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2010年8月

坂の上の雲旅行3日目 -萬翠荘と道後温泉

松山旅行3日目は、もともとの予定では坂の上の雲ミュージアムで読み足りなかった色々な資料を読むはずでした。

ところが入り口にこんな看板があり、

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館内に入ったらボランティアガイドさんが萬翠荘をご案内いただけるという表示があったので声を掛けると、じゃあ早速という話しになり、まずは館内も案内しますよとのこと。

そこで聞いたお話は興味深いものでした。

松山藩は藩主が元は松平姓を名乗っていましたが、その関係からか幕末期、幕政では存在感を増していました。 13代藩主松平勝成の時、黒船がやってきて、松山藩は自費で神奈川に大砲を作ります。その功もあり出世し、第一次長州征伐では一番手の出兵を命じられ一応勝利します。そして第二次長州征伐では足並みの乱れもあり、実質は松山藩単独で攻めることに。 その後家督を譲り、第14代藩主の松平定昭は史上最年少で老中に就任となりますが、ここで戊辰戦争が勃発。 幾度も攻められた長州は松山藩を目の敵にしており、攻め込もうとします。 ところが松平家は土佐の山内家と姻戚関係にあり、その他もつながりがあったことから土佐が先手を打って松山藩を「土州預」とし、長州藩を入れなかったとのこと。但し松平姓は廃止し、久松姓としたとのことです。

展示では、幕末の動乱で土佐藩が進駐したとしか描いていなかったので、土佐は占領軍に見えましたが、見方を変えると恩人でもあったのですね。そりゃあ、秋山真之が上京する時に「伊予松山藩の名を高らしめよ」とも言われますね。

また、「新聞『日本』と子規」の展示室では、飾ってある新聞『日本』を手渡ししてくれて読ませてくれました。後で係員さんに怒られていましたがcoldsweats01

そこの記事には


中国という国はだらしがない。古来から歴史を振り返ってみてみれば、いろいろな異民族に侵略されているが、未だに「中華」と称して、体面ばかり高く取り繕っている。こういったことに対して庸懲しなければいけない。でも我が新聞社としては、中国をほしいままにしようとすることは反対だ。

みたいなことが一面にどーんと書いてありました。

また、イギリスのタイムス紙が掲載した物で、日露戦争開戦時に


「以前日本は三国干渉に応じて、寛大な姿勢を示したが、その結果ロシアの南下を招いた。今日本は国力も蓄え、以前のような善意による失敗がないようにするはずだ」

なんていう記事もありました。

まだ読み終わっていないので書評は書いていませんが、「日露戦争と新聞」を読んでも、当時の感覚というのは今の世の中と違う部分も多々あります。ここを理解しないで歴史を論じても、本質は衝けないんだろうなあと改めて思いました。


さて、殆ど資料を読むことも出来ないまま、萬翠荘へ。

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これは旧藩主の松平定昭の跡継ぎの久松定謨が建てたフランスルネサンス調の建物で、別邸として建てられました。西洋建築では左右対称で作る場合が多いですが、日本では左右非対称が多く、この建物も左右非対称になっています。夏休み前の仕事で紹介した家の建築家もそういえばそんなことをお話ししていました。フランス風にしていたのは、彼のフランス留学期間が長かったから。坂の上の雲をお読みになっている方なら気付くかも知れませんが、秋山好古が付き従った方がこの久松定謨さんだったのです。

まあ、ここまでは一般的に書いてあったのですが、ここから先はこのボランティアガイドさんのお話が冴えます。

この建物が出来てすぐに、当時摂政宮だった昭和天皇がこちらにいらっしゃいます。公式HPにも「裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問に合わせ、完成を急がせたとも伝えられております。」と書かれています。というより、それが目的でこの建物を建てたのだと。なぜか?当時摂政宮は「宮中某重大事件」というものに巻き込まれ、ご自身のご結婚問題がありました。実は久松定謨さんの奥様は昭和天皇のお后のお母様の姉妹。11月22日に裕仁親王がいらっしゃった後、23日は新嘗祭(今でも勤労感謝の日となっていますね)の名目で、1日スケジュールが空いていたそうです。ちょうど微妙な時期に、微妙な関係の所でのご訪問。定かかどうかはわかりませんが、ロマンチックなお話しを・・・。

なんてことを資料を交えながらご説明下さいました。なるほど。また秋山好古が陸軍大将になったのに久松定謨は陸軍中将止まりだったというのも長州から疎んじられていた・・・、なんて話しを聞くと大正という時期はまだまだ幕末の匂いを色濃く残していたんだなあと思います。

そんな話しをお聞きしていたこともあり、予定が大分ずれて、結局坂の上の雲ミュージアムで資料は全く読めませんでした。またいつか行かねば。

そして夜は日本最古の温泉とも言われる、道後温泉本館に。聖徳太子も朝鮮の人と一緒に温泉に入りに来たそうです。

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建物もご覧の通り古く、冷房はありません。神の湯、霊の湯とあり、入館料によって差があります。今回は2階の霊の湯に入ることに。こちらだと貸しタオル、浴衣、お茶、せんべいが付きます。さて入ろうとしたら、館の人に「昭和天皇も入られた「又新殿」をご案内しますということで、こちらのご説明を聞くことに。松山は昭和天皇のゆかりの土地でもあったのですね。

そして霊の湯に戻り、熱いお湯につかったあと2階のこじんまりとした広間に。

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湯上がりだけに冷房無しはちょっと暑かったですが、じきに慣れてきて、扇風機の風が心地良く感じるようになりました。

ここで出てきたお茶です。ちょっとぬるめで美味しかったです。

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まあ、こんな感じに過ごした3日目でした。

坂の上の雲旅行2日目その2 -松山城

松山城について公式HPではこう書かれています。

松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築いた四国最大のお城です。

門櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優れた日本一の連立式天守を構えた平山城を言われております。

松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです。平成18年に「日本100名城」、平成19年には道後温泉とともに「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されました。

また、日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていない、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸にかけてあり、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、「日本さくら名所100選(平成元年)」や「日本の歴史公園 100選(平成18年)」の指定も受けています。

HPにも書いてあるとおり山の上にあるため、松山城に行くにはまずふもとからロープウェーに乗ります。

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そして山の中腹あたりの長者ケ平に到着。本丸を上っていく道となります。

