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WBC辞退問題について

ちょっと時期を逸しているような気もしますが、WBC辞退問題について自分の考えも書いてみようと思います。

この問題はそもそもを振り返ってみると

原辰徳日本代表監督(50)が選手選考について非協力的な球団があるとして憤慨した。12月15日に暫定ロースターとなる45人を発表する予定で、前回の会議で48選手をリストアップしていたが、この日までに中日の選手は全員が辞退した。原監督は「1球団においては、誰ひとりも協力者がいなかった。やや寂しいことでした」と話した。 (From nikkansports.com)

といったことです。

それを受け、


王貞治最高顧問は23日、代表候補に挙がった中日の選手がすべて辞退したことについて「前回は表に出していないが、出られませんという人がたくさんいた。こればっかりは、前向きに考えてくれる人でやるしかない」との見解を示した。 (From sanspo.com)

となりました。

そういえば、第1回の時も辞退者は多かったですね。

松井秀喜外野手、阿部慎之助捕手、高橋由伸外野手、井口資仁内野手とかです。それぞれチームの状況、故障の状況を理由に挙げていました。そしてその時に原さんはご自身のブログにこうコメントされています。

 先日、全日本のメンバーが発表されましたが、多数の辞退者が出てしまいました。我がジャイアンツでも、選考されていた高橋由と阿部が辞退しました。高橋由はオフに右足首を手術し、阿部はシーズン後半から右肩を痛め、秋季キャンプでも別メニューでした。2人とも開幕戦には間に合うし、阿部はキャンプでもそれほど支障をきたす事はないと思います。しかし、国を挙げての闘いです。各球団からトッププレーヤーが集ります。そんな中で出場すれば、力をセーブしたプレーなどできません。本人にも不安があるでしょうし、残念ながら出場辞退は仕方ないと思いました。

 チーム的にも、個人的にも、もろもろの事情があるでしょうから、出場辞退選手を責めるつもりはありません。しかし、出場選考のやり方や期限は、もう少し明確にしたほうがいいでしょう。「出る」「出ない」の経緯についての報道が多く、はっきりせずに選手にとっても、大会自体にとっても、いいイメージにはなりませんでした。大会開催の決定が遅く、日程などに問題は残りますが、野球界が盛り上がるための大会が、野球界のイメージを悪くするようなものであってはなりません。選考した選手の情報管理の徹底や、辞退するのであれば、その理由を明確にするべきだったと思います。(From HARA Spirit)

そう考えると、前回の経緯もあり、少なくとも

 中日勢がWBCの日本代表候補を辞退したことについて、原監督と2コーチを代表スタッフに送り出す巨人・清武英利球団代表(58)は「日本の旗を背負って戦うことは(12球団で)賛成だったわけだから、極めて残念だ」と不快感をにじませた。(From sanspo.com)

はちょっと違うかなあと思います。前回は松井選手も含めると自分のところから3人も辞退者を出していて、古くはシドニー五輪の時はセリーグ球団も巻き込み、選手を派遣しなかったチームなのですから。そして前回のWBCの時、松井選手の穴埋めとしてやってきたのが当時中日の選手だった福留選手だったということも忘れてはいけません。

その上で感じたことが二つ。

1)早い段階から特定球団名を想起させ、非難に近い形でコメントしてしまった原さんの気持ちはわかりますが、そうやったところで多少の腹いせは出来たとしても、何の解決に繋がっている訳でもありません。案の定、落合監督が「何が何でも行け、行くな、なんてことを選手に言う権利はオレにはないし、選手も従う義務はない。球団で断ったなんて書かれ方はマスコミの暴力だ」「NPBやファンを納得させようとは思わない。でも代表の監督でもコーチでも、NPBでも話にくればいい。ちゃんと説明してやるよ」(From sanspo.com)といったコメントを出さざるを得なくさせてしまっています。王さんは多数出た辞退者に対して、恨みがましいことは言っていませんでしたね。そこに二人の違いを感じました。

