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2011年1月

唐揚げ弁当

唐揚げ弁当
大森駅のすぐ近くにある唐揚げ屋さんです。
とっても美味しいので、近くに行くと唐揚げ弁当を買います。サクサクとした食感が素晴らしい。しかも500円とは!

優勝!優勝!日本!!

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(From sanspo.com

明日も朝から仕事なので、簡単に。

よく耐えて、そして少ないチャンスをものにしました!

とにかく交代した選手が当たっていましたね。

MFの藤本を下げて、敢えてDFの岩政を入れたら、空中戦での分の悪さが解消。

そして空中戦の前田を諦め、李忠成を入れたら、見事決勝ゴール!!

あれだけフリーになるなんて、カメラに写っていない素晴らしい動きがあったのでしょうね。

そして1対1を何回も止めてくれたGKの川島。

いやあ、本当に遅くまで起きていた甲斐がありましたhappy02

海軍主計大尉小泉信吉を読んで

この本は中学生の時に読んでいるはずなのですが、今改めて読んでみると、あのときは流れなかった涙がこぼれてしまうのです。

この本は小泉信三先生の一人息子だった小泉信吉さんが念願の海軍に入営し、1年足らずたった後、南太平洋上で戦死されるまでとその余話を、先生が綴った手記です。

本の裏表紙に書かれている紹介文にはこう書かれています。

著者小泉信三の長男信吉は、昭和17年10月22日南太平洋において戦死した。年二十五。父母と祖母と妹二人とを後に遺した。その愛する息子を偲び、余暇をぬすんで日夜書き綴った手記は、涙をそそらずにはおかない。日本の師表と仰がれた畏敬すべき小泉信三の別の一面、たぐいまれな暖い家庭の父の姿を見ることができる。

まず、艦艇配乗となった時に先生が信吉さんに心置きなく勤務させたいと思って送られたという手紙に心打たれます。

 君の出征に臨んで言って置く。

 吾々両親は、完全に君に満足し、君を我が子とすることを何よりの誇りとしている。僕は若し生れ替って妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若し我が子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽くしたいとおもっているかも知れないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年の間に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。今日特にこのことを君に言って置く。

 今、国の存亡を賭して戦う日は来た。君が子供の時からあこがれた帝国海軍の軍人としてこの戦争に参加するのは満足であろう。二十四年という年月は長くはないが、君の今日までの生活は、如何なる人にも恥しくない、悔ゆるところなき立派な生活である。お母様のこと、加代、妙のことは必ず僕が引き受けた。

 お祖父様の孫らしく、又吾々夫婦の息子らしく、戦うことを期待する。

 父より

暫くは、物事を大事らしく言わない信吉さんの性格通り、紀行文とも思える信吉さんからの手紙を受けて、淡々と進む小泉先生の筆致が、逆に文中に引き寄せられます。

そして、幾分かの予感の後、呆気なく訪れる戦死の電報。淡々と進む、弔問。

そして、

 夜が更けて客が散じた。妻は信吉の経理学校時代、慶應義塾同窓の友達数人と共に写した写真を取り出して、見て、始めて泣いた。寝室に入って明かりを消した。子を失ったどこの親も同じであろう。私は信吉の二十五年の生涯の幾つかの場面を憶い出し、子は人並みの死に方をしたのに、親は親らしいこともしてやらなかったという悔恨に胸を噛まれた。闇の中に、「シンキチ、シンキチ」と呼ぶ妻の声がする。続いて何か呟くのが聞こえた。やがて戸の外に鳥が啼きはじめ、門前の環状道路には、声高に語りながら、また笑いながら行く、人の往来が始まった。間もなく朝になって、吾々も起きた。
 海軍省から戦死の電報が来たとき、私は外出中、妻は老母の許に来客があって手伝いに行って居り、家には娘二人と従姉が一人遊びに来ているのみであった。そこへ「親展電報」とあったので、娘等は開封すべきかすべきでないか、恐れ惑った末開封して兄の死を知ったのである。二十一と十八の少女二人、父母の帰宅を待つ間の心は、想像すれば哀れというべきであろう。

その後、妹の加代子さんの歌、妙子さんの散文詩、武井主計中将の歌、山本五十六連合艦隊司令長官の手紙などが紹介され、どれもまた心を打つ内容です。

そして終わりの方で、信吉さんの一周忌の時、親類の多いことを喜んだ信吉さんを慰めようと60人くらいを晩翠軒に招待された際の挨拶も載っています。

(前略)信吉は果たしてどんな特徴のある男であったか、親の私には分かりません。ただ一つ言えることは、皆様もよくご存じの通り、信吉はよく笑う男で、また笑いを好む男でありました。それゆえ今晩も皆様が一晩賑かに笑って下されば信吉は、それを何より喜ぶであろうと思います。

翌日、義兄の方から手紙が来たそうです。歌一首。

笑うこと 好みしこゆゑ 笑ひねと 父の語るを きけば泣かるゝ

そして、最後はこう締めくくられています。

 親の身として思えば、信吉の二十五年の一生は、やはり生きた甲斐のある一生であった。信吉の父母同胞を父母同胞とし、その他凡ての境遇を境遇とし、そうしてその命数は二十五年に限られたものとして、信吉に、今一度この一生をくり返すことを願うかと問うたなら、彼れは然りと答えるであろう。父母たる吾々も同様である。親としてわが子の長命を祈らぬ者はない。しかし、吾々両人は、二十五年の間に人の親としての幸福は享けたと謂い得る。信吉の容貌、信吉の性質、すべての彼れの長所短所はそのままとして、そうして二十五までしか生きないものとして、さてこの人間を汝は再び子として持つを願うかと問われたら、吾々夫婦は言下に願うと答えるであろう。

 信吉は文筆が好きであった。若し順当に私が先きに死んだなら、彼れは必ず私の為めに何かを書いたであろう。それが反対になった。然るにこの一年余り、私は職務の余暇が乏しかったので、朝夙く起きて書いたり、夜半に書いたりしたこともあるが、筆の運びは思うに任せず、出来栄も意の如くならなかった。しかし信吉は凡てそれをも恕するであろう。彼れの生前、私はろくに親らしいことがしてやれなかった。この一篇の文が、彼れに対する私の小さな贈り物である。

この本は私家版として三百部限定で刷られたものだそうです。その後、小泉先生の生前、幾度となく復刻したいと言われたことがあるそうですが、そのたび、

「あの本を出すのは、また、あの本を読まなくてはならぬ。僕にはそれはとても悲しいことなんだ」

と言って断られていたそうです。さもありなん。

あとこの本を読んで始めて「戦歿慶應義塾員讃歌」というものがあったことを知りました。さすがにメロディーはわかりませんでしたが、その歌詞にも胸を打たれます。

何とも言えない読後感が残る、名著だと思います。それにしても今になって読んでみると、幾度となく涙が流れてしまうのはいったいなぜでしょうか・・・。

勝ったぞ!勝ったぞ!日本!!