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まさに坂の上の雲って感じな風景です。

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松山城の配置はこのような感じ。とにかく説明文にもあるように、松山城は江戸時代より現存している状態ということもあってか実戦向きな造りでした。

険しい山の地形を生かし、敵の軍勢が攻め込んできたときに、道の幅がどんどん狭まり直線で攻め上がれないように折り返しを何度も重ね、その折り返し地点を袋小路とさせ、四方から一斉斉射出来るように塀、壁の至る所に穴が空いているような状況です。

写真でご紹介すると、攻め上がっていこうとすると

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そびえ立つ門があり、ここを打ち破るだけでも大変でしょうが、ようやく門を打ち破り中に入ると

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まっすぐな道ではなく折り返しがあり、そこを目がけて多くの穴がそこに向いており、勢い込んで入ってくると鉄砲・矢の一斉斉射を受けるような形。

山の上に位置しているので、守備側は全貌が見えるような位置。

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ようやく太鼓門を通り抜けるとしばらく平坦な道が続きます。ここに守備軍の大軍勢やら大砲やらを配置し、力で押すことも出来そうです。

そしてその道を越えると更に攻め上がるのが困難なように細かく入り組んだ配置になっています。

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これだけくねくねしたところを攻め上がっていく軍勢を、穴から狙う守備側。こんな感じで見えます。

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全ての穴が袋小路となる場所を向いていました!

そのまま更に上っていくと、またもや袋小路。

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道もどんどん急になってきます。

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内側はこんな感じになっています。守備兵がずらっと並ぶんでしょうね。

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こんな風に天守閣に行くまでこのような仕組みが執拗に続くのです。

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そしてようやく天守閣に入ることが出来ました。

中はいろいろな仕口が使われている木造のつくり。

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武具も展示されています。

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まあ、これだけ複雑な普請ですから大工さんを始め、職人さんたちも本当に大変だったのでしょうね。板の裏に描かれていた落書きも展示されていました。監督するお侍さんを描いたのかもしれませんね。

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天守閣も決して飾りではありません。高所から攻め上がる敵を攻撃できる穴そこらかしこにあいており、各要所を狙っています。

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また、こんな垂れ幕が??

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何かと思ったら、

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甲冑の試着が出来る場所だったんですね。ちょっとやってみたかったりもしたのですが・・・。


さて、そんなところを過ぎ、いよいよ最上階に。ここからは松山が山から海から一望出来ます。

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これもただ眺望を楽しむのではなく、戦時には敵の軍勢の動きの全体像を見るために、平時には領地の状況を見るためのものだったのでしょう。ここは大きな広間となっており、軍議とかも出来そうな場所です。

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ちなみに奥に写っている学生さんたちは体格も良いのでどんな子たちなのかなあと思い、引率らしき人に

「どちらかの高校の野球部の方ですか?」

と聞いたら、

「中学の野球日本代表選手たちですよ。今日まで坊ちゃんスタジアムで台湾代表と試合をしていました。」

なんて言うので、

「自分もこれから坊ちゃんスタジアムに六大学のオールスター戦を見に行くんです。あの子たちが来年以降甲子園をわかしてくれる選手になるんですね~」

なんて話をしていました。そのまま話は続き、「もともとオールスターはここの市長さんが呼んできた、彼はやり手なんです。」 「確かここの市長は慶應出身ですよね。」 「そうなんですよ、彼のお父さんが2代前の市長で、彼自身は幼稚舎から慶應なんだけど、お父さんがその後代議士になって、引退の時に戻ってきたんです。」なんて話をしていたら、横から野球のコーチの方が「そうなんですか!こう言ってはなんですが表敬訪問したとき、地方都市の市長さんとしてはとってもスマートな感じだなあと思っていたんです。」と合いの手。「そりゃあ、慶應ボーイからね」と引率の人が合わせます。そういえばこの城の一部が戦災で失われた箇所を再建しているときのビデオが上映されていましたが、昭和40年代の頃の話で、そのときの市長が「久松」さん。つまりここのお殿様の子孫。やっぱり繋がっていくものもあるんですね。中学代表選手たちはとっても礼儀正しくて、良い子たちだなあと思っていました。

そして天守閣を後にし、後ろを振り返ると鮮やかな景色。

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その後は坊ちゃん列車を見て、

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坊ちゃんスタジアムに行きました。しかし球場の周りは大渋滞。自動車のナンバーを見ると四国全県のプレートがすぐ見つかったりするほどで、四国の方々がこの試合を楽しみにしていたんですね~。おかげで時間設定がギリギリだったこともありちょっと試合開始から遅れてしまいましたが・・・。

それにしても坊ちゃんスタジアムは本当にいい球場ですね。きれいだし、まわりの風景にもとけ込んでいるし、天然芝は目に優しいし。

帰りに球場を撮ったものです。お月様と重なり合ってなんとも幻想的な雰囲気でした。昼間は大変暑かったのですが、夜間はさわやかな風がそよぎ、虫の声も聞こえてきて、気づかなったですが秋ももうすぐ近くに来ているんですね~。

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では、また。

坂の上の雲旅行2日目その1

松山旅行2日目は、今回の旅行の主目的のための1日のようなものでした。

こちら松山は、今日もまさに紺碧の空です。

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そんな中、JR松山駅で市電に乗るところから今日の旅程は始まります。

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車内のレトロな感じは何とも言えない味を出してくれています。この運転席、操作盤の懐かしさ漂う作りがいいですね。計器類が殆ど無いのがすごいなあと。

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と思ったらこの車体はなんと昭和26年製!大事に使えば電車ってこんなに保てるものなんですね。何回も改造された跡があり、例えばクーラーもしっかり付いているので、ちょっとガタガタするところはありましたが、快適な車内でした。

そうこうしているうちに「大通り」駅に到着し、下車しました。そして一路、最初の目的地である坂の上の雲ミュージアムへ。

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こちらの建物は日本を今や代表する建築家である安藤忠雄さんが設計したことでも知られています。彼の作風はなんといってもコンクリートの打ちっ放し。内部には木製の型枠のアクと思われる物がコンクリートに滲んだりしていて、それがまた味を出していました。

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館内は小説の「坂の上の雲」を踏まえながら明治の日本を紹介するといった感が強かったのですが、展示されていた物の中にはこんなものも含まれていました。秋山好古が師範学校に通い、また晩年は中学校の校長先生を務められたことからでしょうか。

