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8月15日に「日本のいちばん長い日」を読む

昨日たくさん挙げた書籍の数々。

読まないことには話にならないと思い、まず手に取ったのが

です。

この本は、昭和20年8月15日正午に至る24時間をスリリングに、そして克明に再現したノンフィクション(帯を参考にさせて頂きました)です。

これを読んで、そう言えば今まで大して疑問にも思っていなかったことに気付きました。

その疑問とは、あれだけ戦闘意欲旺盛で、下克上の空気にも満ち溢れ(実際、君側の奸を取り除き、国体の本義に則った行動を取ることこそが究極の忠義であると思って行動した青年将校もこの中で登場します)ていた中、8月15日を境になぜスイッチを切ったが如く、停戦-武装解除となったのかと。

その状況は当然に、自然と出来たわけではなく、各人物の命がけの行動から生まれたものだと、この本を読んで今更ながら感じました。

鈴木貫太郎首相の慎重さと大胆さ。そして昭和天皇陛下に対する揺るぎない忠誠と信頼。

阿南惟幾(この名前はATOKでも変換されませんでした)陸軍大臣の大いなる人格と無私な態度。大局観を見る目と潔い軍人魂。

森近衛師団長の揺るぎない態度と忠誠心。

田中東部軍管区司令官(この方も武装解除の道筋を付けた後自刃したとは知りませんでした)の事態収拾へ向けた強い意志と行動力。

米内光政海軍大臣の信念。

徳川侍従の剛毅な行動力と機転。

そして昭和天皇の大御心(いろいろ考えたのですが、他の言葉だとどうしても陳腐な表現のような気がして)。

まさに国が滅亡しようとしている時に、よくぞこれだけの人物が中枢部にいてくれたものだと。

昭和初期から太平洋戦争において見られた、神がかったような、ただ威勢がいいだけのような、いわゆるこすっからいような、そんな人物たちでなくて本当に良かったと。

その中でも特に阿南惟幾陸軍大臣の下りには鮮烈な印象を受けました。

全陸軍を代表して語る強硬な言葉の数々。

しかし、いわゆる天皇陛下の御聖断が下った後の言葉は

「陛下はこの阿南に対し、お前の気持はよくわかる。苦しかろうが我慢してくれ、と涙を流して仰せられた。自分としてはもはやこれ以上反対を申しあげることはできない」

「聖断は下ったのである。いまはそれにしたがうばかりである。不服のものは自分の屍を越えてゆけ」

「こんご皇国の苦難はいよいよ加重するであろうが、諸官においては、過早の玉砕は決して任務を解決する途ではないことを銘記し、たとえ泥を食い、野に臥しても、最後まで皇国護持のため奮闘していただきたい」

「軍がなくなっても日本の国は大丈夫だ、亡びるものか。勤勉な国民なのだよ。かならず復興する。こんどは君たちがそのお役に立たなくてはいかんな」

「(これから自刃する阿南陸相にお供しますと言った井田中佐に対して、怒号を浴びせ、強く頬を2つ3つ張った後、穏やかな顔にて)そういうことをいってはいかん。俺ひとり死ねばいいことなのだ。君が死ぬ必要がどこにある?よいか、死んではならんぞ」

そして自刃の遺書には

一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル
昭和二十年八月十四日夜
陸軍大臣 阿南惟幾

神州不滅ヲ確信シツヽ 

とあったそうです。

こういった阿南陸相の存在が、承詔必謹とし、陸軍暴発を食い止めた大きな要因の一つではなかったでしょうか・・・。

あの時代の日本は色々な言葉で語られます。A級戦犯論等に代表される、何という過ちを犯したんだ!といった加害者としての話。戦災に遭ったり、戦場での過酷な体験といういわゆる被害者としての話。でも少なくとも何とか終戦にこぎつけた人たちを称えたり、感謝したりする話しは余り聞きません。でもこの本を読み、戦後の世界を生きる我々がまずは感謝すべきはこの人達なのではと、感じた次第です。始めるのは簡単でも、終わらせることは大変難しいことなのだと、改めて思いました。