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(PK戦の末勝利をおさめた日本代表。最後のキッカー・今野泰幸(4)がGK・川島永嗣に飛びつくと、イレブンも一気に駆け込んだ=現地時間25日午後、ドーハ・アルガラファ競技場(撮影・大橋純人)、From sanspo.com

いやあ、今日はテレビの前から立てませんでした!happy02

アジアカップの準決勝は宿命の日韓対決。お互いの意地と意地とがぶつかりあった素晴らしい試合でした。

よくわからないPKの後に、めげずに流れで点を取った日本。

延長後半15分、あれだけぐちゃぐちゃした中で、意地のゴールを決めた韓国。

アジアカップ名物、神がかった日本のゴールキーパー。

そしてなんと言ってもワールドカップの敵をアジアカップで討つことができた今野選手。

そういえば川島選手もワールドカップではPKを全部決められていましたから、これまたワールドカップの敵をアジアカップで討つことが出来ましたね。

あと、自分は見逃したのですが、試合が終わった後韓国チームが祝福するかのようなポーズを取ってくれたようですね。これまた素晴らしい!Be a Hard Fighter,and a good looser!の精神ですね。

とても気持ちの良いものを見せてくれました。決勝戦も自分たちの力を出し切ってほしいですね。

頑張れ!日本。

ズバリ!「学歴」と「仕事能力」って関係ある?

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深夜のお供にコネタマをやるのも一興かと。

さて、今回のお題は「ズバリ!「学歴」と「仕事能力」って関係ある?」とのこと。

自分は立場上、面接をすることもあります。そんな中感じるのは、学歴と仕事能力に関係があると言えばあるが、絶対的な要件ではないということ。

結局受験を経てその学校に入ったので、それなりの努力の仕方を知っている。これは大いに価値があることです。やはり仕事って、天才の煌めきや運の良さでどうにかなるということは余りなく、どれだけその仕事に対して没頭し、固定観念に囚われず、不断の変革の努力ができるかだちと思いますので、受験はその予行演習の一環とも思えるからです。

それは、スポーツをやっていた人にも言えます。スポーツの世界はある意味では努力が報われますが、ある意味では不条理です。その中でもあきらめずに努力が出来る人とというのは企業としても必要とする存在ですから。

かと言って、実際の仕事に直面したとき、そう出来ない人も当然いるわけで、そうなると参考の一つにはなりますが、それが絶対条件にはとてもならないですね。もちろん学歴とは関係なく優秀な方もたくさんいらっしゃるわけですし。どれだけ自分を磨くことが出来るかが、仕事能力、ひいては人生の歩み方に繋がるのでしょうね。

なので自分の答えは「学歴と仕事能力は関係なくも無いが、大事なのは努力できる心、客観視出来る目、柔軟な考え方」というところです。

そうなることが出来るよう、自分もこれから努力していかないといけませんねcoldsweats01

秋山真之と慶應義塾野球部

相も変わらずなかなか一日お休みが取れない中、楽しみは本屋さんによって本を探すこと。

そんな中、面白そうな本を見つけ、買ってしまいました。

こちらはまだ全部読み切っていないので、ご紹介は後にしますが、その中の冒頭でいきなり目がとまりました。

面白い野球評論を紹介しよう。日本球史を飾る歴史的文書といっても言い過ぎではない・・・というのはこの評論のコピーを持ってきた野球記者の説。(中略)昭和9年(1934年)岩波書店発行の「提督秋山真之」の中で見つけたもので、名付けて「褌論」という。司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」の主人公、大日本帝国連合艦隊参謀・秋山真之の筆になる一文だ。

明治40年というから日本が日露戦争に勝って二年後の1907年の10月、慶應義塾はハワイのセントルイス・チームを招待した。外国チーム招待の最初で、慶應は費用捻出のために入場券を売り出したのだが、これが日本で野球で入場料を取った最初でもあるらしい。この慶應とセミプロチームの試合を多分一等60銭の席で観戦し、連戦連敗に「これではいかん」と思った海軍将校が秋山中佐だった。秋山は野球の盛んな伊予の松山出身、野球狂の親友、正岡子規と一緒にプレーしていたばかりか、海軍兵学校で野球を始めた火付け役だったそうだ。

コピー孫引きの背景説明はこれくらいにして、秋山が慶應野球部に送った激励書簡、肝心の「褌論」だ。(後略)

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なんと!秋山真之が慶應義塾野球部に激励書簡を送っていたとは!!happy02










これは早速調べなければと思い、webで探してみたところ見つかりました。取りあえず現代文訳の方が読みやすいので、こちらでご紹介します。

前略武士が戦場に出るときも、相撲取りが土俵に上がるときもそして又、棋士が碁盤上で対戦するときも、全てその方面の勝負にはこの褌は無くてはならない必要なものであってその効能といえば、「決して睾丸を保護するということではなく」実に、次に記すような偉大な効能があるということなのです。

一、 心気を丹田に落ち着けるから逆上を防いで、智力や気力の発動が自在にできること。

二、 腹部に体力(力)がこもるから腕力を強く使えること。

三、 呼吸が楽になるから息切れが防げるということ。

四、 体の中心と重心とを一致させることが出来るから体を軽くして歩く速度が速くなるということ。

これらの効用のあきらかなことは私が多年実験していることで、日露戦争中、黄海、日本海などにおいても私は必ず、先ず褌を締めて艦橋に上り確かに心の動揺を防ぐことが出来たという自覚があります。又その昔、東海道を早打ちが二重に褌を締めたうえ、白もめんで腹を巻き締めてこの長い道中を三日間で往復したという実例に照らしても、その効能は明らかなのです。しかしながら最近の青年諸君は世の中の進歩と共に、この褌の大効用を知らない人が多くなって、越中褌または普通のパンツなどを使用するために、腹に力が入らないで血が頭にばかり逆上するため、咄嗟危急のときなどに大事な虚心、平気という態度が取れないで、その時に出るべき知能も出せないということになっているようです。むろんあなた方選手諸君にはこのような事はまず無いことでしょうが、私が昨日老婆心より見たところでは、未だ腹に締りが足りないように見受けられます。さてその褌の締め方といえば臍の下約六センチのところに巻いてから、股にかけて上の方にずり上がるのを防ぐ事と同時に睾丸を引き締め、最後に背筋の中央を押さえる事が大いな効能をもたらすのであります。即ち全ての力はこの点から湧き出すと思われるものであって、その締め加減はあまり堅すぎてもダメで、締め上げたところでちょうど五本の指を平たく入れて通るか通らないかくらいが適度なところでしょう。もし又日本流の六尺褌が習慣上具合わるければ、越中褌のひもを約三十センチ幅のモメンで巻き締めてもよろしく、要するに臍の下約六センチのところを締めていることが肝要なのです。とにかく緊褌一番(褌をきつく締める)をして試合をされれば必ず多少の効能はあります。九十メートル飛ぶ球が百メートル飛び、五秒かかるところを四秒で走り、三度の過失が二度で済むくらいのことは確かにあります。私は今、海軍に勤めていますが若い頃、大学予備門の時代には随分野球をやったもので、貴校の今回の対外試合にも私は興味深く観戦しています。これからの二回の勝負は実に帝国腕力の名誉に関するものと思うものであり、是非ともあなたがたの大勝で終わるように希望しますので老婆心のままに書き流してみました。一読、笑味してもらえるならば幸いです。   草々

