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今の中国と大正・昭和初期の日本

ようやくマスコミも政治家も騒ぎ出した、今回の尖閣諸島のお話し。

最近の中国のあり方を見ていると、別段不思議でもなんでも無い対応です。

自分の面子を立てるように要求しますが、相手の面子を立てようとはしないのは、日本に限らず他の国に対してもそういった例は山とある状況です。

この姿に、自分は前にも書きましたが大正・昭和初期の日本を重ね合わせてしまうのです。

開国を無理矢理求められ西欧諸国の圧力を感じ、倒幕という激しい国内での争いの中から、幕末の志士が明治維新を成し遂げたのは1868年。

列強各国の干渉と侵略、国民党との激しい国内戦争を勝ち抜いて、中国共産党が中国を掌握したのは1949年。

共にこの世代の人たちは、自分たちが塗炭の苦しみを味わい、自分たちの国の非力さを思い知りながら建国したようなところがあるので、芯は強いものの、相手に対して居丈高に迫ることはありませんでした。

文明開化を成し遂げ、日清日露戦争を勝ち抜き、アジア唯一の近代国家として認められるようになったのは、36年後の1904年以降。

文化大革命という大いなる回り道をしたものの、改革開放によりWTO加盟も果たし、一躍世界の経済大国軍事大国となったのは、52年後の2001年以降。

その後、幕末・明治初期の苦労を知らず、ひたすら日本は金甌無欠の国だとして国民が対外的に強気一辺倒になっていく対華21箇条の要求を出したのは日露戦争の11年後の、1915年。

革命期の塗炭の苦しみを知らず、中国の力を信奉し、歴史的に虐げられてきたという知識を元に憤りを前面に出し、周辺諸国へ強気一辺倒となっていることを改めて表面に出した尖閣諸島沖の事件を起こしたのが、WTO加盟9年後の2010年。

つまり、苦労をしてきた創業者と、苦労を知らない3代目の違いというのは、どの時代においても出てくるものだということが言えるんだなあと思っています。

これこそ「歴史を鑑として」ということなんでしょう。

となると、日本のその後の戦前の歴史を振り返った時に、少なくとも民衆は、益々強気一辺倒になってくることは容易に想像出来ます。つまり「中国の主張することに同意しないのであれば、とことん対決する」ということ。

戦前も満州事変の際に松岡洋右が国際連盟を脱退した時、国内は拍手喝采しました。

であれば少なくともここ十数年後くらいまでは、中国国民は国際協調よりは自国の国益優先に走ることはやむを得ないと思うのです。

であれば、日本はただひたすら彼らの温情と良識に期待するのではなく、パワーオブバランスの観点から、相手が暴発しないように手立てを講じるしかないと思うのです。言ってみれば、冷戦期における対ソ連政策と軌を一にするものだと思います。

そのためにもチャイナリスクを分散させることを冷静に考えるべきでしょう。

1)過度な中国への生産の集中を避ける

2)過度な中国への原料の輸入依存を避ける

3)過度な中国市場への依存を避ける

4)日米韓台豪印の連携を保ち、中国の海軍力・空軍力(陸軍は直接対外進出はしづらいでしょうから)との戦力の均衡をはかる。

5)今回の中国がしたように、また日露戦争後にアメリカがオレンジプランを作成したように、対中対抗戦略というものを構築しておく。

6)国民レベルでの友好関係を保つ。

7)中国共産党とのパイプを保つ。

というところでしょうか。

天安門事件以降、西欧諸国が一斉に中国との関わりを一時ストップした際に、日本は中国を孤立させてはいけないとし、積極的に関わろうとしました。
しかし皮肉にも、天安門事件以降中国は、中国共産党の正統性を再徹底するために愛国教育を始め、そのターゲットとして日本が敵役として繰り返し登場し、今では一番日本に対して強硬な主張をするのは日本の侵略の経験が全く無い20代-30代のネット世代という状況になりました。

やはり「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」というのは、なかなか難しいものです。少なくとも為政者の皆様には、是非リアリズムの元、諸問題に対処していただければと思うのです。特にお互い苦労を知らない3代目同士の関係では。

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コメント

見事な歴史分析。

民主党のインテリジェンスに基づくリアリズムの欠如。
民主党政権の性格を見透かした中国に見事な戦術。

塩野七生や櫻井よしこの
強い女性の冷徹な分析に比較して、
何んとも甘いオプティミズム。

沖縄問題からダム停止などに、
「こうあってほしい」という願望が見通しもなく
語られる甘い政権・・・・

決して、今回の問題に限りません。

同級生とは思えないくらいの見事な分析ですね。
説得力ありますね!

こちらは対中当事者で全く迷惑してます

今日、弟の長男の結婚式で最後の父の挨拶で
何んと弟が小泉信三元塾長の著作を引用したのです。

慶應義塾の塾員であることを日頃意識させない弟ですが、
戦時中の小泉信三のリベラリストとしての生き方、
それが息子のどのような影響を与えたかを
感動的に語って、息子の今後の生き方を照らしました。

なかなか感動的だった、と帰りがけに弟に言うと、
「兄貴の蔵書から借りた逸話」と言ってくれました。

小泉に代表される、
塾に引き継がれるコモンセンスを大切にしたいと
思います。

文武両道さん

コメントありがとうございます。

昭和20年の時の対ソ観もまさに「こうあってほしい」論だったようですね。嫌な情報、違う意見こそ積極的に集め、複合的に判断することがいろいろな場面で求められているのだと思います。

弟様のご子息の結婚式でのお話し、なんだかホロリときました。「海軍主計大尉小泉信吉」とか「小泉信三伝」をまた読みたくなりました。

げんきさん

コメントありがとうございます。

そうでしたね~、全くど真ん中ですよね。

今日共同開発の一里塚が築かれたようですけど、こちらもまた関係ありそうですね。あれ?民主党が?という話しはさておき、今の世界の大勢と日本の財政状況からすれば寧ろ遅すぎたくらいなんでしょうね。

週刊誌が一転、検察審査会の闇を追及し始めました。
小沢批判の急先鋒だったのに・・・

世論は週刊誌のキャンペーンにまたも乗るのでしょうか?

どちらが正しいか、よりも
ひとりひとりの判断がそれに左右されるのが困ります。

カントは自分で判断することの重要性を説いていますが、
そして独裁権力から解放されたあとの判断力形成のほうがむつかしいと言っていますが、中国のように独裁体制を批判する言論の自由はもちろん大切ですが、日本の情報操作まがいの週刊誌のキャンペーンには要注意!

(私塾での次回テーマ カント『啓蒙とは何か?』
カントによれば、啓蒙とは「人間が自分自身に責任を持ち、未成年の状態から抜け出ることである。」
そして、他人に依存することなく自身の悟性を使用する決断と勇気を身につけ、最後に「知ることを敢えてせよ!自己自身の悟性を使用する勇気を持て!」という標語に帰結されるとしている。)

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