2)辞退という行為に対して、それが個人であろうと球団であろうと仕方ないと思います。それぞれの考えがあり、生活があり、経営があるのだから。それに対してある種の国賊扱いは違うと思います。
しかし、その選手たち自身に対して言えば一言、「もったいない」と言います。
せっかく世界から超一流選手が集まり、真剣勝負をする機会がまたとあるでしょうか?親善要素の強い日米野球は言うに及ばず、五輪野球はメジャーが出ない上に、そもそも次回は開催されず。すごいプレーすごい選手と戦える喜びは、向上心のある野球選手である以上とってももったいないなあと思うのです。
前回のあの守備練習を間近で見ただけに、余計にそう思います。

別に国のために選手生命を捧げろ!とは全く思いません。

でも、国の名誉のために全身全霊を尽くそうとする選手には神々しさすら感じます。

参加するしないは個人の考え。そこをとやかく言うのではなく、故障とかそのシーズンの成績が悪くなるかも知れないリスクを顧みず出場すると決めた選手たちの決断には拍手し、そのプレーに一喜一憂したいなあというのが自分の考えです。

前回イチロー選手が松坂投手に「お前もしかしてメジャーへのアピールとして、この場を考えていないか?」と問いかけたところ、松坂投手は「日本が一番だとアピールしに来ています。」と答えたと記憶しています。どうぞ今回もその心意気で選手、関係者の皆様、頑張ってください!

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野球」カテゴリの記事

コメント

掲示板で感情的な非難の応酬になるのは残念なことです。
その場合、「どちらの立場に属するか」「敵か味方か」で
議論する姿勢が、どのような言葉で出てくるか、というと、
「知らないくせに」「知っているんですか」という表現。
それに「自分たちに反対なら出ていけ」という捨て台詞。

相手が知らないと思うなら、ただ事実を示して、
「こういう事実もありますが、どうでしょうか?」
と言ってあげれば、いいことです。
「慶応が嫌いなら来るな!」という言葉は、
悪質な荒しに匹敵する暴論です。

団長さんが、最後に懇切にユーモアたっぷりに
丸刈りや高校の実情について説明してあげていましたが、
あれで悪意でない、疑問を抱いた人が、
これからも安心して質問する気持ちになれます。

独立自尊さんは、前回の監督問題では原を擁護されたので、
「原派」と思ってしまいます。
しかし、今回の論理展開では、原さんに対しても、
批判すべきは批判されています。

どちらの立場に立つかではなく、
事実をどう認識するかを説得力をもって語っています。

登場回数が多いので自制すべきかとも思いますが、
何度も教えられるので、仕方ありません。
独立さん、ご容赦ください。

文武両道さん

コメントありがとうございます。

いつも過分なるお褒めの言葉をいただき、大変恐縮です。
実際にそうであればいいのですが、なかなか実体がそうとは感じられないので、読む度に汗顔の至りとなります。ただそうでありたいとは思うので、少しでもそうなれるように今後も努力していきたいです。

議論については、テレビを見ていてもうまくかみ合わないことが多いですね。昨日のNHK総合『爆笑問題のニッポンの教養スペシャル 爆笑問題×早稲田大学 平成の突破力〜ニッポンを変えますか?〜』でもそれを感じました。
話の筋が繋がっていかないというか、なんかめいめいが勝手なことを言っている印象でした。その上で例えば「昭和世代の人は」とか「政治家は」とか「金権政治はダメだ」とか紋切り型の決めつけをしていて、それはこの中では個性的とされている爆笑問題のメンバーですらそうであり、ちっとも個性的じゃないなあと思って聞いていました。すなわち議論から何かを生み出そうとはしていないように見えたのです。そこに集まったことから何かを生み出そうとはしていたのでしょうが。

ディベート術を学校で教わるべきかどうかは別に、きちんとした議論が出来るようになるのも、社会では必要なことだと思うので、中学生以降の学生さんには何らかの形でそういった議論を学ぶ場というのを作った方がいい気がします。

比較するのが違うのかも知れませんが、「きけわだつみの声」とか「戦艦大和の最期」とかに出てくる学徒兵たちの文章に触れると、そのレベルの差を感じてしまいます。何のかんの言ってもどれだけ自分というもの、社会というもの、人生というものにどれだけ真剣に向き合っているかで、自我を確立し、その自我があればこそ相手の意見にも耳を傾けられ、その上で自分の意見を主張できる、すなわち議論が成り立つようになるのかもしれませんね。