 明治四十年十一月十三日   秋山真之

慶応義塾 野球選手各位

秋山真之の褌論は有名だったそうで、日露戦争時、バルチック艦隊を打ち破ったあの日本海海戦の時もベルトを褌のように巻く珍妙な姿でデッキに上がっていたそうです。もっとも有名なあの絵を描く際は、普通にベルトをしていたように描いてほしいと要望されたそうですがcoldsweats01

そして、

明治四十年、早慶試合中止の直後、慶応野球部の招待に応じて、初めて日本に渡来したハワイ・セントルイス野球団との試合に於いて、慶応選手は何としても勝利を得たい、(負けっぱなしであった)と苦心しているとき、毎回ネット裏に見物する一人の海軍軍人がいた。この人こそ日本海々戦の「舷々相摩ス」の名文に日本国民の血を湧かした秋山真之氏であったことは前記の褌論を選手が受け取った時に始めて知ったのである。この褌論によって連戦連敗の最後の試合に初めて「緊褌一番して大勝をし得たのであった」ちなみに秋山将軍は海軍兵学校に初めて野球競技を入れた本人であり、又氏の褌論は著名なもので、氏は常に褌は戦をするときに必須であり欠く事ができない兵器の一つであるから、衣扁に軍の字をツクリとしたのであるとまで高唱していた。

(付言)軍の字を辞書で調べてみると「いくさ」、という意味と共に、「めぐらす」という意味もありますから、形の上では衣をめぐらせるものを褌という、という解釈が優先しそうですが、褌そのものの実際の効果から見れば秋山大人の説に諸手を上げて賛同したいと思います。また長年に渉る褌の使用により、充分な腹力を得、また実際の戦闘時において、いささかも心が動揺しなかったという述懐に、我われも大いに参考にする余地があるであろうと思います。ちなみに、慶応大学野球部に問い合わせたところ、(平成十八年六月五日)、秋山真之直筆の「褌論」は誰も知らないということでした。太平洋戦争の末期のどさくさで焼失、または紛失した可能性があります。惜しいことです。 (ここまで、「提督 秋山真之」 秋山眞之会編秋山真之から引用させていただきました)

それにしても慶應がハワイのチームに負けているのを見て切歯扼腕している秋山真之を想像するのも、その激励書簡を読んで見事勝利を収めた慶應の選手の笑顔や、満足げな表情をしている秋山真之を想像するのもまたいいですね。90mの打球が100mに。4秒で走るところを3秒で。3度の失敗が2度になったのかなあ〜。書簡内に「これからの二回の勝負は実に帝国腕力の名誉に関するものと思うものであり、是非ともあなたがたの大勝で終わるように希望します」とありますから、試合を見ていてよっぽど口惜しかったんでしょう。

原典もどこかでふと見つかるといいですね。

こうやって興味深い内容が思わぬところでつながると、それだけでワクワクしてきますね。

ちなみに今日のお仕事でお会いしていた方、珍しい名字だったのでもしかしたらと思ってお尋ねしたら普通部の時の先生のご親戚とのこと。世の中狭いなあと思うとともに、またつながりが一つ見つかって嬉しかったですhappy01

Stlouis_baseball_team
(来日したセントルイス・チームの写真です。この写真のみ「明治」という国家より転載しました)


そういえば・・・

なんとなく思いながら、口に出せずにいたことなんですが・・・、

慶應と早稲田のユニフォームのルーツってもしかしてヤンキースとレッドソックスなんでしょうか?

古い写真を見てもこんな感じで、

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書体が「NEW YORK」は慶應と同じゴシック。「RED SOX」は花文字でこれまた早稲田と同じような書体。

そしてこのヤンキースのビジター用はグレーに紺文字とこれまた慶應と同じ色使い。

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レッドソックスのホーム用も、白地に赤と、まあ早稲田の色使いに通じるところがある。

あちらもライバル同士ですし、もしかして・・・、なんて思うことがたまにあるんですよね。

誰かご存知でしょうか?

お餅の好きな食べ方は?

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なんだか記事も返信も滞ってしまっている今日この頃です。

こんな時こそコネタマ!ということで投稿してみます。今回のお題は「お餅の好きな食べ方は?」とのこと。

・・・ん?何かお題を間違えていないか・・・?

よく餅、胡麻、餡子が苦手だと言うと「食わず嫌いではないか?」と言われることがあります。

いえいえ、ちゃんと食べるんですよ。そういう場所に行けば。

お客様にお出し頂いたときなんかは、食べますね。

以前は若気の至りで、苦手がゆえに凄い勢いで食べて、「美味しかったです」と言ったら、「そんなにお好きならもう1個どうぞ」と言われ閉口したり、初めて信玄餅を食べた時、上にきなこがかかっていることを知らず、やはり「美味しそうですね」と言いながら、ついため息をついていたらしく、上のきなこがぶわっと舞い上がって困ったとかしていました。今ではだいぶそういった経験も積んだからか、そこそこ無難に過ごしている気がします。

なので、「好きな食べ方」と言うわけでもありませんが、お客様に出された時はお餅でもなるべく食べるようにしていますsweat01

今回の与謝野氏の入閣に関して思うこと

この前の記事のコメントでkktfさんから頂戴したご質問に対して、記事として取り上げてみようかと思います。

巷では所謂「べき論」で、与謝野さんの就任に対して疑問符を投げかけています。

まあ端的に言うと渡部恒三さんのコメントの通りなんでしょう。

与謝野氏の入閣、渡部氏「卑しい」 (From 日本経済新聞

 民主党の渡部恒三最高顧問は14日のTBS番組の収録で、菅再改造内閣で与謝野馨氏が経済財政相に就任したことに関し「政治家で一番大事なのは信義と節操だ。政権を失ったとたんに自民党を出て、今度民主党で入閣するなんて卑しいし、恥ずかしい」と批判した。

 同時に「(民主党は)参院が足りない。(与謝野氏を)大臣にして参院のものを連れてくるなら意味があるけど、衆議院じゃあね。本当に意味のない人事だった」と酷評。一昨年の衆院選で東京1区で戦った与謝野氏と海江田万里経済産業相がそろって入閣したことには「同じ党で大臣2人になれば選挙民はどう判断すればいいのか。全然間違っている」と語った。

自分は今回の件が倫理的にどうかと言われれば別ですが、政治家としておのれの志を立てるために、なりふり構わぬ行動をすることそのものが、必ずしも糾弾されるとは思いません。それであれば亀井さんだって福島さんだってどうなんだ?という話しだとも思いますし。

