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自尊教育と言うけれど、何か言葉が足りないのでは?

今日、こんな記事を見かけました。

学校で“自尊感情”は教えられるのか(ココログニュース)

東京都教育委員会が、都内の小中高生に自尊感情や自己肯定感についてのアンケートを実施したところ、中高生の5~6割が自分を否定的にとらえていることがわかった。都教育委員会は自尊感情の大切さを認識し、小学校1校で試験的に“自尊教育”を実施する予定を決めた。

「それって教育するようなことでしょうか」「果たして指導できる教師がいるのか」などブロガーの間では疑問視する意見が多い。“自尊感情”の低さについて、日本青少年研究所の千石理事長が「謙虚さ、控えめを良しとする日本の文化がまだ根強いのが一因」と指摘していることについても、「これは日本の美徳じゃないのか?」「日本・アジアの誇れる大切な文化」など反発の声も。

「他人と比較する必要がないことをなぜわからせないのか」と主張するブログもある。「相手のすごいところがあればすごいと思えばいいし、自分のいいところはそれはそれで自信を持ったらよいと思います。そういう教育システムになっていないのが今の日本」(新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで)

どのような教育内容になるのか、詳細はまだ明らかでない。早くも今年4月から試験的に実施となる“自尊教育”の行方が注目される。

おお、どこかで見た言葉ですが、前の言葉が足りないですね。すなわち「独立」が足りないですね。

自尊心というのは、別にむやみに自分を誇ることではないはずです。「自らを尊ぶ」ことが出来るように「独りで立つ」ことが出来る、すなわち自我と申しましょうか、アイデンティティーを持つと申しましょうか、自分というものが確立してこそ、自尊感情というものも芽生えてくると思うのです。

すなわち以下の文章に集約すると思うのです。長文かつ文語ですが掲載します。これを明治33年、つまり100年以上も前に書いていたことに、福澤諭吉の慧眼を感じて止みません。

慶應義塾は單に一所の學塾として自から甘んずることを得ず其目的は我日本國中に於ける氣品の泉源智徳の摸範たらんことを期し之を實際にしては居家處世立國の本旨を明にして之を口に言ふのみにあらず躬行實踐以て全社會の先導者たらんことを欲するものなり

以上は曾て人に語りし所の一節なり

福澤諭吉記


脩身要領

 凡[およ]そ日本国に生々[せいせい]する臣民は、男女老少を問はず、万世一系の帝室を奉戴[ほうたい]して、其恩徳を仰がざるものある可[べか]らず。此一事は、満天下何人[なんびと]も疑[うたがい]を容[い]れざる所なり。而[しこう]して今日の男女が今日の社会に処する道を如何[いかん]す可[べ]きやと云ふに、古来道徳の教、一にして足[た]らずと雖[いえど]も、徳教は人文の進歩と共に変化するの約束にして、日新文明の社会には自[おのず]から其社会に適するの教なきを得ず。即ち修身処世の法を新[あらた]にするの必要ある所以[ゆえん]なり。

第一条 人は人たるの品位を進め、智徳を研[みが]き、ます/\其光輝を発揚するを以て、本分と為[な]さざる可[べか]らず。吾党の男女は、独立自尊の主義を以て修身処世の要領と為[な]し、之を服膺[ふくよう]して、人たるの本分を全[まっと]うす可[べ]きものなり。

第二条 心身の独立を全うし、自[みず]から其身を尊重して、人たるの品位を辱[はずかし]めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ。

第三条 自[みず]から労して自から食[くら]ふは、人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざる可[べか]らず。

第四条 身体を大切にし健康を保つは、人間生々[せいせい]の道に欠く可らざるの要務なり。常に心身を快活にして、苟[かりそ]めにも健康を害するの不養生を戒む可[べ]し。

第五条 天寿を全うするは人の本分を尽すものなり。原因事情の如何[いかん]を問はず、自[みず]から生命を害するは、独立自尊の旨に反する背理卑怯の行為にして、最も賤[いやし]む可き所なり。

第六条 敢為活溌[かんいかっぱつ]堅忍不屈[けんにんふくつ]の精神を以てするに非ざれば、独立自尊の主義を実[じつ]にするを得ず。人は進取確守の勇気を欠く可[べか]らず。