では、これからもよろしくお願い致します。

早稲田大学の政経学部出身の吉岡忍さんが、
「自分以外はバカ」という名著を出していますが、
ブログのコメントや掲示板の応酬を見ていると、
あなたのように「言葉を大切に扱うこと」の大切さを
思います。

「民主主義というのは、言葉を大切にすることで成り立つ。
自分の考えをしっかり述べ、相手の考えをしっかり聞く。
そして一緒に問題解決を図っていくことが大切だ。

 言葉狩りや相手を侮辱するようなネットやマスコミの風潮は、
民主主義を死滅させる。」

吉田松陰は「先生と弟子は共に学ぶ」
宮本武蔵は「自分以外は皆先生」
「自分以外はバカ」ではなく、
「自分以外は先生」が信条だった。

「自分だけがバカ」と言った人がいる。

 周利槃特は釈迦の弟子の中でも飛び抜けて頭の悪い男であった。周利槃特は自分の名前さえしばしば忘れるほど記憶力が悪かったので、背中に名札をはっておいたくらいであった。

 釈迦から教えをいただいても翌日になると全く覚えていないので同じことを教えてもらう。それを数ヶ月繰り返しても覚えられないという状態であった。

 自分の愚かさに愛想が尽きた周利槃特は、釈迦に、「世尊よ、私はどうしてこんなに愚かなのでしょうか。自分ながらあきれるくらいです。私はとても仏弟子たることはできません」と破門を願い出た。

 釈迦は周利槃特に「お前は愚者ではない。本当の愚者は自分が愚者であることを知らないものである。お前は己を知っている。だから真の愚者ではない」と優しく言い、「この者には、教えを言葉で伝えるべきではない」と考え、周利槃特に一本の箒(ほうき)を手渡した。そして、「塵を払い、垢を除かん」という言葉を与えた。

 周利槃特は釈迦の教えの通り、その言葉を唱えながら何十年もの間、掃除だけを続けた。

 その間、仏典を紐解くことはなかったのだが、「塵を払い、垢を除く」掃除を行ううちに、周利槃特は自分の心の塵、心の垢をすっかり除くことができて悟りの境地をひらき、ついに釈迦の弟子の最高位である聖者の位(阿羅漢)に達することができた。

 釈迦は多くの弟子を前にしてこう語った。

 「悟りを開くということはたくさん覚えることではない。たとえわずかなことでも徹底しさえすればそれでよいのである。見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、ついに悟りを開いたではないか」

文武両道さん

コメントありがとうございます。

さて、フランスの啓蒙思想家ヴォルテールの名言と伝えられる有名な言葉に 「あなたの言うことには一つも賛成できないが、あなたがそれを言う権利は命を懸けて守ろう」というのがありますよね。

一部のマスコミ、ネットの風潮は明らかにこれを無視しているように見えます。

なので、吉岡忍さんの 言葉狩りや相手を侮辱するようなネットやマスコミの風潮は、民主主義を死滅させる。」という言葉には深く頷いてしまいます。

周利槃特のお話はソクラテスの無知の知にも通じるお話ですよね。洋の東西を問わず、同じような考えに、それもそれはかなり前の時代で、というのは結構多いですよね。それがすなわち人間の本質に通じているからかと思います。

前にも書きましたがどうしても人間は主観的にしか物事を見ることが出来ません。相手の心を完全にわかる、森羅万象を完全に俯瞰・理解・把握することはできないからです。

だからこそ、自分の認識の不完全さを意識しないと、脳内の論理と現実の乖離が起こってしまいます。

その乖離の結果が、時には議論の中における性急な決めつけとして表れてみたり、あるときは社会に対する反発とかで忌まわしい事件が発生したりするのでしょう。

違いを認める、自分の存在を謙虚に見つめる、それこそが自我の確立の始まりであり、いわゆる「独立自尊」にもつながってくるではないかと、このコメントを書きながら感じました。

では、これからもよろしくお願い致します。

先生の場合は、若い頃から哲学に触れられ、悩み、考察し、検証されてきたものと推測されます。この「検証」は「実践」と変わらないと思われます。深く悩まれ、世の中の動きを検証され続け、答えを見つけてこられた、だからこそ話される言葉に重みと説得性があり、我々も感銘を受けるのです。