但し、私は与謝野さんを政策通と感じられず、今までの行動から、政治家として仕事を成し遂げられるタイプではないと思っているので、ここまで波紋を起こしてこの人事をする価値は無かったのでは?と思っています。

先ず思い出されるのは麻生内閣時代の「間違った信心」発言です。すなわち、

「(規制改革会議に関連して)規制緩和はすべて善という信心がはやったが、間違った信心だ」

「(小泉内閣での政策金融改革は)世界が順調に成長していくという前提の経済学で、世界が同時に不況になることをまったく想定していなかった。間違いだった」

これについては、自分はこの記事と同じ事を感じていました。

糾弾されるべき与謝野大臣の妄言+先週のテーマ「メディア再生のヒント」の補足(From DIAMOND Online)

 経済の混乱が深まる中、与謝野大臣がとんでもない発言を二つもしました。それがいかにおかしなものであるかをどのメディアも報道していないので、私が解説したいと思います。(続きはこちら

続いては、リーマン・ショック時の応対。まさに今回と同じ経済・財政担当大臣だったわけですが、この時は、

「んーまあ、蜂に刺された程度じゃないんですか?」

と発言しています。その後の推移を考えると、先見の明に優れているとは言えません。こちらについてはこの記事が自分の考えに近いです。

猛毒だった蜂の一刺し-後手に回った経済・雇用対策ー (From JAN JAN NEWS)

 「んーまあ、蜂に刺された程度じゃないんですか?」

 昨年9月、リーマン・ショックを受けての与謝野馨経財相の「お言葉」である。麻生太郎首相の、その後の政権運営を見ていると、この「お言葉」が「景気・雇用対策より政局」へと首相をして走らせた大きな要因になったのではないかと思う。そしてそのことが、皮肉にも内閣支持率の低下に拍車を掛けている。(続きはこちら

そしてデフレ・インフレについてはこんなお考えをお持ちのようです。

「日本の経済成長に過剰な幻想を抱かないことです。インフレ率を高く見積もって日本の税収を予想することは決してやってはならない。インフレは弱者に厳しいもので、国民が最も嫌うものがインフレ。ミャンマーのデモも引き金はそれでしょう。物価が上がらず、100円ショップで何でも買えるのはいい話なんですよ。さっき私も買ってきたんですが、このハンドタオル、2枚で99円ですよ。いいでしょう。」 (毎日新聞(夕刊)平成19年10月2日(火)より

それに対してケインズは、企業者と労働者とからなる活動階級と資金の供給側である投資者(債権者)からなる非活動階級の二階級観をもっていて、この様に捉えています。

インフレーションは金利生活者に損失を、デフレーションは失業によって労働者に損失をもたらすものと見ていた(「貨幣改革論」)が、ことにストックの価値を高めるデフレーションは、活動階級の犠牲の下に貨幣愛に囚われた非活動階級に利得を得させるものと捉え、これを緩やかなインフレーションよりも問題の多いものと見ていた。

私はどう見てもケインズ理論の方が正しいと思えるのです。


政策とは日本の優秀な官僚機構でも十二分に作られてくるものだと思います。寧ろ政治家に求められているのは状況に応じた的確な判断と、必要と認めた政策をしっかり実現する実行力なのだと思います。そう考えた時、日本経済のターニングポイントとも言える状況の時、それを司ることが出来るポジションにいて、そしてその判断・言動に首を傾げたくなるようなことが目立っていたので、私としてはそもそも与謝野さんを政策通の政治家として見ることが出来ないのです。

その上で実行力についても大いに疑問を持っています。下記の記事をご覧下さい。

「政策通」与謝野氏の晩節 (From 日本経済新聞

 政界きっての政策通、官僚の信任が最も厚い政治家――。たちあがれ日本を離党した元財務相、与謝野馨を形容する言葉は自民党時代から枚挙にいとまがない。首相、菅直人が与謝野を政権へ誘ったのも、その知恵と評判を買い、変化を印象づける狙いがあったからにほかならない。「残された政治生命のすべてをかけて日本の将来のため、少しでもいい仕事をしたい」と意気込む与謝野に、官僚たちは「いま必要なのは知恵よりパイプだ」と意外に厳しい目を向ける。

 「政策通」と呼ばれるたび、与謝野は「実は議運・国対族でもある」と答える。野党と折衝し、落としどころを探る。この仕事に与謝野を登用したのは元官房長官、梶山静六だ。梶山は派閥が違う与謝野を自民党国対委員長の時には筆頭副委員長に、幹事長の時は衆院議運委員長に、官房長官の時は副長官にと1990年代、重用し続けた。

 議運・国対だけでなく、政策面でも梶山は与謝野の後ろ盾となった。財務省との関係を一段と深めることになった財政構造改革は、首相経験者による「財政構造改革会議」を梶山がお膳立てしてやり、与謝野に腕をふるわせた。与謝野が秘書を務めた元首相、中曽根康弘も与謝野の大きな支えだった。

 元首相、小渕恵三は総裁選を戦った梶山の影響力をそぐ狙いもあって与謝野を通産相に起用し、産業再生を任せた。その後も自民党時代は政調会長、経済財政相、官房長官、財務相と要職を歩み続けた。強力な政権の信任を得たとき、テクノクラートとしての与謝野の力量は最大限に発揮される。財務省と経産省は与謝野が閣僚になるたびに同じ官僚を秘書官に出し、関係強化に腐心した。

 苦手なのは多数派形成だ。郵政民営化取りまとめにあたった小泉政権では、策士で知られる園田博之に郵政改革の責任者を頼み、助けてもらった。たちあがれ日本でも行動をともにした園田は今回、電話に出なくなった与謝野に、人を介して何度も「思いとどまった方がいい」と働き掛けた。その園田とも袂を分かち、与謝野を政略面で支える政治家は見あたらない。

 官僚たちの冷めた見方は、ここに理由がある。政権基盤が不安定ないま、官僚が求めるのは自分たちでもできる政策立案ではなく、与党を掌握して野党と交渉できる政治力だからだ。「あと1、2年の政治家生活と思い定め、もう待てなかったのだろう」と周辺は与謝野の行動を評する。残された時間は少ない。=敬称略

なので、「今回の与謝野氏の入閣にはどのような感想をお持ちですか?」については、倫理的に問題があることもそうだが、それ以上にそもそも与謝野氏がそのような力量を持っている政治家に見えず、ここまで波紋を起こしてこの人事をする価値は無かったのでは?というのが自分の感想です。

なんだか随分と偉そうなことを書いてしまいましたsweat01

「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回“外交敗戦”孤立への道 」を見て

放送からはちょっと経ってしまいましたが、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回“外交敗戦”孤立への道」を見ました。

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まず最初のオープニングで、現代の日本人に「なぜ日本はアメリカと戦争したのか?」と投げかけ、その答えをクロスオーバーで出したのが良かったですね。

