きを告白されていますし(そう言えば一時期司馬遼太郎の住んでいたマンションの隣の部屋に、野村克也が住んでいたそうです。でも野球に疎い彼は、昼過ぎに出て行き、夜中に帰ってくるノムさんを見てどこかの人夫さんと思ったそうです)、おつきあいされる方も超一流の方々なんでしょうから、いろいろなことをご存じなんでしょうね。

監督をお辞めになる時「野球とは人生そのものだ」という言葉を言われ、その時はまた語録の一つとしか思いませんでしたが、存外深い言葉ですよね。いろいろな野球での場面が人生の一コマに擬されることが多いと思います。

谷沢さんはもともと理論肌なところがあるので、東大と相性がいいのかもしれませんね。出来れば対塾野球部以外の場所で、大いにご活躍してほしいものです。

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