私塾の塾生からメールを貰いました。
ビジネス・コンサルタントをしていて、この金融不況のせいで
ますます多忙になり、今月も出席できず申し訳ない
と言ってきました。

3ヶ月に1回しか出席できないのですが、
私塾開始以来、10年、延130人のなか唯一の開塾以来の塾生です。

顧客が増え過ぎて、コンサルフィーを2倍にしたも断り切れない、
政治家、オーナー企業など悩みがそれだけ深い状況なのでしょう。

なぜ、それだけの顧客が増え続けるのか?
ひとえに「話し方」「聴き方」「問題の把握、解決を
顧客とともに考える」姿勢にあるのだと思います。

ここで独立自尊さんと交わしてきた、
現代人に欠ける「本物のコミュニケーション能力」こそ、
不況の時代、最大のビジネスの売り物になるということでしょう。

文武両道さん

コメントありがとうございます。

さて、確かに指針の見えない今日、確かな道標を求める人々はとても多いのでしょうね。

上記のような姿勢で仕事に取組まれ、しっかりとした道標を日頃の業務でそのコンサルタントの方が示されているからこそ、多くの人々に求められるのでしょう。

ただ、自分に「現代人に欠ける本物のコミュニケーション能力」があるようには思えません。

日々、きちんと相手と接することが出来ていただろうかと自問自答するも、否と答えざるを得ないような毎日です。

なので、ちょっとその言葉は重たく感じてしまいました。

もちろん文武両道さんのコメントは前から申し上げているように、今までの人生の積み重ねを感じつつ深さのある言葉で、いつも楽しみに読ませていただいております。

なので、自分としては少しでもその域に近づけるように頑張って参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。

NHK特集で王監督の言葉

「その1球は2度とこない
投手の失投は6球投げて1球。
それを打ち損じると凡退。」

「ミスをしたとき周りの人は人間だからミスをする、と言う。
しかし自分はミスをしたことにこだわる。
慰められてはいけない。同じミスを繰り返すことになる。
自分のミスに厳しいのがプロ」

野球と仕事、生き方の共通点。
今日、私塾でニーチェの実存主義哲学は
「人生の1回性にある」
と言ったのですが、
その夜、王監督の「その1球は2度と来ない」

イチローがWBCでの王監督との言葉のやりとり
を「プロ生活での最高の財産」と感謝していた・・・

慶応大学の野球の試合を、ずっと見続けている。
海外出張を除くと、ほぼ毎試合。
非常勤の大学も金曜に集中。

それは王監督とは逆の意味で、「ミスをする魅力」
「あのエラーさえなければ・・・」
「あのチャンスに1本出ていれば・・・」

その不完全さは自分こそ「ミス型人間」であるからこそ、
魅力に感じる。

独立自尊さんの掲示板での投稿、
そしてこのブログでの観戦記に接して、
自分のもやもやした疑問がひとつひとつ氷解していくのを
感じます。

私のほうこそ、
野球を通じて、「ものの見方」を学ばせていただいています。

文武両道さん

コメントありがとうございます。

王さんは選手時代も監督時代も自分に対してミスを許さない姿勢が顕著だったように思えます。
なので選手としてあれだけの大記録を打ち立てることも出来れば監督としてあれだけ選手から慕われ尊敬されもするのでしょう。
間違いなく人格者だと思います。

違う面を見れば自分の考えに固執するところが見られます。

一本足打法を川上監督にやめるように言われても貫く。
王シフトをひかれても、迷うことなく引っ張って本塁打を打つ。
30本打っても引退する。
試合の終盤には必ず鹿取を投入する。
中継ぎが抑えていても、勝ちパターンということで馬原を投入する。

古くは三原監督、最近では仰木監督は対極にあり、融通無碍な選手起用が特徴だったように思えます。
どのような戦力でも優勝戦線に持ってくるうまみがありました。

ただ、その戦力が長続きしないきらいがありました。

そう考えると「ミス型人間」と申しますか、ミスを許容出来る人間は今持っている力を効果的に発揮させることに長けており、「完璧型人間」は型にはまった時、持続的かつ大きな成果を出すことに長けているように思えます。

どのタイプを指揮官が指向するか、それによってチームの方向性も決まってきますね。

ちなみに塾野球部の相場監督は「完璧型監督」、塾高野球部の上田監督は「ミス型監督」のように見えますが、いかがでしょうか?

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