いかに、学校の歴史の授業というのがこの長い間何も教えていないかわかって。

もちろん一言で答えられる内容ではないと思いますが、かと言って何も考えずにただ

「軍国主義者に引きずられ、アメリカと無謀にも戦争を始め、アジアの人々を巻き込み悲惨な戦争となった。だからもう二度と戦争をしてはいけません。」

で終わらせている限り、日本人は世界で自らの世界観を持って他国の人と交われないでしょう。誇大妄想、自己肥大、などと言い方はいろいろありますが、とは言え世界における日本はどうあるべきか真剣に考えていた人たちがいたからこそ、戦後の日本もあったと思いますし。


で、本題ですが、新鮮な発見もあり、さすがNHKだなあと思いました。会長選びは別にしてbleah

戦前の日本のターニングポイントを満州事変と国際連盟脱退において話は進みます。確かにその前から対華21箇条の要求、シベリア出兵、日貨排斥、日英同盟の自然解消などいろいろな萌芽はありましたが、その2つをターニングポイントとすることは、充分に納得のいくところです。

そして、松岡代表が国際連盟脱退において、最初は脱退になってしまい意気消沈していたが、帰ってからの英雄扱いに有頂天になったという知識はありました。

しかし、国際連盟での外交交渉で「リットン調査団の勧告を受諾すべき」と公電を打ち、受け入れられないとかなりの不満を再度打電していたことは知りませんでした。そしてリットン調査団の勧告を拒否すべしと指示した内田外相も初めて知りました。また面白いことにこの内田外相は英米協調派として知られていた方で当初は満州事変の事態不拡大を唱えていましたが、後に強硬派に転身。焦土外交で名を残すことになりました。

そして脱退もそれが目的と言うよりは、勧告を受諾しないと経済制裁を受ける(実際に1937年に当時常任理事国のイタリアがエチオピアに侵攻したとき、経済制裁を課し、それが理由でイタリアも脱退しています)のを避けるために、連盟の局外に出るという奇策だったとのこと。

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そしてその後一気に国際的孤立に走ったわけでもなく、各方面が孤立してはいけないとばかりに防共協定を軸に話したり、ドイツとの接近を図ったりしているが、どれも連携の取れた動きとはなっていない。

さらに軍部も暗号解読では相当のレベルにあり、各国の公電を傍受していたことがわかったが、その情報を軍部の外に出すことなく、独自の分析に終始してしまう。

その結果多面外交と言えば格好いいが、まとまりのない外交姿勢は各国の不信を買い、結局中央部としては一番乗り気ではなかったナチスドイツと手を組むことに。

そしてその背景には短命内閣が続いたことにより、一貫した政治体制が作られていなかったことも挙げていました。


非常に示唆に富んだ内容だと思います。

東京裁判の際、開戦時の大蔵大臣で戦犯に指定された賀屋氏が

「ナチと一緒に挙国一致、超党派的に侵略計画を立てたというのだろう。そんなことはない。軍部は突っ走るといい、政治家は困るといい、北だ、南だ、と国内はガタガタで、おかげでろくに計画も出来ずに戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ」

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と言ったそうです。誰もやりたくなかった対米戦争。もしかしたら対支戦争についてもそうだったかもしれません。でも部分的な解を持ち寄って、一見合理的な結論のように見えてしまった。部分最適が全体最適になるわけではないのですが、得てして日本では部分最適を重視するきらいがあるように思えます。

明治の時代は確かに藩閥政治ですが、それが故に基本線がぶれなかった。しかし昭和に入って四民平等政治(敢えてそう言わせてもらいます。政党政治だけでなく、軍部にしても特権階級の出ではない人が下克上のごとく活躍していました。つまり出自が関係なくなった世の中になってきていたのです。)となり、自分の目線内での多数派に流される政治になってしまった。戦後しばらく経った後の55年体制確立後は、自民党政治となり10年間の高度成長期の首相は2人だった(池田、佐藤)。2度のオイルショックの後に訪れたバブル期の基礎を作ったのは中曽根内閣。一旦は株価を立て直し、銀行の不良債権問題を解決し、インターネットの高速回線普及率を飛躍的に上げた小泉内閣。やはり実績を上げている時代は、政権も安定しているように感じます。

最近よく、首相が辞めるのは自由だという考え方がそもそもいけないのではないかと思います。もちろん本人の意ならずなんでしょうけど、派閥抗争で負けてというわけでもなく、ただ事態を打開するためという名目で総辞職するのは日本にとって大きなマイナスではないかと。

もちろん前の総理大臣のように、続けていることが悪のように感じることもあります。しかし、内閣を放り出す権利を総理大臣が持っているので、参議院選挙の前に辞任してしまった。なので参議院選挙は「鳩山内閣にNO!」と言われたのか、それとも「菅首相の唐突な消費税アップの話」が反感を買ったのか、さっぱりわからないまま、ただ推論ばかりが漂ってしまうと。なので国益のために政治家引退を取りやめるとか訳のわからないことも言えてしまうのかと。それよりもうまくない政治を行った内閣はしっかりと選挙で「NO!」を突きつけられて、一つのけじめをつけるべきだと思うのです。なので

1)首相は国会議員を辞職しない限り、辞任はしてはいけない。

2)現職総理は、少なくとも次の国政選挙にはその体制で臨まなくてはいけない。

とした方がいいのではと。我々国民も内閣は替わるものだと思ってしまうからいけないのかと。その人が首相になったからには少なくとも4年はその人が務めるのだと思わなければいけない。だからこそ、選挙の時に投じる1票を真剣に考える。そうあるべきなのではと思いました。

結局責任の所在が曖昧のまま進み、いわゆる空気(言い換えれば民意)によって方向性が決まると、とんでもないことにつながることもあるよというのが、戦前の教訓なんだと思うのです。

と思って次回以降の予告をHPで見ると、「空気に動かされた国家」「決意なき開戦」とありますから、その流れなんですね。次回の放送も楽しみです。

新年の発表会 〜小さなライバル

元旦の日、一族で祖母の家に集まる習慣が昔からあります。

そんな訳で今年も元旦に親戚で集まりました。

集まっておせちを食べ、歓談し、時にはカードゲームやら百人一首やらボーリングなんてこともしながら、のんびりと過ごしていました。

しかし、最近は勝手が違ってきました。

緊張のひとときが訪れるのです。

というのも、隣に叔父の家があり、そこにはピアノがあります。

ここのピアノには発表会の前にはお世話になったりするのですが、ここのピアノを愛する人がもう一人いるのです。

それは今広島に住む、自分の従兄弟の娘さん(6)。すなわち姪っ子になります。

そして、昨年から食事も終わって暫くすると、叔父の家に移動し、姪っ子とピアノの発表会を行うという流れになってしまっているのです。

昨年は発表会の後、ろくすっぽ練習もせずに臨んだら、そりゃあもう散々なものでした。

今回は同じ轍を踏むわけにはいけません。

ちゃんと事前に練習(結局大晦日にちょっとやっただけ)し、楽譜もこっそり鞄に忍ばせ、来るべき時に備えます。

そして祖母の家に入るやいなや、叔父から衝撃の一言が。

「○○ちゃんは、9曲弾くそうだよ」

・・・?そんなに弾けるようになったんすか??