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このように師範学校では、まず教え方から教えていたんですね。国の大本は教育にあり。明治政府はその教育というものをいかに大切に考えていたかが窺われます。先生の権利より、子供の自由より、まずどのように教えるべきかを考えていたのでしょう。

館内の展示で一番興味を引いたのは企画展の「日露戦争と明治のジャーナリズム1 新聞『日本』と子規」でした。

正岡子規も勤めた新聞『日本』の発行者陸羯南は新聞を「機関新聞」(公共機関や政党などの機関紙)、「営業新聞」(部数を売って儲けで運営する新聞)に分け、機関新聞は機関の主張をそのまま載せるだけであり、営業新聞は流行に追従するだけである、として両者とは違った己の主張をのべる「独立新聞」の必要性を強調しました。まさに今の世の中にも通用する意見です。

また、その展示室で展示されていた日露戦争時の各国の新聞のコピーとその翻訳版も大変興味深かったです。アメリカの好意的な態度(中国への新たな利権獲得を目指していた)、ドイツ・フランスの親露的な態度(ドイツ皇帝はロシア皇帝と姻戚関係、フランスはロシアと同盟国)、イギリスの論調(日英同盟)など、時間の関係上余り読めませんでしたが、当時の情勢が少し脳裏に浮かんでくるかのようでした。この流れを把握していれば、日露戦争後にアメリカが申し出てきた「満州共同開発」に対する日本の応対ももう少し考えようがあったようにも思えます。

他にもいろいろと坂の上の雲にちなんだ展示物があり、時間を忘れてしまいそうな、大変興味深い博物館でした。

次に、そこから徒歩4-5分かけて松山城のふもとのロープウェー乗り場に行き、そして松山城を見学するのですが、時間が凄いことになっているので、それはまた次回の時に。

では、おやすみなさいsleepy

東京六大学野球オールスター戦 @坊ちゃんスタジアム(松山)

試合開始は18時からです。

ではどうぞお楽しみ下さい。

政局至上主義の党体制

最近のニュースは連日民主党の代表選の話を報道しています。

しかし今回の代表選ほど何が何だかよくわからないものは、自分にとってはありません。

普天間移設問題で迷走に迷走を重ねた挙げ句、支持率の急低下に危機感を抱き、総理大臣を辞任した鳩山さん。そしてその1年ほど前、自身の金の問題で同じく政権交代を果たせるかもしれない選挙を無駄にしかねないという理由で代表を辞任した小沢さん。更に鳩山さん辞任の時に道連れで幹事長も辞任となった小沢さん。

それが、急遽変わった菅さんで選挙に負けたからと言って、また人事面での処遇が不満だと言ってという理由だと報道では推測されていますが、2ヶ月後にはもう代表選に立候補。

結局選挙に勝つか負けるかしか視点が無いように見えてなりません。

自分は鳩山さんにこう言いたいです。

首相を辞任される直前にアメリカと「8月までに辺野古沖での工法を決定する」と最高責任者として約束したわけです。首相を辞任された後、沖縄に何回行かれましたか?8月末はもうすぐですよ。中国の青華大学で名誉博士号を取って悦に入っていたり、次の衆議院選挙で政界引退すると言っていたのに、今は代表選のキャスティングボートを握っているかのような振る舞いをしている暇があったら、8月末までに工法を決めようと死にものぐるいで努力した方が良かったのではないですか?

ただの印象論ですが、90年代以降アメリカとの関係が良好なときは不思議と円安基調で、ちょっとぎくしゃくしている時は円高基調のような気がするんですよね。お隣の韓国も盧武鉉前大統領の時はウォン高で、李明博大統領の今はウォン安ですからね。「誠」という字は、「言葉が成る」と書きます。自分の言ったことは実現させなければ、特に外交では大きなダメージ、すなわち信用の破壊を招くと思うのです。そんなときに代表選とは・・・。

また少々論点を変えますが、今、日銀が自らのバランスシートを肥大させたくないから通貨量を増やさないのでは?と盛んに批判されています。

で、今の日銀の総裁は白川さんですが、本来は副総裁として推薦された方であり、どちらかというと研究畑にいらっしゃったような印象があります。でなぜ白川さんが総裁になったかというと、民主党がねじれ国会の野党時代に当時の山岡国対委員長が先頭に立って人事での不同意攻勢をかけ、総裁候補だった武藤さん(噂によると小沢さんは武藤さんで最初OKだったらしいですが)を結局はねたからです。事務次官として組織を動かしていた武藤さんと学問を追究していた白川さん、それが今になって影響しているようにも感じます。平時とはとても言えない今の状況、大事なのは「決断」と「断固たる意志」だと思うのです。

待ったなしと言われている今の日本経済を取り巻く経済環境。これをさんざん放置しておいて、どうやったら「国民の生活が一番大事」と言えるのでしょうか。

民主党の方々が政局至上主義から脱却し、為政者としての責任感を持っていただきたいと祈って止みません。

坂の上の雲旅行1日目

なんとか休暇を取得し、人生初の四国に来ていますhappy01

今回の旅行の目的は

1.六大学野球オールスター戦の観戦

2.坂の上の雲関連の施設探訪

3.松山城見学

です。さてさてどうなるやら。

まずは何も考えずに早めに行った方がいいかなと思い、朝一番の便を取ってしまったので、殆ど寝ることも出来ず飛行機に搭乗することに。

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まあ、おかげさまで朝9時にはもう松山に着いていました。

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もっとも目的は決まっていたものの、旅程は全く決めていなかったこの旅行。松山空港の中でぱらぱらとガイドブックをめくって、そういえば海鮮物好きの管理人としては瀬戸内海の幸を食べないわけにはいかん!と急に思い立ち、松山空港から直接車でしまなみ海道のよしうみいきいき館を目指すことに。

外は相変わらずというか、より南に来ただけにもっと日差しが強いようにも感じるほどの暑さ。青空が抜けるようにきれいです。

途中で道の駅が見つかり、取りあえず寄ってみることに。「風早の郷 風和里」というところです。

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こんな抜けるような青さの空がとても気持ち良いところです。また海沿いなので後ろを振り返るとこんな感じで。

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結局ここでは景色をたっぷりと楽しみ、お仕事の電話をちょっとして後にすることに。

そのまま車は順調に進み今治に到達し、そこから西瀬戸自動車道に乗って来島海峡大橋を渡り目的地の「よしうみいきいき館」のある大島へ。

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そしていよいよ大島上陸です。

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目指す場所は高速を降りてすぐの場所なので、難なく到着!やっぱり自然がきれいな感じのところです。

