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3月10日という日

3月10日という日は、日本にとって天国と地獄の両方を味わった日です。

まず有名なのは、1945年3月9日未明から10日にかけての東京大空襲です。

それまでアメリカ軍は、日本軍が中国で行っていた無差別爆撃に非人道的だとして批判的だったハンセル准将のもと、高高度からのレーダーによる精密爆撃をおこなっていました。しかし、精度が余り高くなく成果をなかなか上げられずにいました。

それを受けて交代したのが、ルメイ少将。彼は木造住宅である日本家屋が火災に弱いことを利用し、低高度から無差別で焼夷弾を大量に投下し、軍需産業の労働者たる一般市民、道路、鉄道を焼き尽くす作戦に変更しました。

その結果行われたのがこの東京大空襲。

折からの季節風にも煽られ、激しい火災が広がり、僅か一回の空襲で東京35区の4分の1が焼失し、警視庁調べで以下のような被害が出ました。

* 死亡:8万3793人
* 負傷者:4万918人
* 被災者:100万8005人
* 被災家屋:26万8358戸

先日TVドラマにもなりましたが、その時警視総監から命を受け、石川光陽さんがそのすさまじい状況を撮影しました。戦後GHQから提出を求められたそうですが、自宅の庭に隠し、渡さなかったそうです。

(WIKIPEDIAからの転載です。詳しい記事はこちら

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母親と思われる遺体は子供を背負って逃げていた為、背中は焦げていない(石川光陽撮影)


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焼け焦げた遺体の山。死者・行方不明者は8万人(民間の調査では10万人)以上といわれている。(石川光陽撮影)

800pxtokyo_kushu_19454
鎮火後の街の風景(石川光陽撮影)


実はうちの叔母も東京大空襲に被災しておりまして、その時のすさまじいばかりの火災の話しはまさに息を呑むほどです。生き地獄とはまさにこの時の光景だったそうです。


それからさかのぼること40年前の1905年3月10日、日露戦争の奉天会戦で日本陸軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領して奉天城に入場しました。

1904年より戦い続けてきた日露両軍は、奉天(現在の瀋陽)にて、それまで最大規模の大会戦を行います。双方あわせて60万に及ぶ将兵が18日間に渡って満州の荒野で激闘を繰り広げ、世界史上でも希に見る大規模な会戦となりました。

この戦いでは両軍が相手を正確に把握出来ず、ゲームの理論のような形で推移し、結果として日本陸軍がロシア陸軍の猛攻をしのぎ、ロシア陸軍の戦略的撤退と相まって奉天を占領したといったものです。戦いは惨烈を極め、日本陸軍の死傷者が7万人、ロシア陸軍の死傷者が9万人と言われ、ロシアの退却時には混乱が生じたとも伝えられています。

800pxformation_of_a_division_of_the
戦闘終了後に行われた日本軍一師団の点呼


800pxretreat_of_the_russian_army_af
ロシア軍の後退


くわしい事はこちらの記事で。


これを記念し、翌年より日本は3月10日を陸軍記念日として祝日としました。光輝ある大日本帝国陸軍の記念日としたわけです。一説によると米軍は敢えて陸軍記念日を狙って、東京大空襲をこの日にしたとも言われています。(そういえば、アメリカは結構記念日を狙ってくるんですよね。例えば東京裁判でのA級戦犯の処刑日とか)


かように日本にとって余りにも業の深い日である、3月10日。もう少し今の日本人がこの日の持つ意味を考えるようになればいいのにと思うのは、管理人だけでしょうか・・・?

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コメント

日常の超多忙ななかで、
このような記事を書かれる真摯な姿勢に敬服。

小学生だった塾生でもある大先生、
この東京大空襲を体験。
彼が建築を志したのは、
米軍に燃えつくされた木造日本家屋の悲劇を見たから。

大本営参謀だった父、
年初めより既に終戦への模索は始まっていた。
誰もが同じ思い、それでいて誰も言いだせない・・・
それが東京大空襲、原爆投下の後まで決断できない。

3月以降の悲劇は防げたはず、
という2人の思い。

それででしょうか?今日は『東京都平和の日』だそうです。  

蛇足、砂糖の日・水戸の日・佐渡の日・サボテンの日でもあるみたいです。  

色んな事を体験してみたいですが、戦争だけはいやですね。

文武両道さん

コメントありがとうございます。

さて、東京は二度灰燼に帰しています。一度は関東大震災、もう一つは太平洋戦争時の空襲。せっかくの江戸以来の文化物が殆ど無くなってしまったのは残念ですね。よく日本の街は都市計画がないから~と言われますが、都市人口は相変わらず多いのでとにもかくにもまずは再建しなければならない事態に追われた結果だとも言えると思います。そのまま土蔵が残っていたり長屋が残っていれば、それはそれで風情があったんでしょうね。

もう一つのお話しは、やはり言葉の力は凄いなと思わされます。だからこそ誰もが心の中にありながら、誰もが口に出せなかったのでしょう。別の言い方をすれば、陸軍としては大会戦を未だやっていなかったので、本土に行いたいという願望もあったのかもしれませんね。
それにしてもそこにつながることになった「統帥権干犯」の言葉、多分言った本人はそのリベラル的な思考からその後軍国主義の色を強めていく事態は予測していなかったのでしょうが、結果として日本を惨憺たる場所に陥れました。最近またもや深く考えられていない言葉を彼の子孫からよく聞きます。「県外は難しいが、沖縄県民の気持ちを考えると頑張りたい」とか「自分が坂本龍馬になって」とか。政治家である以上、自分の言葉には責任を持ってほしいものです。

黄色と黒は勇気のしるし♪さん

コメントありがとうございます。

はい、まさしくその通りです。

http://www.koho.metro.tokyo.jp/koho/2008/03/heiwa.htm

戦争の恐ろしさは不条理に人がどんどん亡くなっていくことだと思います。兎にも角にも戦争は起こさない。そのために何をすべきかということを、真剣に考える必要があるのでしょうね。アメリカ軍は別に日本の防衛がしたいだけで日本にいるわけでもないのですから。

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