第七条 独立自尊の人は、一身の進退方向を他に依頼せずして、自[みず]から思慮判断するの智力を具へざる可らず。

第八条 男尊女卑は野蛮の陋習[ろうしゅう]なり。文明の男女は同等同位、互に相[あい]敬愛[けいあい]して各[おのおの]その独立自尊を全[まった]からしむ可[べ]し。

第九条 結婚は人生の重大事なれば、配偶の撰択は最も慎重ならざる可らず。一夫一婦終身同室、相敬愛して、互いに独立自尊を犯さゞるは、人倫の始なり。

第十条 一夫一婦の間に生るゝ子女は、其父母の他[ほか]に父母なく、其子女の他に子女なし。親子の愛は真純の親愛にして、之を傷[きずつ]けざるは一家幸福の基[もとい]なり。

第十一条 子女も亦独立自尊の人なれども、其幼時に在[あり]ては、父母これが教養の責[せめ]に任ぜざる可[べか]らず。子女たるものは、父母の訓誨に従[したがっ]て孜々[しし]勉励、成長の後、独立自尊の男女として世に立つの素養を成す可[べ]きものなり。

第十二条 独立自尊の人たるを期するには、男女共に、成人の後にも、自[みず]から学問を勉め、知識を開発し、徳性を修養するの心掛を怠る可らず。

第十三条 一家より数家、次第に相集りて、社会の組織を成す。健全なる社会の基[もとい]は、一人一家の独立自尊に在りと知る可し。

第十四条 社会共存の道は、人々[にんにん]自[みず]から権利を護り幸福を求むると同時に、他人の権利幸福を尊重して、苟[いやしく]も之を犯すことなく、以て自他の独立自尊を傷[きずつ]けざるに在り。

第十五条 怨[うらみ]を構へ仇[あだ]を報ずるは、野蛮の陋習にして卑劣の行為なり。恥辱を雪[そそ]ぎ名誉を全うするには、須[すべか]らく公明の手段を択[えら]むべし。

第十六条 人は自[みず]から従事する所の業務に忠実ならざる可らず。其大小軽重に論なく、苟[いやしく]も責任を怠るものは、独立自尊の人に非ざるなり。

第十七条 人に交[まじわ]るには信を以てす可し。己[おの]れ人を信じて人も亦己れを信ず。人々[にんにん]相信じて始めて自他の独立自尊を実[じつ]にするを得べし。

第十八条 礼儀作法は、敬愛の意を表する人間交際上の要具なれば、苟[かりそ]めにも之を忽[ゆるがせ]にす可らず。只[ただ]その過不及[かふきゅう]なきを要するのみ。

第十九条 己れを愛するの情を拡[おしひろ]めて他人に及ぼし、其疾苦を軽減し其福利を増進するに勉むるは、博愛の行為にして、人間の美徳なり。

第二十条 博愛の情は、同類の人間に対するに止まる可らず。禽獣を虐待し又は無益の殺生[せっしょう]を為[な]すが如き、人の戒む可き所なり。

第二十一条 文芸の嗜[たしなみ]は、人の品性を高くし精神を娯[たのし]ましめ、之を大にすれば、社会の平和を助け人生の幸福を増すものなれば、亦是[こ]れ人間要務の一なりと知る可し。

第二十二条 国あれば必ず政府あり。政府は政令を行ひ、軍備を設け、一国の男女を保護して、其身体、生命、財産、名誉、自由を侵害せしめざるを任務と為[な]す。是[ここ]を以て国民は軍事に服し国費を負担するの義務あり。

第二十三条 軍事に服し国費を負担すれば、国の立法に参与し国費の用途を監督するは、国民の権利にして又其義務なり。

第二十四条 日本国民は男女を問はず、国の独立自尊を維持するが為めには、生命財産を賭[と]して敵国と戦ふの義務あるを忘る可らず。

第二十五条 国法を遵奉[じゅんぽう]するは国民たるものゝ義務なり。単にこれを遵奉するに止まらず、進んで其執行を幇助[ほうじょ]し、社会の秩序安寧を維持するの義務あるものとす。

第二十六条 地球上立国の数少なからずして、各[おのおの]その宗教、言語、習俗を殊にすと雖も、其国人は等しく是[こ]れ同類の人間なれば、之と交[まじわ]るには苟[いやしく]も軽重厚薄の別ある可らず。独[ひと]り自[みずか]ら尊大にして他国人を蔑視[べっし]するは、独立自尊の旨に反するものなり。