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そして早速お目当ての「地元で水揚げされたばかりの新鮮な魚介類を豪快に焼く七輪バーベキュー」をすることに。まずは、店内の生け簀や籠から好きな具材を選びます。

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そして店内で会計し、机に持って行き七輪で焼いて食べるわけです。

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とれたての具材(多分です)なので、本当にとっても美味しかった!調味料もいろいろありましたが、こういうのには単純明快に醤油をたらすのが一番美味しいものですね。

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そうやってお腹も大満足したところで海を見てしばらくたそがれ、

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そして松山市内の宿泊予定のホテルに向かうことに。

途中の道でタコが空中に吊されていたりしていましたが、

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そんなことは気にせず(←記事にしている段階で十分きにしていますね)、渡ってきた橋に再度乗り、

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そのまま松山市内へ。松山は路面電車が走っていて風情がありますね。でも路面電車どころかSLもそういえば走っているんですよね。ちょっと乗ってみたいなあ。

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そして鶏屋さんを見つけ、そこで「足」(鶏のもも焼きみたいなもの)と「ざんぎ」(唐揚げのようなもの)を買って宿泊先の部屋で食べることにしました。特に足は程よい味付けと、肉がジューシーな感じで大変美味しかったです。

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今日は昼も夜も美味しいものが食べられて本当に良かったです。これぞ旅行の醍醐味ですよね。

・・・あれ?、この旅行の趣旨は「食いしん坊万歳!」でしたっけ?

明日は坊ちゃんスタジアムに行ってきます。この前の時のように割とリアルタイムで写真をアップ(スライドショー形式)出来ると思いますので、ご興味あればご覧くださいませ。

血染めのパソコン打ち(笑)

明日からの楽しい旅行に備えて、片付けられる仕事は片付けるぞimpactと、パソコン打ちにいそしんでいます。

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って、記事を投稿している段階でなんだかなあなんですけどcoldsweats01

ちょっとした痺れ感がクセにな・・・、るわけは無いんですけどね。

さて、あと少し頑張らねば!

血染めのピアノレッスン(笑)

なかなか記事まで更新出来ていなくて申し訳ございません。

最近は外に出ると大量の汗をかき、それだけで疲れるお年頃になったようです。そんなわけで、家にたどり着くといわゆる「バタンキュー」でした。

そんな風に過ごしていましたが、今日は水曜日と言うことで週に1回のピアノのレッスンの日。車をいつも通りに近くの駐車場に入れて、車を出ようとした時、重力でドアが「バタンキュー」してきて、左手の小指を思いっきり挟んでしまう結果に・・・。

しばらく止血のため思い切り患部を圧迫していましたが、そうも言っていられず、近くのドラッグストアでバンドエイドの「キズパワーパッド」というのを買って、ピアノ教室へ。

最初はどうなることかと思いましたが、ちょっとピリピリする感覚はあったものの、ちょっと血が出たせいかナチュラルハイにもなり、ちゃんとレッスンを受けることが出来ました。

その指がこんな感じです。

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弾いていると指から血が出てくるのがわかり、さながら「血染めのピアノレッスン」って感じで、この表現何だか恰好良いなあと、弾いている間一人悦に入っていました。

さて、ここに付けている「キズパワーパッド」。最近話題の商品らしいです。

というのも、以前は傷口から出血すると、マキロン等で消毒して、軟膏塗って、絆創膏を貼ってといった対処だったと思いますが、今はそのやり方は否定されているらしいのです。

なんでも消毒薬を付けると、自然治癒しようとする細胞までを痛めてしまい、逆に治癒を遅くさせるということで今は湿潤療法を取るとのこと。

このキズパワーパッドは、傷口からにじみ出てくる体液(滲出液)をキズパワーパッドが吸収・保持しその部分がゲル状になるので、外から見ると白くふくらんで見えます。

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これがちょうどこの記事を書いている最中に撮った写真ですが、まさに白くふくらんでいます。

キズが治るにしたがい、体液(滲出液)の分泌が少なくなります。そのため張り替えるたびに、そのふくらみかたが小さくなります。体液(滲出液)は、細胞の成長や再生を促す因子=「キズを治す成分」を含み、キズの治癒に重要な役割を果たしています。キズパワーパッドは、その体液(滲出液)を吸収・保持して、「キズを治す成分」の活動に適した環境を整えることでキズを早く治します。

なるほど、人間の持っている治癒能力を使おうとしているものなんですね。

早く治ってくれればいいのですが・・・coldsweats01

割りとリアルタイム写真

地区予選が気になり、日吉台に向かうことに。

ブラウザで再読み込みしていただければ、割りとリアルタイムで写真を見ることが出来るはずです。

あと20分くらいで到着するとおもうのですがcoldsweats01

一番手こずった「夏休みの宿題」といえば?


ブログネタ: 一番手こずった「夏休みの宿題」といえば?参加数拍手

お盆休みも終わり仕事に復帰しましたが、やはり暑いですね~。

そんなわけで返信もろくすっぽ出来ていなくて大変申し訳ございませんが、取り敢えずのコネタマでも。

今回のお題は「一番手こずった「夏休みの宿題」といえば?」とのこと。

自分の場合、昔から手こずるのが「読書感想文」です。

本を読むのは好きなのですが、いざ感想を書け!と言われてもなあ・・・と言ったところです。それを元に随筆でも書けというのであればそれもいいのですが、いわゆる感想文はどうも引用が長くなったり、結局何を言いたいかよくわからない文章になったりしていました。

きっと、拙ブログを読んで頂けば、「ああ、なるほどな」と思って頂けるのではないでしょうか。

そういえば最近は夏休みの宿題で、仕事の現場を体験してみるというのもあるようですね。うちの会社にも23そんな話しが舞い込んできました。でもこの時期に、そういったことを体験してみるというのもきっといい社会経験になるのでしょうね。昔だったら、自然と家の仕事を手伝っていたのでしょうが、今は全く隔離された状態ですからね。