これはいよいよやばいぞ・・・。しかし、6歳の子に負けてしまっては叔父の沽券に関わるというもの。とりあえず平静を装ってみました。

姪っ子はピアノを弾くのが楽しみで仕方がないようで、なんだかずっとウキウキしているようにも見えます。その姿勢、天晴れです。

そして2時間ほど経って、いよいよ開演の呼び鈴が鳴ります。

一目散に叔父の家に駆け出す姪っ子。

いよいよ開演。満面の笑みでピアノの前に立ち、妹を座らせ、曲目の紹介をしてくれました。

そしていよいよ演奏。

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むむ!なかなかやるではないか。っていうか子供は本当に上達が早いですね。両腕をクロスして弾いたりもして。しかも9曲ともすべて暗譜。また後ろから見ていても、弾いているとき本当に楽しそうなんですよね。音楽だけに音を楽しまないと。きっとピアノの先生も、彼女の興味を引き出しながら、うまく伸ばしているんでしょうね。いやあ、本当に素晴らしいhappy01

そして更にアンコールまでつけてくれるサービスの良さもあり、すでにかなりの差をつけられた様子。

一応その後、自分も一つ覚えで「鐘」を弾きました。ええ、たった一つだけでしたとも。もちろんアンコールで弾ける曲なぞあるわけもなし。

こうして、第2回目の演奏会も小さなライバルにやられましたshock

しかし、見ておれ。来年の正月にはきっと・・・。でもあの上達のスピードだと更に差がついてしまいそうだなあ・・・。

最近の元旦は、なかなか大変な日になってしまったものですcoldsweats01

食べ過ぎをスッキリさせる方法教えて!

ブログネタ: 食べ過ぎをスッキリさせる方法教えて! 参加数拍手

うちの会社の年始は割と遅く、今日から仕事始めでした。

建設会社なので、新年の始めは安全祈願と協力業者や職人さん達との新年会となっています。

ということで、元旦から食べ続けている感があるにも関わらず、また新年会でたくさん食べてしまうわけですcoldsweats01

そんなことをコネタマの今回のお題、「食べ過ぎをスッキリさせる方法教えて!」に引っかけてみました。

う~ん、正直言って自分が教えて貰いたいのですがsweat01、まあ敢えて挙げるとすれば、ちょっとした運動をするといったところですね。

昨年来体重が増え続けていて、このままでは華の中年街道まっしぐらになってしまいそうで、どげんかせんといかんと思い、ここ数日は走ったり、ちょっとスクワットとかやったりと焼け石に水とも言えないようなことで抵抗しています。

そう言えば走っている時、音楽を聴きながら走ってみました。

1回目はラフマニノフのピアノ協奏曲第2。早朝に走ったこともあり、荘厳な気分になって、すっきりとした感じで走ることが出来ました。

2回目はいつぞやの六旗の下にを録音したもの。特に苦しくなってきた時に、塾が誇るチャンスパターンメドレーになってしまう不運幸運な巡り合わせ。何しろあの曲がかかると、脳のある部分が刺激され、あの太鼓の奏でるビートに合わせてテンポ良く走らないといけないような気がどうしてもして、無理なペースで走り続けることに。いやあ、あの曲はやっぱり力がありますね。でも、麻薬みたいなところがあるので、使用するタイミングを誤らないようにしたいものです。

でも体重計は動きませんwobbly

どんなことをすれば、「食べ過ぎをスッキリさせ」てくれるのでしょうか・・・?

「ペンは剣よりも強し」を読んで

今年の年始は、小泉信三先生の本を読み続けている感じですね。

今回ご紹介する「ペンは剣よりも強し」は以前文武両道さんにご紹介いただいた本です。(注射のとき、針を見る? 目をそらす?


題名から想像すると、言論の価値の高さについて高らかに謳いあげているような内容かと思っていましたが、違いました。

冒頭はこのような文章から始まります。

「ペンは剣よりも強し」。 The pen is mightier than the sword. この諺は何時からのものか。それはわれわれ筆をとるものにとっては快い誇りであって、私たちはペンのますます剣よりも強くなることを願ってやまない。私の学んだ慶應義塾は、交叉したペンを徽章にしているが、公平にいって、それは日本の諸学校の徽章のうち一つの主張を明示したものとして出色のものだといってよいであろう。

ここまではやはり「ペン」の価値の高さについて述べていますが、それゆえに、

しかし同時に思わねばならぬ。ペンが剣より強い、ということは、それが一つの武器であることを意味している。しかし、武器には常に濫用の危険が伴う。剣の濫用の危険については、今更いうまでもないが、それよりも強いといわれる筆には、果たして濫用の危険はないのかどうか。私は決して楽観することができない。武器の使用に慣れないもの、あるいはその使用の慎みを知らないものにそれを持たせるほど、危ないことはない。筆もまた然り。武器の濫用は人を傷つけ、またしばしば却っておのれ自身を傷つける。言論報道の自由はもとより大切であるが、私は今、自ら筆をとるものの一人として、特に筆を慎むことの大切であることを考えていい時節だと思うのである。

と自省の言葉が続き、全体的にその論旨が続きます。これは福澤先生以来ということで、福翁自伝からの引用もあります。

これは創設した時事新報の編集上の主義について語った部分で、

「私の持論に執筆は勇を鼓して自由自在に書くべし。但し他人のことを論じ、他人の身を評するには、自分と其人と両々相対して直接に語られるやうなことに限りてそれ以外に逸すべからず。如何なる激論、如何なる大言壮語も苦しからねど、新聞紙にそれを記すのみにて、さてその相手の人に面会したとき、自分の両親に恥ぢて率直に述べることの叶はぬことを書いてゐながら、遠方から知らぬ風をして宛も逃げて廻るやうなものはそれを名づけて陰弁慶の筆といふ。その陰弁慶こそ無責任の毒筆となる。君子の恥づべきところなりと常々戒めてゐます」

との文章。これを平易に言い直している文章があり、

人にたいしていかなる非難攻撃を加えるのも自由であるが、ただそれは当の相手に面と向かって言い得ることを限度とすべきで、直接その人に向かっては言い得ないことを、陰へ回って筆で書くのは卑怯な遠吠えだ。