そんなことを感じながら、65回目の終戦記念日を過ごしていました。

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書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

今年は、「戦争に関する報道が多かったように感じます。」マスコミも、TVドラマも、終戦から65年だからでしょうか。
それとも初めて被爆国の祭典にアメリカから代表が出席した
からでしょうか。
私が印象に残ったのは、パール判事の書籍です。日本を擁護するわけではない。」とありました。でも「無罪」を主張されました。

いろいろな想いはそれぞれにあることは理解できますが、亡くなった方々(軍人、民間人全てを含め)のおかげで今の日本があると
いう事実は現実だと思います。

体験者の言葉以上に重いものはそう多くはない、と思っています。特に開戦や終戦のような命がけでなければ決断できない類のものはそうでしょう。米、英、仏の大使が顔を揃えた広島の日は意義深いものとなりましたが、65年の歳月がかかりましたね。
「核兵器持つべし」と勇ましい発言を繰り返す戦後生まれの政治家が増えてきているようですが、残念というしかありません。
かく言う私も戦後の平和な時代しか知りませんが、シベリア抑留帰りの叔父を舞鶴港で出迎えたという母の話を何度も聞かされて育ったものです。ところで、第二次大戦の正式な終結日は9月2日だそうですね。

父は余り多くを語りませんが、
東京大空襲、原爆投下の前に終戦にみちこめなかったか
悔いていました。

その機会はあったそうですが・・・

「なぜあの戦争が始まったか」
とともに、
「なぜ、あの戦争を20年初めに終わらせられなかったのか」

終戦とともに多くの資料を焼き捨て、
重大な決断の場にいた人たちが沈黙を守っているため、
真相は不明です。

私塾で偶然、私の父と同じ場にいた伯父さんをもつ方から
伯父から同じ後悔を聴いたと聞きました。

折しも「ゲゲゲの女房」では昭和20年のラバウル玉砕

「8月15日では遅すぎた」
それも解明されなければありませんが・・・

三角ベースさん

コメントありがとうございます。

おっしゃるように戦争に関する報道が多かったようにも思えますが、戦争体験者による証言はどんどん少なくなってきていますね。考えてみれば戦後65年。終戦の日の65年前はまだ日清戦争も始まっておらず、文明開化に走ろうとしている時ですから、やはり65年の歳月は長いですね。ちなみに終戦の65年前に生まれた方は、杉山元、米内光政、松岡洋右、小磯国昭とこれまた戦争に深く関わっている方々ばかりで驚きました。

おっしゃりょうようにパール判事は別に日本を賛美したわけではないんですよね。でも、冷静に法律家として、当時の日本の決定を国際法上で判断し「無罪」と判じたわけです。坂の上の雲ミュージアムに日露戦争当時の新聞がありましたが、その時にもロシア、フランス、ドイツの新聞には「宣戦布告無き奇襲」についての非難が掲載されています。でも今に至るまでこの点を問題視する意見は殆ど聞きません。中国、朝鮮半島を侵略することになったという非難は聞いてもです。すなわち今の政体が、どこにつながっているかを考えれば、国際上の正義とは結局の所国益と密接に関連していることを、今一度想起すべきでしょう。

そして亡くなった方々、生き残った方々、すべからく一生懸命生きてきた先人達のお陰で今の日本があるのだと自分も思います。明治の元勲の時代から3代後に、昭和の大戦争が起こりました。昭和の戦後復興から3代後の今の世代はどのような時代を作ろうとするのでしょうか。

kktfさん

コメントありがとうございます。

いずれの時代でも勇ましい意見というのは力を持ちやすい物なのだと思います。「核兵器持つべし」もそうですが、通常兵器による被害の深刻さもまた忘れてはならないと思います。そう考えると昔の日本人が兵事を穢れとして捉えていたこともむべなるかなと思います。