そっかあ、夏休みもあと2週間足らずですね。また、うちのマンションの朝のエレベーターが混みそうですcoldsweats01

「動物農場」におけるある典型

夏休み読書三昧で次にご紹介するのはジョージ・オーウェル作の「動物農場」です。

こちらの物語は通常、著者がスペイン内乱に義勇兵として参戦した際に見たスターリン支配下でのソ連の共産主義的体制の欺瞞を、動物の寓話に託して描いた作品とされています。

wikiに掲載されているあらすじではこう紹介されています。

人間の農場主が動物たちの利益を搾取していることに気づいた「荘園牧場」の動物たちが、偶発的に起こった革命で人間を追い出し、「豚」の指導の下で「動物主義」に基づく「動物農場」をつくりあげる。動物たちの仲間社会で安定を得た彼らであったが、不和や争いが絶えず、最後は理解できない混乱と恐怖に陥っていく。結果的に支配者が入れ替わっただけで、人間が支配していた時以上に抑圧的で過酷な農場となる。

確かに随所に、ああこれは誰だと容易に想像出来るエピソードがありました。

しかし、これはソ連の共産主義だけのことであろうかと思ったのもまた事実です。

これは政治的なものに対する無関心、無知な有権者と、秘密主義的傾向を持った権力者がいるところでは、多かれ少なかれ起こっていることではないかと。

実際、開高健氏はこれをナチスドイツに当てはめて論じたそうです。

自分はちょっと前の民主党の騒動、すなわち小沢幹事長(当時)のことを生方副幹事長が雑誌上でそれとなく批判したら、高嶋筆頭副幹事長がとがめ立て、解任騒動に発展した時も、大変それを想起させてくれるようなエピソードがこの物語の中にありました。

別にこの物語が訴えかけているのは、古いスターリン時代だけではないと思うのです。

このような事態を避けるためには、意味もわからず「四本脚はよい、二本脚わるい!」とシュプレヒコールをしたり、物事を深く考えず「わしがもっと働けばいいのだ」、「○○はいつも正しい」と判断することを放棄するのではなく、国民一人一人が自立して考え、しっかりとした判断を下すように努力していくことしかないと思います。

つまり、「一身独立して、一国独立となる」わけです。

ということで、この本で訴えかけている内容と福澤先生の「文明論之概略」、「学問のすすめ」は大いに繋がっているのだと気付きました。

これは自分にとっても新鮮な発見でした。

また違う言い方をすれば、確かな情報処理、情報判断を出来るように、常日頃から鍛錬することこそが大事なのでしょう。そう考えると、昨日の本にも通じるところがありますね。

たかだか144ページの短編なので、時間があれば読んでみるのもいかがでしょうか?

8月15日に「日本のいちばん長い日」を読む

昨日たくさん挙げた書籍の数々。

読まないことには話にならないと思い、まず手に取ったのが

です。

この本は、昭和20年8月15日正午に至る24時間をスリリングに、そして克明に再現したノンフィクション(帯を参考にさせて頂きました)です。

これを読んで、そう言えば今まで大して疑問にも思っていなかったことに気付きました。

その疑問とは、あれだけ戦闘意欲旺盛で、下克上の空気にも満ち溢れ(実際、君側の奸を取り除き、国体の本義に則った行動を取ることこそが究極の忠義であると思って行動した青年将校もこの中で登場します)ていた中、8月15日を境になぜスイッチを切ったが如く、停戦-武装解除となったのかと。

その状況は当然に、自然と出来たわけではなく、各人物の命がけの行動から生まれたものだと、この本を読んで今更ながら感じました。

鈴木貫太郎首相の慎重さと大胆さ。そして昭和天皇陛下に対する揺るぎない忠誠と信頼。

阿南惟幾(この名前はATOKでも変換されませんでした)陸軍大臣の大いなる人格と無私な態度。大局観を見る目と潔い軍人魂。

森近衛師団長の揺るぎない態度と忠誠心。

田中東部軍管区司令官(この方も武装解除の道筋を付けた後自刃したとは知りませんでした)の事態収拾へ向けた強い意志と行動力。

米内光政海軍大臣の信念。

徳川侍従の剛毅な行動力と機転。

そして昭和天皇の大御心(いろいろ考えたのですが、他の言葉だとどうしても陳腐な表現のような気がして)。

まさに国が滅亡しようとしている時に、よくぞこれだけの人物が中枢部にいてくれたものだと。

昭和初期から太平洋戦争において見られた、神がかったような、ただ威勢がいいだけのような、いわゆるこすっからいような、そんな人物たちでなくて本当に良かったと。

その中でも特に阿南惟幾陸軍大臣の下りには鮮烈な印象を受けました。

全陸軍を代表して語る強硬な言葉の数々。

しかし、いわゆる天皇陛下の御聖断が下った後の言葉は

「陛下はこの阿南に対し、お前の気持はよくわかる。苦しかろうが我慢してくれ、と涙を流して仰せられた。自分としてはもはやこれ以上反対を申しあげることはできない」

「聖断は下ったのである。いまはそれにしたがうばかりである。不服のものは自分の屍を越えてゆけ」

「こんご皇国の苦難はいよいよ加重するであろうが、諸官においては、過早の玉砕は決して任務を解決する途ではないことを銘記し、たとえ泥を食い、野に臥しても、最後まで皇国護持のため奮闘していただきたい」

「軍がなくなっても日本の国は大丈夫だ、亡びるものか。勤勉な国民なのだよ。かならず復興する。こんどは君たちがそのお役に立たなくてはいかんな」

「(これから自刃する阿南陸相にお供しますと言った井田中佐に対して、怒号を浴びせ、強く頬を2つ3つ張った後、穏やかな顔にて)そういうことをいってはいかん。俺ひとり死ねばいいことなのだ。君が死ぬ必要がどこにある?よいか、死んではならんぞ」

そして自刃の遺書には

一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル
昭和二十年八月十四日夜
陸軍大臣 阿南惟幾

神州不滅ヲ確信シツヽ 

とあったそうです。

こういった阿南陸相の存在が、承詔必謹とし、陸軍暴発を食い止めた大きな要因の一つではなかったでしょうか・・・。

あの時代の日本は色々な言葉で語られます。A級戦犯論等に代表される、何という過ちを犯したんだ!といった加害者としての話。戦災に遭ったり、戦場での過酷な体験といういわゆる被害者としての話。でも少なくとも何とか終戦にこぎつけた人たちを称えたり、感謝したりする話しは余り聞きません。でもこの本を読み、戦後の世界を生きる我々がまずは感謝すべきはこの人達なのではと、感じた次第です。始めるのは簡単でも、終わらせることは大変難しいことなのだと、改めて思いました。