と書かれています。まさにその通りであると思います。私事になりますが、昨年仕事上で協力業者さんと業務の改善について話し合う上でアンケートをお願いしたことがあります。その際記名式としたのですが、これに対して反対意見も結構ありました。曰く、記名式にすると言いたいことも言えなくなるので、無記名の方が真の意見がでるのではないかと。確かに真実を言うと大変な危害が及ぶ恐れがあり、発言した人の生活、ひいては生命をも危ぶませるという時は無記名である必要があるのですが、自分がその意見が気に喰わないからと言って取引に影響を及ぼさせるという考えがない限り意味のないことであり、もし自分がそういった人間だと思われているのであれば、それはそれで自分の不徳の致すところ。それより、無記名であるがゆえに建設的ではなく、批判のための批判の意見が集まることを嫌ったからです。結果的にはいろいろ傾聴すべき意見が集まり、まだまだ改善を継続して行わなければいけないこともありますが、大変有意義な会が出来ました。やはりお互い「面と向かって言い得ることを」話していかなければいけないですよね。ネットでの論議になっていない論議を見ると、その感をより強くします。

その他にも共産主義者に対する時系列を追った思想上の変遷に対する批判、ソ連・中国が協定を結ぶ際に日本を仮想敵国と明記したことに対する反発は少々時代背景があるとは言え、今の世の中の国際情勢にも通じるところがあるように思いました。

また、プライバシーに関してもこんな言葉が。

個人の私生活は、それが公共の利益や必要に反することのない限り、どこまでも保護されなければならぬ。塀の節穴からののぞき見に類するものの記録、またはそのまがいのものを、報道の自由、また創作の自由を名として公表することは許さるべきではない。いわんやあること、ないことでなく、ないことをあるかのように語るにおいてをや。報道も創作もいずれも大切なことにはちがいないが、人の生活そのものは、もっと大切である。私事を暴かれたものの不快と、これを暴いたものの満足とは衡りにはかけられぬ。他人の私事を語り、あるいはそれを聞くことは興味のあることかも知れぬ。けれども、そのような興味のために他人に不快−時としては深刻なる不快−を与えることは、苟も人間尊重の本義を知るもののなすべきことではない。

この点において、従来の言論には不公平があった。報道・創作の自由を主張するものは−記者、作者がおもであるから−発表機関をもっている。これに反し、いわば被害者側のものには、発表機関がない。仮に新聞雑誌の紙面を提供されても、文章を書き慣れないから、思うことが充分にいえない。

全くもってその通りのことを感じていました。昨年の年末は、報道はテレビ、新聞、週刊誌挙げて海老蔵問題を取り上げていました。それも片方は名乗りもせず、ずっと「元暴走族リーダー」とぃう肩書きでの(この時点でどうして疑問に思わないのか不思議で仕方がなかったです。マスコミはどんな階層の人よりああいった階層の人を尊重するようになったのでしょうか。彼らがマスコミの選別をしていたにも関わらず・・・)発言を大いに取り上げ、毎日のように小出しの報道。その時期は安保理の緊急ミーティング(今後の極東情勢を占う試金石となる)や民主党内の紛争(菅総理対小沢元幹事長)など、いろいろなことが起こっていましたが、大した興味もなさそうに通り越す。自分から見れば、国の大事より一芸能人の酒席でのプライバシーの方が人目を引くので報道しようとマスコミが判断したとしか思えません。少なくとも報道に関しては視聴率・売上げを過度に意識してほしくないのですが・・・。

いずれにせよ、どの立場であれ大事なことは自省し、自らが恥ずかしくない存在であるよう、常日頃から努力していくことだと思います。自分もそういったことを意識して、過ごしていきたいと思います。

これまた日本伝統のリベラリズムと言った感があるので、ご興味ある方は是非ご一読されてみてはいかがでしょうか?

反日デモの時に感じていたこと

昨年を振り返ってみた時に、どうしても対中関係の問題を想起しないわけにはいかないでしょう。

どうしても隣国であり、また一方の国益は他方の国難になる場合も多々ある関係なので、衝突が起こらないとする方がおかしいと思います。

しかしながら、どうして日本、特にマスコミが憤らないか不思議に思うことがいつもありました。

それは「反日」という言葉に対して、そして日本国旗を貶める行為・映像に対してです。

例えばこんな感じのです。 →http://www.asahi.com/international/update/1024/TKY201010240073.html?ref=recb

我々は当然センセーショナルに反応するべきではなく、お互いの違いを認識しながら隣国として共通利益を求め、そして友好関係を維持していかなくてはならないと思います。しかし、それと同じくらい自らの国に対しての尊厳を護ろうとすべきでもあると思うのです。

したり顔に「反日デモは中国国内の不満を反映したもので、体制批判が形を変えたもの」という解説をしているだけではいけないと思います。中国政府当局者は反日デモを抑えようとしていたと言いますが、それと同じくして「愛国の熱情はよく理解するが、社会不安を煽ってはいけない」と国民向け談話を発表しています。我々は愛国の熱情の発露の相手としていつも日本を取り上げることについて、抑制された、しかし、しっかりとした意志を表示しなければいけないと思うのです。


「他国に対する敵意をもって愛国と表現するのは間違っている。意見の相違はあれど、そういったことは厳に慎むべきだ。貴国民が中国という国に誇りを持つのと同じように、我々日本人は日本という国に誇りを持っている」と。


先ほどの記事で触れた「練習は不可能を可能にす」に掲載されていた「塾の徽章-塾生への講話」という文章はこういった文から始まっています。

慶應義塾の徽章と制服の光輝ということについては、最近に三度話をしたが、重ねて諸君の注意を促したい。

吾々(われわれ)は国民として常にわが国旗の尊厳を護り、その光栄をねがい、もし万一にも他国人によってそれの軽んぜらるるが如きことがあったなら、決してこれを不問に附せず、必ず相当の処置を取るだけの覚悟を持っている。塾生の塾の徽章におけるも正に同様であるべきである。(中略)敬意の不充分であった場合に適当の処置を取るのは当たり前であるが、実はそれより先きに、諸君としては諸君の徽章と制服とをして自らにして人々の最高の畏敬と信頼との的とならしめるに遺憾なきことを期せねばならぬ。

これは昭和15年の講話ですから、時代背景が違うと言えばそれまでかもしれませんが、でもこういった今の世の中でも必要なのだと思います。それと共にこの講話が塾歌の3番の歌詞の一節、「執る筆かざすわが額(ぬか)の 徽章(しるし)の誉(ほまれ)世に布(し)かむ」に通じるものを感じます。

我々の国、組織を誇り高きものにするのは、その構成員たる国であれば我々国民であり、組織であればその組織の人そのものだと思います。そのためにも、あの反日デモが吹き荒れている時、したり顔の解説や反中デモでお返しするのではなく、我々の尊厳を主張する努力がマスコミ、そして我々国民に求められていたと思っています。

今年はどんな一年になるのでしょうか。

「練習は不可能を可能にす」を読んで

今日は久しぶりに家に一日中籠もることが出来、読みたかった本も読むことが出来ました。その本のタイトルは「練習は不可能を可能にす」。

このお方を表現する言葉が多すぎて困るのですが、名塾長であり名教育家であり名文家であり今上天皇陛下のご教育掛であり、そしてスポーツをこよなく愛された小泉信三先生のスポーツをめぐる随想集です。