では、平和はいかにして保つべきか。これが一番の難題であり、また本質でもあると思います。多くの歴史を見た場合、残念ながら軍事に無関心だったから平和だという国は、そもそも勢力争いの局外のところで無い限りなかなか例を見ることが出来ません。

であれば、私見としては、やはり政治家も官僚も、そして今であれば主権者たる国民も最低限の軍事的知識というのは有するべきではないかと思うのです。「平時において乱を忘れず」ということこそが大事なのではと。あれだけ荒くれ者が揃った戦国時代を引き継いだ江戸時代は、泰平の世を築いていました。そこに何かしかのヒントがあるのかもしれませんね。

第二次世界大戦の正式な終結日というのも、この本と言うか「ソ連が満州に侵攻した夏」を読んで思ったのですが、戦争の終結についても明確な認識がなかったことがやはり問題だったのだなあと。正式な日が9月2日ということは、そこまで論理上は戦争が続いていたわけで、だからこそソ連軍の侵攻が米軍の影響下以外の地域では進んでしまい、そこにいた特に民間人の惨禍を招いてしまったわけです。でも日露戦争の終わりはポーツマス条約、日清戦争の終わりは下関条約としているわけですから、どうしてそうなってしまったんだろうという素朴な疑問が残るのです。

いずれにせよ、そういったことを踏まえ、体験者の方々の言葉を聞くことが出来るのももう時間が限られてきてしまっているので、しっかりと我々は聞かないといけないですね。

文武両道さん

コメントありがとうございます。

純粋に戦略上でいけば、絶対国防圏の一角であり、一大要塞であるべきだったサイパン陥落の時点で、戦争終結を目指すべきでしたし、この戦争が50年前に起こっていた物であれば、そう出来たのだと思います。

但しサイパン陥落の1943年はちょうどカイロ宣言が出された時期でもあり、交戦国に対して無条件降伏を求めるようになっていました。総力戦の行き着くところだったのでしょう。つまり戦争に負けることは奴隷化を意味するものでは無くなったが、政体を根本から変えることを相手に委ねることになってしまったのだと思います。確かスターリンもそのようなことを言っていたはずです。これには大衆社会の醸成というのも深く関わっていると思います。これだけ多くの犠牲を払ったからこそ、相手は完膚無きまでに叩き潰すべきだという世論を無視出来ない時代となったのでしょう。その端緒は日本の「日比谷焼き討ち事件」だとも思いますが。

そう考えると、あれくらい「完膚無きまで叩きのめされないと」日本は降伏出来ない状況だったのでしょうね。普通であれば。勿論クーデターを起こし、超法規的に終戦に持ち込むことも理論的には出来たのかも知れませんが、第一次世界大戦でそうしたドイツ、ロシアは苦労を重ねましたからね。それに日本の皇室は搾取型でもなかったですし。

であれば、本土上陸前に終戦出来ただけでも奇跡だったのかも知れません。

おっしゃるように昭和20年はとても遅すぎたと思うのですが、それと共に、でもあの時期であってもギリギリ早かったのかも知れないとも思ってしまうのです。

太平洋戦争に興味がある者として、ブログを拝見させていただきました。

ブログを拝見させていただきまして、気にいっていただけると思います映像作品を推薦したいと思います。
機会がありましたら、ご覧になられて、どのような感想をもたれたか書いていただけると戦争に興味のある者として、うれしく思います。

『日本のいちばん長い日』
『歴史の涙 昭和 終戦の長い一日』
『あゝ決戦航空隊』
『東京裁判』

以上の作品は、日本軍の中枢の思想や行動についての作品なので気にいっていただけると思います。

イトウさん

お初のコメントですよね。ありがとうございます!

自分も結構そういった物は見てきたような気がしますが、東京裁判以外は見たことが無いです。どこかで探して、是非見てみようかと思います。見た際には、感想も拙ブログに書いてみますね。

では、今後ともよろしくお願いします。

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