そんなことを感じながら、65回目の終戦記念日を過ごしていました。

「これだけは読んでおけ!」と思う本・・・、というか


ブログネタ: 「これだけは読んでおけ!」と思う本は?参加数拍手

今日はずーっと家にいました。こういうのもいいものです。

今まで溜まりに溜まっていた本を整理し、ついでに部屋も整理していたのですが、やっぱりゴミが大量に出ますね。特に今回は内容さえわかれば良い書類はスキャナーでデジタル化して捨てたりしていたので、結構多くなりました。

なのでコネタマのお題である『「これだけは読んでおけ!」と思う本は?』というよりはこれからちゃんと読まねば!という本になりますが、そういった本を挙げてみますと

日露戦争と新聞 「世界の中の日本」をどう論じたか (講談社選書メチエ)

真珠湾攻撃の真実

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

日本シリーズ全データ分析―短期決戦の方程式 (ちくま新書 810)

「大日本帝国」崩壊―東アジアの1945年 (中公新書)

ファシリテーション入門 (日経文庫)

日本の難点 (幻冬舎新書)

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)

あの戦争になぜ負けたのか (文春新書)

ヒトラーとケインズ(祥伝社新書203) (祥伝社新書 203)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

大正デモクラシー―シリーズ日本近現代史〈4〉 (岩波新書)

ベートーヴェンの交響曲 (講談社現代新書)

動物農場 (角川文庫)

“真珠湾”の日 (文春文庫)

検証 国家戦略なき日本 (新潮文庫)

危機管理最前線 (文春文庫)

「坂の上の雲」と日本人 (文春文庫)

ノモンハンの夏 (文春文庫)

陸軍中野学校 終戦秘史 (新潮文庫)

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは (小学館文庫)

法華経を読む (講談社学術文庫)

プロ野球「情念の天敵対決」 (宝島SUGOI文庫)

男の器量 (知的生きかた文庫)

昭和プロ野球を彩った「球場」物語 (宝島SUGOI文庫)

負けに不思議の負けなし〈完全版〉 上 (朝日文庫)

ラッシュライフ (新潮文庫)

続 いい家は無垢の木と漆喰で建てる

ドラッカーさんが教えてくれた経営のウソとホント (日経ビジネス人文庫)

ポケット図解 ドラッカー経営のツボがよーくわかる本


う~ん、改めて挙げてみるとたくさん出てきたものですね・・・coldsweats01

さて残りの休みでどれくらい読めるものやら。

お盆休み前の最後のお仕事

会社のお盆休みは昨日からでしたが、自分はお引渡し前のお施主様と建築家の現場確認があったので、昨日までがお仕事でした。

こちらの家は今年の3月に現場調査の名目で、ついでに塾高の試合を見に行った時にちょこっとご紹介した現場です。あの時は崖のような急斜面でしたが、こんなに素晴らしいデッキのある家となりました。

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その後はお施主様にご招待いただきご実家の居酒屋で楽しいお食事。魚も肉も野菜も大変美味しく、色々な方にもお会い出来て、時の経つのを忘れるほどでした。

そして終電もそろそろ気になりだした頃でお開き。そう言えば東横線がみなとみらい線とつながってから終点まで乗ったことがなく、初めて元町中華街駅を利用しました。

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面白いのが壁面に貼られている無数の文明開化期の横浜の写真。思わず立ち止まって見入ってしまいました。でも、こういうのっていいですね!

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そんなこんなで過ごした休み前の一日でしたhappy01

行くぞ!松山

明日(日付では今日ですね)の仕事が終われば、取り敢えずお盆休みとなりますが、8月末にあるイベントを目的に松山に行こうと思います。

今日、無事チケットも入手。

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そうです、六大学オールスター戦。

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メンバー表を見ると、しっかり本気モードの人選ではないですか!バックネット裏でゆっくり見るか、それとも内野自由席で応援も一緒に楽しむか、ちょっと悩みましたが、内野自由席にすることに。

問題は、応援指導部(応援団)が来てくれるのか?というところですがcoldsweats01


また、松山と言えば、私の大好きな小説の舞台にもなっているので、こんな所も見てこようかと。


坂の上の雲ミュージアム

更に、お城を見るのも結構好きなので、こんなところにも。

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松山城

三田評論の7月号にも、中村松山市長(塾員だったのですね!)が「『坂の上の雲』のまちづくり」と題して、一文を寄せていらっしゃり、その中に

「スペシャルドラマの放映により、松山を訪れる方々へのおもてなしの用意は市民や関係者の皆さんとともに万端整っています」

と書かれていたこともあり、大変楽しみにしていますhappy01

出た、ゴキブリ! あなたはどうする?


ブログネタ: 出た、ゴキブリ! あなたはどうする?参加数拍手

久しぶりのお休みには久しぶりのコネタマと言うことで。

今回のお題は「出た、ゴキブリ! あなたはどうする?」とのこと。

会社の事務所は、前はレストランだったせいか、時々ゴキブリが出ます。今回の1ヶ月くらい前に複数の人に目撃されていました。これはどうにかしなければと思い、まずは見かけた時、直接退治と言うことで新聞紙を丸めて横にすっ飛ばし、気絶している間につまみ、外に放してみました。

しかし、目撃情報はまだ続きます。

では、根本的退治じゃ!ということで、バルサンをたいて会社を出ることに(ちょうど月曜深夜残業の日だったので、誰もいませんでしたcoldsweats01

次の日の朝、会社に出ると、床上でぴくぴくしているゴキブリが1匹ほど。

やはりつまんで、外に放しました。

これで根治かと思いきや、また黒い大きなゴキブリがいたという目撃情報が。なかなかしぶといなあと思いながらも、その日業務をこなしていて、ふと足下を見てみたら・・・。

自分の椅子の脚に踏まれたらしく、敢えなく潰されてしまったゴキブリが・・・。

なので、効果があるかどうかはわかりませんが、最近は複数箇所にゴキブリホイホイを置き、予防に努めている今日この頃ですcoldsweats01

平成22年夏 慶應義塾対東海大相模 8-9回

1-3と劣勢に立たされはしたものの、まだまだワンチャンスで追いつける点差で迎えた8回表。

先頭打者をライトフライに打ち取りましたが、続く打者にライト線際に落ちる2塁打を打たれます。

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この原田君の動きは、前のホームランを打たれた時と同じようなものでした。