とにかく先生の戦前に書いた文章も、戦後に書いた文章も全くぶれることなく同じ思想の元書かれているところに深く感嘆します。

印象に残った文を順不同で書きますと、

スポオツ雑談と題された文章にて、

・運動技術の発達に関連して面白く思うのは、熟練者の保守主義 ・熟達者が兎角新技術の採用を快しとしない ・現在の技術に熟達しながら、しかも常に新しいものに対する感受性と寛容を失わぬ人々こそ、真に尊敬を受くべき

また、「テニスと私」「野球と私」と題された章にて

・(嫌な観客を評して)この連中は自らテニス通をもって任じているから、少しも選手を尊敬しない。選手を理解しようとしないで先ず批評をする。それもコオトの上をろくに見ないで批評ばかりしている。しかも周囲の人のみならず選手その人にも聞こえよがしに何か言う。特には無遠慮に哄笑したりする。苟も自分で仕合に出た経験のある者なら、忘れてもこんな事は出来ない筈であるがそれを敢えてするのは、反省力が人並み外れて鈍いか、誇示慾が人並み以上に強いかのためであろう。(中略)或る仕合の見物中、五月蠅いテニス通の一人があまり喋舌り続けるので「プレヤアの邪魔になるから静かにし給え」と云ったところが「誠に済まなかった」とあやまるかと思いの外、その人は不平そうにふくれて黙ってしまった。誠に度し難しである。(これは昭和7年に書かれたものです!)

・(コラムにて)野球の試合で、味方の形勢悪しと見れば中途で立ち上がって帰る人々を苦々しく思われ、「九回裏を待たずにあきらめて席を立つのは、観客としても、応援者としても面白くない態度だね」とよくおっしゃった。最後の最後まで選手の健闘に期待を寄せる先生の態度こそ、選手の心情を理解するものと言うべきだろう。

また、自慢高慢と銘打たれた文章にて、六大学野球の昭和40年春のシーズンに、当時77歳の小泉信三先生が始球式を投げてしかもストライクを投じられたことを書かれています。その始まりが以下の文です。

・「自慢高慢バカのうち」と、子供のときに戒められた。たしかにその通りで、私もバカと思われたくないのは山々であるが、ところが、したい自慢はやはりしたい。先日、私は六大学野球の始球式に出て、神宮球場のマウンドからストライクを投げた、といって新聞にほめられた。どうもその話を書いて吹聴したいのである。七十七歳という自分の年を省み-また教育者として見られている私として-どんなものか、と色々考えて見たが、やはり書いて『新文明』に投稿したくなった。

そして最後はこう締めくくられています。

・追記すると、日ならずして六大学リーグから記念品として卓上の置き物を贈られた。(中略)私は欣んでそれを受け、客間の一隅の卓上に置いた。それは何か、と問うものがあったら手柄話をしようと思っているが、中々人はきいて呉れない。世に心利きたる人というのは少ないものである。

ちなみにこの年の野球部の主将が現塾野球部監督の江藤省三さんです。う~ん、味わい深い。

今度は前田祐吉さんが「勝ちたがり」と題して寄せられているコラムにての文章です。

・慶應義塾体育会の創立七十周年に際し、小泉先生は「三つの宝」と題して、スポーツの効用を説かれた。第一は、練習によって不可能が可能になるのを、体験すること、第二はフェアプレーの精神の体得、第三は終生変わらぬ良き友人を得ること、を挙げて、多大の感銘を与えられた。又先生が好んで口にされた言葉に「Be a hard fighter,and a good loser!」というのがあった。私はこれを「猛烈に戦った者にしてはじめて、良き敗者たり得る。」と自己流に解釈して自らを戒め、選手にも話し聞かせるのを常とした。

他にも興味深い文としてはタイトルだけですが

・スポーツが与える三つの宝(前田さんの文章でも紹介されています)
・人生と練習
・民主的弛緩
・猛練習とシゴキ
・スタンド・プレエ
・潔き態度
・「チームワーク」について
・一年-伊藤正徳のことなど
・病気見舞
・「信なきものは去る」
・清潔競争(最後の文章で「勝手に紙屑を捨てられないことは、人間の大切な自由を、少しも損うものではない。」とは簡潔にして平易、かつ明快な文章だと思います)
・青春は歌に連なる
・コラム早慶戦(お嬢様の小泉タエさんが書かれたもの。最後の一文「父に見せたい優勝に加えて、また一つ、聞かせたい話がふえてしまった。」にジーンときました。)
・みんな勇気を
・夫子ノ道ハ忠恕ノミ

そして善を行うに勇なれという章に書かれている


・塾長訓示(これが昭和15年のものというところにも感銘を受けます)

かねて「塾の徽章」の題下に訓示せるところの要を摘り、塾生諸君の居常おこたる(原文は旧字)べからざる心得数条を定む。心して守り、苟も塾の徽章に愧づる(はづる)ことなきを期せらるべし。   塾長

一、心志を剛強にし容儀を端正にせよ
一、師友に対して礼あれ
一、教室の神聖と校庭の清浄を護れ
一、途(みち)に老幼婦女にゆずれ(原文は旧字)

そして最後は「スポーツと教育」より

最後の勝利は、最後までくじけない闘者に帰する、とは理論としては誰れも承知しているが、さて人生の実践上においては、人はしばしば早く絶望して、未敗に敗れ去るのである。その誤りを戒めるものは、ただスポーツの体験のみだ、といったら、それは勿論いいすぎだが、スポーツの体験が痛切にそれを教えることは間違いない事実である。

本当にまとまりのない文章になってしまいましたが、社会人として過ごしている自分にとっても、またスポーツに打ち込む方々にとっても示唆に富んだ素晴らしい本だと思います。ご興味があれば是非ご一読されてみてはいかがでしょうか?

平成23年の初日の出

あけましておめでとうございます

今年も元旦は大変穏やかなお天気で、絶好の初日の出撮影日和sun。昨年と同じように多摩川流域のガス橋から撮影してみました。

いよいよおひさまが出てくる瞬間。川の水面が幻想的です。

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そしてついにおひさまが顔を出しました。

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その頃ちょうど、飛行機雲がいい具合に流れいい具合の写真になりましたhappy01

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川から見た富士山もまたきれいでした。

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ちょうど写真を撮っているとき、隣の高校生くらいの子たち(10人くらい)がわいわいやっていました。そしてそのうちの一人の子が「いい写真撮れましたか?」と聞いてきたところからお話が弾み、その子たちは携帯しか持っていなかったので逆光での写真がうまく撮れず、自分が撮ってあげることに。そうしたら皆さん喜んでくれて、でも写真の渡し方がなくデジカメのモニターを携帯で撮るといういじらしい努力を皆さんでしているので、さすがにそれもかわいそうだなあということで近くのコンビニに行ってプリントしてあげることに。今は本当に便利な世の中です。皆さんも大変喜んでくれて、新年から気分が良かったなあ。


では、今年も何卒よろしくお願いいたします。

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