第二十七条 吾々今代[こんだい]の人民は、先代前人より継承したる社会の文明福利を増進して、之を子孫後世に伝ふるの義務を尽さざる可らず。

第二十八条 人の世に生るゝ、智愚強弱の差なきを得ず。智強の数を増し愚弱の数を減ずるは教育の力に在り。教育は即ち人に独立自尊の道を教へて之を躬行実践するの工風[くふう]を啓[ひら]くものなり。

第二十九条 吾党の男女は、自[みずか]ら此要領を服膺[ふくよう]するのみならず、広く之を社会一般に及ぼし、天下万衆と共に相率[あいひき]ゐて、最大幸福の域に進むを期するものなり。

明治三十三年
六月

病後初筆
福澤諭吉

自尊心は人から与えられる物でも天から降ってくる物でもありません。

自分で掴み取るものです。

それを教育に携わる方々には、そのことを是非力強く語ってほしいのです。

そしてそう言った自尊心が持つことが出来るように、教養であれ他のことであれ教え導いてあげてほしいのです。

そういった姿勢を教える側が取らないと、いつまで経ってもこの状況は改善されないと思います。

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コメント

第七条 独立自尊の人は、一身の進退方向を他に依頼せずして、自[みず]から思慮判断するの智力を具へざる可らず。

ネットを初め、情報が多く、
ともすればこの七条がなおざりになる。

とはいえ、唯我独尊になっても困る。

慶応義塾経済学部出身の
小泉純一郎、小沢一郎は、
独立自尊の人か、唯我独尊の人か?

先週、1967年慶応義塾の1年生のとき
マックス・ヴェーバーを教えていただいた先輩が
私塾に見えました。

大塚久雄が東大でヴェーバーの研究シンポジウム
を開いた1964年より2年前に
日本で初めてヴェーバーのシンポジウムが行なわれた
のは慶応義塾だったそうです。

経済史から様々なイデアルティプスを導き出し
経済と倫理の緊張関係を考えるヴェーバーを
考える刺激的な会だったようです。

自己主張の明確な他国民に伍して行くためには自己アピールの訓練などは必要なのだと思いますが、所謂プライドばっかり高い自尊心を植え付けることにはならないようにしなければ、ですね。

「長所を伸ばす」のと「ポジティブシンキング」の方向に向かってくれるといいな、自分もそうだったら良かったな、と思いました。

文武両道さん

コメントありがとうございます。

ネットでは本当に簡単に情報が入るので、やもすれば安直に走り、自分の頭で考えない弊害があります。NHKの番組で爆笑問題が早稲田に乗り込み、田原総一朗と議論を交わしていました。すなわち「金権政治のどこが悪い?」というもの。そこで残念ながら爆笑問題の太田さんは自分の頭で考えたとは余り思えない言葉しか発していませんでした。単純に「金権政治は悪」と考え、それ以上の思索を深めていないからです。

そうではなく、自分の頭で咀嚼して考えていくことこそが、他人の言説ではなく自分の意見となっていくのですから、その作業は絶対に必要ですね。

また、マックス・ウェバーの倫理と経済の緊張関係、そしてピューリタンの職業倫理の話は、今の時代にも通じるところがありますね。もっとも中国の古典でも現代に通じるところがたくさんありますから、いくらテクノロジーが進もうとも、人間の本質とは案外変わらないものなんでしょうね。

げんきさん

コメントありがとうございます。

確かに日本人はなかなか自分の意見を主張することが苦手で、結果押し切られてしまうこともあるので、「ディベート術」みたいなテクニックも必要だとは思います。

しかし、では明治の日本人たちはそういったものを身につけていたか?と考えると、そうでもない。でも卑屈に振る舞っていたわけでもない。

結局、自分の内なる物がしっかり出来てくれば、自ずと自尊心は出てくる物だと思うのです。そうでないところで徒に自分を空威張りしてみても、それこそげんきさんのおっしゃるようにプライドばっかり高い状態になりますからね。

だから「自尊心」教育と聞くと違和感を感じるのです。「自尊心」は教える物ではなく、自らつかむ物。なので、そういった内なるものをつかむことが出来るように学問なりそのほかのことなりを教えて、結果その子が自尊心を持つくらいに成長できたということを目指すべきだと思うのです。

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