ここで踏ん張りたいところですが、次の打者を四球で出してしまいます。そして、12塁となったところで東海大相模がエンドランを仕掛けてきて、これがものの見事に当たり、2点追加し1-5とリードを広げられてしまいます。

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この打球もまたライト方向でした。明らかに意思を感じますね。

そう言えば思い出しました。5年前のことを。

慶應高校 あとひとつで甲子園

11回裏に2死から湯浅が死球で出て、続く山口が決勝のライト線沿いのヒット。エンドランがかかっていたとはいえ、湯浅選手の懸命の走りで本塁クロスプレーの末、サヨナラ勝ち!!応援席は狂喜乱舞といった感じで、みんな言葉にならない声を発していました。

あの時の相手は同じく東海大相模。山口君が打った打球はこの試合と同じようにフラフラとライト方向に上がり、風に流されてそのままサヨナラ勝ちとなりました。もっともこの頃はまさかここまで詳細に試合を見たり写真を撮ることなく、ただ応援をしていたので、それを想起させる写真は無いのですが・・・。

もしかしてポポさんのブログにだったらあるかなと思って見てみました。

東海大相模戦、守り勝ち!!

試合の熱気と野球部に対する愛情、それでいて冷静な筆致は今と同じですが、写真が随分変わったんだなあと今更ながら思いました。この5年間で機器は思った以上に相当進歩したのですね!

これまた妄想ですが、多分門馬監督はこの悔しさもきっと覚えていらしたんでしょうね。それもあったからこそ、横浜スタジアムはライトスタンド方向に見た目以上に強い浜風が吹いていることを理解し、そして選手たちに指示したのでしょう。敵ながら天晴れと思いました。


こうやって1-5とリードを広げられてしまいましたが、8回裏は主砲谷田君から。

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昨年の桐蔭戦の時のどうしようという思いが伝わってくるような雰囲気ではなく、固い決意(determination)を携え打席に向かっていきます。

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そして打ちたい気持ちも強かったでしょうが、後につなごうという強い意志のもと、四球を選びます。

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続く杉山君は叩きつけるようなバッティングで、打球は投手を越してはくれませんでしたが、谷田君は2塁に進みます。

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1死2塁で山本君。ここもセオリー通りに引っ張りセカンドゴロとなる間に谷田君は3塁に進みます。

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2死3塁となり、小関君。ここで球に逆らわずに柔らかく打った打球は見事レフト前に!

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1点返し、2-5となります。ここで指に痛みを抱えた三宮君をついに交代させ、代打が出ます。代打はバッティングもいい投手の佐藤優君。ここでも、左打者に対する期待感があったのかもしれませんね。

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もっともさすがに一二三君も落ち着いたもので、しっかりとセカンドゴロに抑え、反撃も1点止まりとなりました。

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9回は3年生投手の明君に託すことになりました。

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しかしどこか本調子でないところがあったのかもしれません。

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先頭打者にいきなりレフト線2塁打を打たれます。

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そつなくバントで進め1死3塁。続く打者が二度スクイズを失敗し、ここで抑えれば・・・と思った矢先にタイムリーヒット。更に牽制悪送球で、また1死2塁とピンチを招きます。

ここで次の打者に対して、詰まらせたものの、ショートの手前でバウンドし・・・、

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あと少しだけ足が前に出ていたら、あと少しだけグラブの中にボールが入ってくれていたら。

この山本君のボールに対する執着心溢れるプレーにホロリと来ました。

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そして、1死13塁と引き続きピンチの場面で瀧本君が登場です。

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2年前の秋もよくこういった場面で明君の後に登板し、抑えていました。この日のマウンドでも胸に手を当てます。

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そう、ここまで来たら、後は気持ちだけ。そして見事セカンドゴロを打たせます。セカンドからショートへ。ショートの山本君は、通称殺人スライディングを受け足を負傷しながらも気合いで1塁に投げ、そしてダブルプレー!となります。

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そして9回の裏の攻撃が始まるはずでしたが、なかなか始まりません。というのも次の先頭打者はスパイクされた山本君からだったのです。ベンチ裏では懸命の治療が行われます。5分以上経過して、そうはいっても代打かな?という空気も漂い始めた頃に、山本君が痛みを抑えてグランドに戻ってきます。この根性は素晴らしい!!

そして打席に立ち、

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見事3塁内野安打で出塁します。この叫び声を上げながら走っているかのような彼の姿にご注目下さい!

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ここで代走が出されます。きっとベンチ裏では上田監督は山本君に交代するかどうか訊いていたんでしょう。そして山本君がもしかしたら泣訴したのかもしれませんね。賞賛に値する山本君のガッツです。

そしてそのガッツに、主将の旭君も応えます。体勢を崩されながらも、センター前に運びます。

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これで無死12塁とチャンスを広げて、竹内君に打順が回ります。たらればは禁物ですが、もし1点を追加されていなかったら、あるいはバントを絡めたいろいろな攻撃が考えられたかも知れません。しかしこの段階で4点差。これは更にランナーを貯めるしか無く、相手も味方も強攻策だろうとはっきりわかる形となってしまいました。そして、うまく引っかけさせられ、ダブルプレーとなってしまいます。

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そして途中出場の橘君が打ち上げた打球はセンターの守備範囲で万事休す。

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残念ながら2-6で敗れ、準決勝に駒を進めることは出来ませんでした。

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東海大相模の校歌斉唱後、応援席に挨拶に来てくれた野球部のメンバーのみなさん。

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深々と頭を下げていました。

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この試合を見ていて、選手たちの気持ちの強さは痛いほど伝わってきていました。試合直後に投稿した記事のタイトルを「君たちは勇者だ!」としたのも、まさにその気持ちの強さが伝わってきていたからでした。それはこの記事の写真をご覧になっても感じて頂けることと思います。

だからこそ、上田監督も「勝たせてあげたかった」と慨嘆されたのでしょう。

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泣き崩れる選手たちを見つめながら、監督の心の中に去来するものはなんだったのでしょうか。

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去年の桐蔭に負けた後の旭君の姿が印象的でした。そして今年は谷田君の姿が印象的でした。やはり主将になる人間というのは、それだけチームに対する想いが強いのでしょう。チーム谷田の逆襲に期待したいですね。

最後にしっかりと締めてくれた応援指導部。

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みなさん、本当にどうもありがとうございました!みなさんのお陰でとても濃密で楽しくもあり、辛くもあり、でも思い出深い時を過ごすことが出来ました。特に高校生のみなさんにとって、ここで流した汗も涙も、きっと大きな人生の糧となることでしょう。これからのみなさんの益々のご活躍を祈念して止みません。

ようやく、相模戦の記事が終わりましたcoldsweats01

この試合にタイトルを付けるとすると

「門馬監督の執念と上田監督の誤算」

というところでしょうか。上田監督が別に間違ったわけでも何でもなく、天運我に利あらずといったところだったのでしょう。これもまた人生ですね。こうやって人は様々な時を刻んでいくのでしょう。

なので、応援する我々とすれば運をこちらに招き入れるべく最大限の応援と験担ぎを・・・、ということはやっぱりカツ丼でしょうか?

睡眠は大事ですね

暑い日が続いていますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

私は月曜日なので相も変わらず深夜残業デーということで会社におります。

これだけ暑い日が続いていると、体調を維持するためにも、睡眠が大事ですよね。

ちょうど先週の試合観戦以来、しばらく遅くに寝る日が続いているので、ちょっとフラフラした感じですcoldsweats01

なので、もうそろそろ仕事を切り上げ、帰宅して、早く寝ようかなと。

こんな具合なので、なかなか東海大相模戦が終わらずに申し訳ございません。

では、みなさまもどうぞお体にはお気を付け下さいね!

平成22年夏 慶應義塾対東海大相模 7回

そして運命の終盤にさしかかった7回。多分痛みも結構来て、かなり辛かったであろう三宮君ですが、特筆すべきは試合の最初の頃とフォームが殆ど変わっていないこと。それだけ自分のフォームが固まっているんですね。

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しかしきっと球威が落ちていたんでしょうね。1死後一二三君にセンターオーバーの三塁打を打たれ、続く福山君にレフトオーバーのタイムリー二塁打を打たれます。

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ここからは全くの推測ですが、もしかしたら独白で触れられていた足が攣ってもう動けなかった外野手とは最初は原田君かと思いましたが(足が攣ったことは事実ですが)、このプレーのちょっと不自然な動きから考えると藤本君なのかも知れませんね。そうであれば、その後の代打も得心がいきます。ただ、藤本君の精一杯手を出そうとする姿に、気魄を感じました。

そして続く大城ツインズの建君がまたもやタイムリーヒットを放ちます。やはり徳は積んでおくべきですね(谷田君へのお辞儀)。

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しかし、この時のセカンドの竹内君の懸命のダイビング。

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旭君の懸命のバックホームは、ボールに対する執念を感じさせてくれました。

こうして7回表を終わり1-3とこの試合、初めてリードを許します。

反撃したい塾高は、小関君が三振の後、三宮君がしぶとくセンター前ヒットで出塁します。

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そして続く山本君が四球で出塁。1死12塁となります。同点のランナーがでました。

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ここで1点でも返したい塾高は、主将の旭君。引っかけてしまったものの懸命にヘッドスライディングで1塁はセーフ。2死13塁とチャンスを残します。

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次の打者はユーティリティ竹内君。どうやって攻めようかと考える間もなく、死球となり、これで2死満塁。一二三君はこの試合左打者に二つ目の死球となります。そしていよいよこの試合の運命の分かれ道の場面となります。

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この大会の塾高の打点王藤本君に回り、嫌が応にも期待が高まります。

ところが代打が告げられます。

スタンドで見ていた時は正直なぜ??と思いましたが、今になってみると多分こうだったのかなあと思っています。

1)7回表の守備の際、藤本君が無理に体を伸ばして捕球しようとしたため、前身が攣ってしまったような状態になった。

2)ここで、そのまま藤本君を打席に送るか、それとも万全の体調の選手に替えるか考えた。

3)一二三君のスライダーは余りストライクが入らないデータがあった。

4)今日も谷田君、山本君に死球を与えており、左打者にスライダーは投げにくかろう。

5)であれば、柔らかいバッティングが信条の左打者の瀬川君に託し、球をよく見極めて貰い、あわよくば四球か死球を選び、運が我にあればそのままタイムリーヒットを放ってくれるかも。

と考えたのではと。そして、代打瀬川君が打席に入ります。

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こう読んで瀬川君を出したのであれば、その流れで一二三君は外角を中心に攻めるはずと読んだのでしょう。但し、あわよくば四球を選ぼうとも考えていたのであれば、実際に外角にストライクボールが来た時待つのか、それとも打つのかというのが頭の中で明確になりにくかったのかもしれません。

これはしつこいですが、あくまでこちらの勝手な妄想です。実際にそうかどうかさっぱりわかりませんが、そう考えると自分なりには納得出来るんですよね。

そして2ストライクと追い込まれた後、外角のボールコースからストライクコースに入ってくる、今までの一二三君だったらあり得ないような理想的なスライダーが投じられ、瀬川君も呆然と見送るしかなかったのでしょう。

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しつこいですが勝手な妄想の中、話しを広げますと、

当然瀬川君の頭の中にも一二三君はスライダーのコントロールが悪いというのはあったと思います。だからあの場面でまさかスライダーが、しかも絵に描いたようにボールからストライクに入ってくるとは!!

つまり、

1)一番当たっていた藤本君を、一番大事な場面で欠いてしまうとは!

2)一番大事なカウントで、まさかまさかの一二三君の会心のスライダーが決まってしまうとは!

と不運のダブルパンチだったのではないでしょうか。こう考えると、明らかに勝利の女神が相手側に微笑みかけてしまっているのがわかります。

とは言え、もう一つの話し。瀬川君の頭の中をもっとシンプルにさせてあげていたら・・・。つまりこの場面で内角を投じることはまずないだろうから、外角にヤマを張って初球から振っていけ。アウトになったらそれまで。ヒットになったらヒーローだぞ。くらいの指示で送り出したら・・・。

重ねてしつこいですが、この場面に関して言えば、かなり脳内妄想が入っています。真実は全く違っているのかも知れません。ただ、自分の中では、こう考えると全ての行動がすっきり来るんですよね。さて、実際のところ、真実はどうだったのでしょう・・・。

こうやって、対照的な7回の表、裏が終わり、1-3と塾高が劣勢に立たされて、8回を迎えることに・・・。

場面を引いてしまってすみません、なんか今日は7回だけで終わらせた方が良いように感じたので(時間が遅くなったという現実的な理由も)、ここまでということでcoldsweats01

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